08/07/07 00:10:48 B8RYXEX1
>>557
アダムとイヴは、神によって禁じられた知恵の実を食べることにより、エデンの園から
追放されることになったわけですな
禁じられた実を食べるという行為は、それを禁じた神を裏切るということになる
これが第一義の「原罪」、「原」の字は原型であり、初めの罪ということですな
更にその罪を犯したことによって、神の被造物として完成されていた生来の「本性」が
毀損されることによって、神の救い無くしては克服されない「罪」への傾向が代々の
人間に受け継がれることになった。
これが第二義の「原罪」、生まれながらに背負っている罪ですな
「アダムとイヴが犯した罪の報い」でもある。
これが大まかな定義だけども、派によって原罪の捉え方は大きく異なるし、更には原罪
そのものがまったく見られない派もあったはず。
人間はほっといたら罪を犯す方向に転がっていくという意味においては、性悪説に近い
ものと言えるでしょうな
佛教において原罪と近い考えと言えるのは「宿業」ですな
あらゆる生命は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道を輪廻する
それは覚りを得るまで続くとされておる。
「袖すり合うも多生の縁」という諺もあるけども、己が己として生まれてくる前に、積み
重ねてきた「生」のどこかで行った報いのこと。
ただ、原罪が「罪の報い」であることに対し、「宿業」には良いことも悪いこともある。
例えば人間として生まれてくるのは、良き行いの報いとして。
釈尊はこの娑婆世界のことを「勤苦の世界」とおっしゃった。
つとめて苦しむ、苦しもう苦しもうと努力しているような世界であるということですな
人の本性を「放っておけば罪へと傾いていく」と捉える点では、共通するものがありますな