09/10/24 21:27:25 IWxoLwrl
本日の朝日新聞夕刊5面
【はみ出し歴史ファイル】 安重根 「元勲暗殺、真犯人は別にいる?」
100年前の1909年10月26日、伊藤博文が韓国の民族主義者安重根に暗殺された。日本では
「維新の元勲」「初代内閣総理大臣」の伊藤は、韓国では植民地化を進めた侵略者という位置付けだ。
05年、日露戦争に勝った日本は、韓国から外交権を奪って保護国化した。ソウルには総督府が設置
され、伊藤が初代統監に。07年に韓国軍を解散したのを機に、失職した兵士などが加わり義兵闘争と
呼ばれる武装闘争が加速、08年から09年にかけ3700回もの衝突が起こった。もはや内戦状態である。
韓国支配には民心の掌握が必須条件だと考えていた伊藤は心身共に疲れ果て、明治天皇の慰留にも
かかわらず統監の職を辞した。
そして09年、中国・東北地方のハルピン駅で、伊藤は3発の銃弾を受け絶命した。安は軍楽隊の兵士
の足下からピストルで銃撃した。だが随行の貴族院議員室田義文によると、銃弾はやや斜め上から
伊藤の体を貫いていたという。
これが本当なら、暗殺者は別にいたことになる。首謀者は、当時伊藤と対立していた山県有朋だという説
もあるほどだ。山県ら陸軍上層部は韓国併合を急ぎ、韓国を拠点に大陸進出を急ごうとしていた。対して、
伊藤は性急な併合には慎重であった。
安自身は自らの仕業だと認めている。だれが真犯人であるにせよ、その後の事態は伊藤が危惧していた
通りに進む。翌10年、日韓併合。ソウルに朝鮮総督府が設置され、山県直系の寺内正穀陸軍大将が総督
に就いた。安は併合の5ヶ月前、旅順監獄で処刑された。(河合塾講師・青木裕司)
塾講師って、こんなのばっかかよ