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韓国人の非摘出子という出自に悩んで十代で下関を飛び出した松田優作
山口県・下関漁港の近くに、一際古ぼけた木造の定食屋がある。
1947年創業の「大阪屋」。昨年二十回忌を迎えた下関市出身の
俳優・松田優作さんが、帰省のたびに立ち寄っていた店だ。
小さなテーブルが四つ。10人も入ればいっぱいになる店内は少し薄暗かった。
「優作は、狭くて暗い場所を好んだ」という知人の話を思い出した。
「長身を折り曲げるようにしてのれんをくぐり、『ただいま帰りました』って
厨房(ちゅうぼう)をのぞきに来たものです」。店主・中西茂さん(78)は回想する。
中西さんは俳優について一度尋ねたことがある。
「吉永小百合さんとの共演はどうでした?」。優作さんは
「きれいな人ですねえ」とうなってみせた。中西さんの妻が
「今度、渡哲也を連れてきて」とせがむと、ふふっと笑みをこぼしたという。
この店で優作さんは、決まってちゃんぽんを注文した。
漁業で栄えた港町らしく、さっぱりとしたかつおダシのスープが特徴。
中西さんは「優作さんが中学時代、同級生と連れだって
来ていた頃からずっと同じ味です」と強調した。
優作さんが10代で下関を飛び出したのは、「韓国人の非嫡出子という
出自に悩んでいたから」と旧友たちは口をそろえた。しかし、故郷への
愛着を示す逸話に触れて、少し胸が軽くなった。
優作さんが好んだチャンポン:
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優作さんが通った大阪屋:
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ソース(YOMIURI ONLINE):
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