10/05/24 00:15:25 o9TU+M8g
何だこっちにも来たのか。お前いるのウザいから
スレ新しく立てるわ。来るなよ。
20:マンセー名無しさん
10/05/24 01:20:33 uZY2FcF1
こっちに来るなゴミクズ
21:マンセー名無しさん
10/05/24 20:51:10 CkDQKuGw
tairanは過疎っていても、いらない子w
22:マンセー名無しさん
10/05/25 00:42:28 4BlHsBhq
アメリカでは韓国人・中国人は大人しい
理由は・・・
5分5秒あたりから
YouTube - 外国人_日本に死ぬほど住みたい理由
URLリンク(www.youtube.com)
23:マンセー名無しさん
10/05/25 06:45:40 jRE2x5ho
>>22
コリアンマフィアとかチャイニーズマフィアは日本より凶悪だけどな。
ちなみに、ロス市警はジミー佐古田にアジア特捜隊を任せて対抗した。
24:マンセー名無しさん
10/05/26 05:24:46 EkwNx+8f
誰かハングル語わかる人↓を翻訳してください。
ウィキペディアの韓国語版に記述したいので。
韓国では李成桂が女真人であることを国家ぐるみで隠蔽しているので、
韓国の学者は女真人説があることを知っているけど、一般人は全く知らないので、
日本の歴史学界で女真人説が有力視されているなんて知った時の反応が楽しみなので。
女真人説 [編集]
日本の朝鮮史学界では李成桂は女真人という学説が有力視されている。
李成桂女真人説の状況証拠としては次のことが挙げられる。
1・李一族の出身地の咸鏡道は15世紀までは女真人の地だったこと。
2・李一族は女真人の配下を多数抱え李一族が頭角を現したのはかれらの助けが大きかったこと。
3・のちに15世紀になって編纂された王朝創建の偉業を称えた『龍飛御天歌』によると、李一族は全羅道の全州出身で古くは新羅に仕えたがやがて咸鏡道に移住した、と書かれているが、後世に潤色されて書かれているため信憑性が疑わしいこと。
4・モンゴル語で書かれた李家の家系図から、李一族の女直名は完全に記載されているが朝鮮名は不完全にしか書かれていないこと。
5・ダルガチ職は高位の職で原則としてモンゴル人であり、稀に女真人や色目人が任命される事があるが、被支配民族の漢人、ましてや漢人の子分の高麗人が任命されることは非常に不自然であること。
6・千戸として女真人の統治を行っていたこと。
7・姓を李氏と言ってはいるが、祖先が元朝の家来で、元の開元路出身であることは明らかであり、モンゴル名を持っていること。(ただし、当時は高麗人貴族もモンゴル名を持っているから、これだけでは女真人とはいえない)
25:マンセー名無しさん
10/05/26 05:26:20 EkwNx+8f
史料証拠として次のことがを挙られる[9]。
1・『李朝太祖実録』冒頭には「太祖康獻至仁啓運聖文神武大王、姓李氏、諱旦、字君晋、古諱成桂、號松軒、全州大姓也」とあり、本貫が全州李氏であること、新羅の司空李翰を始祖として、以下21代を経て李成桂に至ったとするが、
第16代まではほとんど名だけが知られるにすぎず、第17代(李成桂4代の祖)からやや詳しい伝記がある。その第17代以後の祖先の活動舞台と居住地を通観すると、
前16代につなげるために全羅北道全州(完山)を出発点として、東海岸の三陟から豆満江畔にわたり、
そのほぼ中央に位置する咸興をもって活動の根拠地としたように書いてある。すなわち、全州李氏の出身だというのは後世の捏造で、その証拠に、李氏朝鮮王室で、全州李氏の誰一人として祖先として祀られた人はいない[9]。
2・『李朝太祖実録』巻一、九頁下、には次のような記事がある。「初三海陽(今吉州)達魯花赤金方卦、娶度祖女、生三善三介、於太祖、為外兄弟也。生長女真、膂力過人、善騎射、聚悪少、横行北邊、畏太祖、不敢肆。」
これを訳すると、「三海陽(咸鏡北道の吉州)にいた元のダルガチだった金方卦(女真人と思われる)が、度祖(モンゴル名ブヤンテムル、三頁下、李子春の父)の娘を娶って生まれたのが三善三介で、太祖の外兄弟(姓が違う兄弟)である。
彼は女真で育ち(女真の族長になった)、腕の力が人並み外れて強く、騎射をよくし、悪い奴らを集めて、北辺に横行したが、太祖を畏れて、敢えてほしいままにしなかった」というのである。
これによると、太祖も女真族としか考えられない。なぜなら、遊牧民や狩猟民は族外婚制をとり、姓の違う集団と結婚関係を結ぶのを習慣とする。
女真族の族長である三善三介が太祖李成桂の外兄弟であるというならば、太祖自身も女真族であったと考えるのが自然である。
『李朝実録』は、朝鮮時代になってからの正史であるから、朝鮮王の家系について、なるべく高麗との関係を重んじるような書き方をしているが、どうしても書き残さざるを得なかったのが、この「三善三介」についての記事である[9]。
26:マンセー名無しさん
10/05/26 06:55:09 +94NsIXE
>>24-25
それならそれで、「高句麗→渤海の末裔だから広義の韓民族なんだ」だとか言い出しそうな気もするが。
27:走 ◆VWCBut9QG7q4
10/05/26 14:11:54 vo0Bleis
>>24-25
あっちこっちに貼るな。
自分で金出して翻訳してもらえ。
目障り。それに適当に翻訳されてしまっても分からないでしょう。
本来は貴方が勉強してやるべきでしょう。
そうじゃなければ韓国版に書く意味無し。
英語版にでも載せたら。英語も出来ないかあ。
28:マンセー名無しさん
10/05/26 20:46:47 BAEeLota
>>24
日本の歴史学界って具体的にはどこのこと?
