08/09/18 00:04:38 0EzoBlcg
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〈遺骨は叫ぶ⑱〉 岩手県横川目・旧中島飛行機地下工場
3カ所のトンネル突貫工事に270人が従事
敗戦後60年、明らかになった強制動員
3カ所で着工したトンネルは、間組が下請けし、横川目駅前に事務所を置い
た。トンネルを掘る作業に連れてきたのが、約270人の朝鮮人だった。どこ
から来たのかわからないが、横川目駅に下車した朝鮮人たちを見た人がいる。
横川目村(現北上市)に連れてこられた朝鮮人たち、トンネルを掘る愛宕山
の山裾周辺の農家の作業小屋に収容された。
一つの小屋に10人前後が入ったが、一組の夫婦がいて食事作りなどをし
ていた。食料も十分に配給が来なかったようで、間組の人たちが地元の農家
を回り、野菜などを徴発しては、朝鮮人に配っていたという。
地下工場の建設は、突貫工事なので朝鮮人は二交代の12時間労働で働か
されていた。監督は日本人で、1本のトンネルに数人が出入りしていた。手に
長い棒を持っていたが、中には日本刀を腰に下げている人もいた。
3カ所のトンネル工事の現場から、朝鮮人が何回も逃走した。だが、横川目
駅ですぐに捕まり、小屋に連れ戻されてきた。逃げた朝鮮人を、日本刀を
振り回して追いかける監督を見た人もいる。しかし、怪我や死亡した朝鮮人
を、現場近くの人は見ていない。
日本の敗戦後も朝鮮人は残っていた。間組で山の木を伐らせ、製材所で
製材させていた。農家の作業を手伝い、米を貰ったりもしていた。
「あの人たちが突然姿を消したのは、9月末頃」(遊佐ヒデ子)というが、
間組では、下駄を履かせて帰そうとしたが、地下タビでないと帰らないと交渉
しているのを見た人がいる。
全体像はまだ不明だが、埋もれている朝鮮人連行者が働いていた現場は
、ほかにもあるのではないだろうか。(作家、野添憲治)