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新宿は元々韓国人学校があって東京駐在員がたくさん居住した地域だ。
今はこの一帯が看板だけでなく事実上、東京で最大のコリアタウンだ。行政区画で新宿区百人町にあたるこの地域と
韓国の縁が何百年かさかのぼるということを最近ある日本人の知人から知った。百人町という名前は
江戸時代にその近所に100人の幕府精鋭小銃部隊が住んでいたことに由来すると彼は説明した。
当時、徳川幕府の護衛兵として抜擢された三重伊賀の忍者らがこの一帯に居住していたと言う。
伊賀の忍者がツツジを植えてこの地域は江戸から20世紀初めまでツツジの名所でもあった。
これを記念して新宿区は1972年ツツジを区花に決め、今も毎年4月末「大久保ツツジ祭り」が開かれている。
伊賀の忍者はどうしてツツジを植えたのだろうか。文献によれば日本にツツジが広がり始めたのは
9世紀に入った平安時代と言う。知人はこのツツジが韓半島移住民を通じて入って来たと信じていた。
伊賀の忍者は韓半島移住民の子孫なので故郷をしのんで他郷の東京にツツジを植えたというのだ。
実際に伊賀で忍者の指導者を輩出して来た服部家は新羅系移住民である秦氏の家系として知られている。
伊賀地域には韓半島移住民が多かく、伊賀焼きというこの地域の伝統陶磁器や酒製造術なども一緒に伝来されたと言う。
1990年代中盤に復活して「忍者祭り」で有名な伊賀市の敢国神社の「黒党」という祭りは服部家の祭祀だ。
この祭りで祭る三大神の中で少彦名命は移住民の秦氏が祭った神で金山媛命は冶金術と関連が深い神だ。
鉄や冶金術が伽揶を中心に日本に伝わったことはよく知られている。
三重出身の忍者がすでに数百年前に大久保駅の近くにコリアタウンを作っていたということだ。
伊賀の忍者がツツジを名物として残したように大久保韓人通りが日本人の胸に良い韓国のイメージを
植える発信地になるように期待する。
URLリンク(news.hankooki.com)
【国内】 伊賀忍者が韓半島をしのんでツツジを植えた新宿コリアタウン~韓国文化発信地へ★2[04/20]
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