10/03/08 08:06:29 A9CI5/LG
>>41
1930年(昭和5年)、第58帝国議会のロンドン海軍軍縮条約の批准をめぐる論議では軍縮問題を内閣が云々することは天皇の統帥権の干犯に当たるとして
濱口内閣を攻撃、濱口首相狙撃事件の遠因となった(なお、狙撃事件後傷の癒えぬ濱口雄幸に執拗な登院要求を行った。濱口は登院の5ヶ月後に死去している)。
統帥権干犯論は議会の軍に対するコントロールを弱めるものであった為、これを根拠として軍部が政府決定や方針を無視して暴走し始め、以後、政府はそれを止める手段を失うことになって行く。
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