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【コラム】鄭大世の涙
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声楽家の金永吉(キム・ヨンギル)は、日本では「永田絃次郎(ながた・げんじろう)」という名前で認められたスターだった。しかし、彼は日本も韓国も
祖国として受け入れなかった。彼にとって唯一の祖国は北朝鮮だった。金永吉は北朝鮮との海路が開かれると「北送船」に乗った。港に集まったファンに
彼は「永田絃次郎とはさよならだ」と力を込めて語り、『アリラン』と『オー・ソレ・ミオ』を歌って、手を振った。
彼は夢に描いた清津港に到着した。先に祖国に戻っていた友人の舞踊家、崔承喜(チェ・スンヒ)に涙で迎えられた。しばらくして、北朝鮮の最高人民
会議祝賀公演で金日成(キム・イルソン)の熱烈な歓迎を受けた。北京公演で歓迎してくれたのは周恩来だった。しかし、彼の消息は7年後に「祖国」から
消えた。
金永吉の華やかな帰国は、多くの青年在日同胞に影響を与えた。東北大の大学院に在学していた韓国籍の秀才、チョ・ホピョンもそうだった。彼は
金永吉の帰国から2年後、日本人の妻と共に北送船に乗った。父が包丁を手に止めようとしたが無駄だった。チョ・ホピョンの消息も5年後に途絶えた。
彼の消息が判明したのは28年後だった。国際人権団体の照会に対し、北朝鮮が異例の回答を寄せたのだ。彼はスパイ容疑で強制収容所に入り、
家族と共に脱走を企てて銃殺されたという。日本人の妻、幼い子供3人がチョ・ホピョンの「祖国」でそうやって死んでいった。
女性声楽家、田月仙(チョン・ウォルソン)の両親は、息子4人を北朝鮮に送った。慶尚南道出身だったが、北朝鮮を祖国に選んだ。兄弟らの消息が
途絶えたのは10年後だった。その後の10年は生死すら確認できなかった。母は朝鮮総連に願い出て、北朝鮮を訪れた。そこにはやせ細った兄弟3人が
待っていた。兄弟らは母に対し、「スパイの汚名を着せられ、9年間収容所に入っていたが釈放された」と体を震わせながらささやいた。次男は拷問に
耐えかね、収容所で死亡し、遺骨すら見つからなかったという。