10/07/07 23:58:07 XXrYpYGm
(>>365 からのつづき)
経緯
1947年2月27日、台北市で闇タバコを販売していた女性(林江邁40歳、2人子持ちの寡婦)を、中華民国の官憲
(台湾専売局台北支局密売取締員6名および警官4名)が摘発した。女性は土下座して許しを懇願したが、取締官
は女性を銃剣の柄で殴打し、商品および所持金を没収したのである。
戦後の台湾では、酒・タバコ・砂糖・塩等は全て中華民国によって専売となっていた。しかし、大陸ではタバコ
は自由販売が許されていたため、多くの台湾人がこの措置を差別的と考え、不満を持っていた。タバコ売りの女
性に同情して、多くの台湾人が集まった。すると取締官は今度は民衆に発砲、まったく無関係な台湾人(陳文渓)
を射殺し、逃亡した。
この事件をきっかけに、中華民国への怒りが遂に爆発した。翌28日には抗議のデモ隊が市庁舎へ大挙して押しかけ
た。しかし、中華民国側は強硬姿勢を崩さず、憲兵隊は市庁舎の屋上に機関銃を据えて、非武装のデモ隊へ向けて
無差別に掃射を行う。多くの市民が殺害され、傷を負った。 この後、国府軍は、台北以外の各地でも台湾人への
無差別発砲や処刑を行っている。
本省人側は国民政府に占拠されている諸施設へ大規模な抗議行動を展開。日本語や台湾語で話しかけたうえ、答え
られない者を外省人と認めると暴行するなどの自衛手段を行った。また、本省人側はラジオ放送局を占拠。軍艦マ
ーチと共に日本語で「台湾人よ立ち上がれ!」との呼びかけた。
劣勢を悟った中華民国の長官府は、一時本省人側に対して対話の姿勢を示した。しかし、在台湾行政長官兼警備総
司令・陳儀は、大陸の国民党政府に密かに援軍を要請した。彼は「政治的な野望を持っている台湾人が大台湾主義
を唱え、台湾人による台湾自治を訴えている」「台湾人が反乱を起こした」「組織的な反乱」「独立を企てた反逆
行為」「奸黨亂徒に対し、武力をもって殲滅すべし」との電報を蒋介石に送っている。 (つづく)