09/10/06 15:56:05 E5WtBrAv
【社会を回すには勇気を持って不正を受け入れないと】
民潭でバイトしてわかったこと。
『日本では民間賭博が禁止されてる。……だから、やっぱりパチンコは違法だと思う』
不正が批判されると、全く不正ができないような完璧なシステムを構築する。しかしその結果、本来の意義が損なわれる
こともあるが…。メディアの言葉狩りとか、企業のクレーム対策もそういうもの。
この場合、不正を完璧に殲滅するのではなく、システマティックに考えると粛清されるように思うかも知れないけど、それは
実はドグマチックになるだけだ。それを受け入れないとさらに異常な理不尽が起きる。
日本みたいに、法と言えば微に入り細をうがつような細かいことまで遵守するものだと思ってしまう文化圏では、法令遵守
とかコンプライアンスとか、舶来の概念をそのまま持ち込むと、ドグマとなって硬直して社会がメチャクチャになる状態にな
る。舶来概念を持ち込む時は自分の文化を理解しないと。
人間というのは、進化的に、抜け駆けするものを赦せないっていう感情を持っている。でも、それは人類が誕生した頃の、
せいぜい150人くらいの原始的な集団ならまだうまく働いたかもしれないけれど、何千、何万、何百万という数になると、そ
の本能のいいなりになってはうまくまわらなくなる。
集団が大きくなれば、ある程度の不正を容認しないと活力が落ちる。歯車も遊びがないと回らない。
不正をある程度より減らそうとすると、減らすためのコストのほうが、その不正によって生ずる損失より大きくなる。だから
、不正は絶対に許せないという本能の言いなりになって、完璧に不正を取り除こうとすると、ものすごい無駄が発生するわ
け。逆に言うと、適度な不正は勇気を持って受け入れないと世の中は回らない。
勇気を持って受け入れるというのは、見逃されている不正があっても、まあしょうがないと容認するだけの度量が必要な
の。
これは、パチンコがなぜ取り締まられないのかというのと基本的に同じだ。
法的検証とかできめ細かく法規発動すると、その活動に係わる社会的損失が、活動しない場合より大きくなってしまう。こ
れは階差機関のバベッジがつきとめた話。
ミクロレベルの本能に従うとマクロレベルで問題が起きるというのは、経済の合成の誤謬も似ているかも。