【花火】月山酋長研究第153弾【ふたたび】at KOREA
【花火】月山酋長研究第153弾【ふたたび】 - 暇つぶし2ch225:( ´,,,,`)y─┛~~ ◆Tokurin8P2
10/07/01 16:35:10 JJ/sDR2I
【萬物相】漢江人道橋爆破事件
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 1950年6月28日未明、ソウルには大雨が降っていた。暗闇の中、竜山と鷺梁津(銅雀区)を結ぶ漢江人道橋には多くの市民が押し寄せていた。
ここは当時、漢江を歩いて渡れる唯一の橋だった。北朝鮮軍の戦車は、韓国に侵攻してからわずか二日で、弥阿里(城北区)の防衛線を突破した。
これを受け、「ソウルの死守」を約束した李承晩(イ・スンマン)大統領や政府関係者らは、27日早朝に列車で南方へ避難した。

 約4000人の市民や車が押し寄せ、半歩進むことさえままならなかった午前2時30分ごろ、天地を揺るがすような轟音(ごうおん)とともに、火柱が上がった。
その瞬間、人道橋が真っ二つに折れて、橋を渡っていた人々や車は真っ暗な川の中へと消えていった。北朝鮮軍の追撃を断ち切るため、韓国軍が
3600ポンド(約1630キロ)のTNT火薬を使って人道橋を爆破したのだ。政府も軍も頼りにならないという状況の中、生き延びようと必死に橋を渡っていた、
罪のない500-800人の市民は、わけも分からないまま犠牲となった。

 人道橋の爆破を指示したのは、陸軍の蔡秉徳(チェ・ビョンドク)参謀総長だった。臨津江や礼成江の橋を爆破しなかったために、北朝鮮軍の進撃の
スピードを遅めることができなかった、と考えていた蔡参謀総長は、「爆破できなかったら銃殺する」と迫った。ところが、爆破時間をめぐり、前日に参謀らと
激論を交わした際、蔡参謀総長は居眠りをしていたという(イ・チャンロク著『漢江人道橋爆破の内幕』より)。北朝鮮軍が三角地(竜山区)に進撃したのは、
人道橋を爆破してから6時間後のことだった。切迫した状況だったとはいえ、軍の幹部が、市民の命を重んじて、橋の上の状況を考える時間を持っていた
ならば、あれほど多くの犠牲者を出さずに済んだだろう。

 国民の生命や安全に責任を持つ多くの為政者の、現場の判断だったゆえに、特定の人物を責めることはできない。だが、予告されていた北朝鮮軍の
侵攻には手をこまねき、北朝鮮軍が短期間でソウルへ侵攻するや、あわてて逃げ出し、敵の銃口にさらされた罪のない国民の安全には知らんぷりを
決め込んだ格好だ。

後略


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