08/12/09 16:34:06 a+DObm++
差別それ自体は常に理不尽だが、その機能については、たとえ快不快のレベルであろうとも、それは人間精神の向上に大きな役割を果たしている。
血塗られた差別の蓄積の歴史が、向上心と向上心のぶつかり合いによる自由競争を生みだしたことはまさにそれ。
平等で無差別絶対愛の世界は、一つのユートピア(その言葉は不可能という意味を常に内包している)であり、どこか差別の寂しさを、人間は背負い続けている。
例えば、朝鮮人お断りというような理不尽な差別は理不尽だが、ある女性がメイド喫茶に応募したときに実際上店長の好みのタイプでないから丁重に断られるのも理不尽。
そもそも高校の推薦入試だとか、社長の御曹司がそのまま社長を継ぐのも、全部理不尽だね。それはここが地上だからだとしか言いようがない。
朝鮮人お断りというのは、明らかに不当な差別で、実定法で禁止すべきだが、それ以外のパターンで一見理不尽な差別でも社会的に放置される差別も沢山ある。