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(中略)
徹底した宣伝戦略でライバルを追い落とし、60年代後半にはガムのシェアの5割を占めるまで
になるロッテだが、重光は気が気ではなかった。68年末に開かれた日米合同会議で、3年後の
72年初頭からガムを自由化するとの話が持ち上がったのだ。リグレー社が日本に上陸すれば、
太刀打ちできないのは目に見えていた。(中略)
「重光氏は脅威を感じ、深い関係にあった岸信介氏にリグレー進出阻止を頼んだ」と話すのは、
政治部OBだ。
「リグレーが日本に進出する72年、関税率は逆に35%から40%に引き上げられるという事態に
なりました。岸氏の命を受けた筆頭秘書の中村正芳氏が農林省や大蔵省に強く働きかけたん
です」
(中略)
「岸と重光を結びつけたのは町井久之(韓国名・鄭建永)です。兄貴分にあたる児玉誉士夫を
通して岸と懇意になった町井が、重光を引き合わせたのだと思われます」
町井は戦後、愚連隊を束ね、暴力団「東声会」を結成。東京・銀座界隈では「銀座の虎」と
恐れられた。
(中略)
「戦争末期の物資がない時代に、どうやって旋盤用の油の原料を手に入れたのか。さらには、
重光は戦争が終わってすぐに、石鹸や化粧品をつくり始めている。原料の油脂はどうしたのか。
闇物資を調達するしかない。どうもこの頃、調達に町井が介在していた節がある」(週刊誌記者)