10/07/07 23:57:05 XXrYpYGm
>>363-364
二・二八事件(にいにいはちじけん)は、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、
当時はまだ日本国籍を有していた本省人(台湾人)と外省人との大規模な抗争。約40年後、戒厳令の終了と政
府側の遺族への謝罪により漸く終結した。本省人はこの事件を台湾大虐殺と呼んでいる。
1947年2月27日、台北市で闇タバコを販売していた本省人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。
これが発端となって、翌2月28日には本省人による市庁舎への抗議デモが行われた。しかし、憲兵隊がこれに
発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。本省人は多くの地域で一時実権を掌握したが、国民党政
府は大陸から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧した。
背景
1945年に日本が敗戦した後の台湾には、連合国軍の委託を受けて日本軍の武装解除を行うために大陸から蒋介石
率いる中国国民党政府の官僚や軍人が進駐し行政を引き継いだ。
当初、少なからぬ本省人が台湾の「祖国復帰」を喜び、大陸から来た国民党政府の官僚や軍人らを港で歓迎した
が、やがて彼らの腐敗の凄まじさに驚き、失望した。大陸から来た軍人・官僚は国共内戦の影響で質が悪く強姦・
強盗・殺人を犯す者も多かったが、犯人が罰せられぬことがしばしばあり、もし罰せられる場合でも、犯人の省
籍をマスコミ等で報じることは厳しく禁じられた。また、台湾の資材が中国人官僚らによって接収・横領され、
上海の国際市場で競売にかけられるに到り、台湾の物価は高騰、インフレによって企業の倒産が相次ぎ、失業も
深刻化した。
比較的不正の少なかった日本の統治を体験した台湾人にとって、治安の悪化や役人の著しい腐敗は到底受け入れ
がたいものであった。人々の不満は、いやが上にも高まっていった。 当時の台湾人たちは「犬去りて、豚来たる」
(犬(日本人)は五月蠅くとも役に立つが、豚(国民党)はただ貪り食うのみ)と揶揄した。 (つづく)