29:マンセー名無しさん
10/05/26 23:27:48 +94NsIXE
えっ?!マルチポストだったのかよwwwww
氏ね!wwwww
30:マンセー名無しさん
10/05/27 01:49:06 rihG1Vta
あっちに居ついたようだから、こっちがメインスレでいいかな?w
くれぐれもageないようにw
31:マンセー名無しさん
10/05/27 02:59:47 e9IX2FpA
そもそも、あっちは、遅れて立てられた上にテンプレも不備。
あんなゴミスレを正式な継続スレにして、こっちに刺身を押し付けようとしてた池沼がいたことに呆れた。
32:マンセー名無しさん
10/05/27 03:25:10 ibn1YgKa
ihmai1=heihati ?
33:マンセー名無しさん
10/05/27 08:29:42 tvM/ksRK
テンプレも無駄に長いからなぁ。
くだらないリンクはもう少し削ろうぜ
34:マンセー名無しさん
10/05/27 21:35:05 C9hY9eVs
ところでなんで刺身って呼ばれるようになったの?
35:マンセー名無しさん
10/05/27 22:31:21 oRGPygXg
エンコリ時代のIDがsas_mi6だったから。
sas_mi → sasimi → さしみ
36:マンセー名無しさん
10/05/27 23:14:54 bKcoV/Vd
>>34
tairanの通称の解説
エンコリの2006年か2007年ごろからKJの2009年4月付近まで
テキスト伝統版を中心にsas_mi6というのがよくスレ立ててたんだよね。
そいつの通称が刺身。
刺身の理論の基本は「良心は法に勝る」。
この言説の内容を刺身流に曲解していたんだけど、
その刺身とほぼ同じ解釈を主張するtairanがテキスト伝統版では2009年6月~2010年2月に、
フォト伝統版では2009年9月~現在という風にスレ立てをしている。
(上記は両者が現在消していないスレの日付を参照。)
tairan自身に問いただしても、sas_mi6の別IDだと肯定も否定もしていないが
アレの主張が刺身本人と見まがうほどの酷似ぶりなので、
便宜上tairan=sas_mi6として処理されて現在に至る。
37:走 ◆VWCBut9QG7q4
10/05/28 00:38:27 NC6jSeuI
>>36
すいません、もっと教えて。
こいつら、もしくはこいつは何を言いたいのか。
論理をひねくり回して楽しんでいるだけなのか。
根底に、思想があって何かたくらんでいるのか。
ネコさんがちょっと疑っていたことが気になる。
兎に角腹の立つやつだね。高所から下らない屁理屈捏ねているだけに見えるが。
38:安崎ワンコー守 ◆Nyago/LmVE
10/05/28 08:13:43 ikJsumtn
>>37
>高所から下らない屁理屈捏ねているだけに見えるが。
ぶっちゃけそれだけですよ。
ハナシをシンプルにすると、矛盾と自己否定になるので、小難しくして偉そうなことを書き散らしているだけ。
思想信条なんかありゃしません。
ただのレス乞食ですから、論破しようなんて思っちゃいけません(w
相手をしないのが一番ですが、もし相手をしたければ、更に上から目線で見下してやるくらいがいいですね。
39:マンセー名無しさん
10/05/28 13:27:54 z8PYWbLg
>>37
刺身の考え方は、過去におこった事件事故などを現代からのいわゆる神の視点での「たられば論」でのみ主観的に考察し、
それらの起こった原因および経過、取り巻く環境(当時の常識や該当する法律)等を厳正に考証したうえで、客観的な考察をすることはほとんどない。
2007年ごろのエンコリでのスレの硫黄島での栗林中将が徹底抗戦をした件を例にだす。
刺身的解釈:米軍に上陸されて制空権が米軍に移った以後の抗戦は、無意味だった。
理由としては、それ以降はいわゆる軍としての組織的戦闘ができてはいなかったのだから。
人道的に部下の人命を救助するためにも、軍法に逆らってでも栗林中将は降伏すべきだった。
刺身的には、「硫黄島の部下の助命のほうが本土の多数の人命の危機の可能性よりも上位」とするような主張を展開。
刺身の主張内容の可否はともかくとして、下記の時系列の表記を見たら判るとおり、
刺身が主張の元になる理由と実際の歴史との間に齟齬があるのだが、そこの矛盾点を指摘しても無視するので会話が成立しない。
・硫黄島における時系列
1945 年(昭和20年)
2月19日 アメリカ軍、硫黄島上陸開始。
2月23日 摺鉢山独立拠点、アメリカ軍占領。
3月6日 機能を回復した硫黄島の飛行場に最初のP-51戦闘機部隊が進出した。
3月15日(日本時間)アメリカ軍は硫黄島の完全占領を発表した。
3月16日 大本営に訣別電報打電。
3月17日 特旨を以て陸軍大将に昇進(53歳での大将昇進は日本陸軍史上最年少)。
3月26日 日本軍守備隊最後の組織的総攻撃の指揮を行い、戦死したと推定されている。総攻撃に際し、階級章を外して参加したため、現在でも栗林の遺体は確認・発見されていない。