02/04/04 01:09
>>93
お寺の後継ぎの方にも色々な価値観・考え方をお持ちの方がいらっしゃると思います。
>>93さんとは違って、私は選択肢の狭い将来を不自由であり、不幸だとさえ思います。
正誤ではなく単なる価値観の相違ですが。
パターン1 「寺に興味はないが、金が儲かるなら、継いでもかまわない。」
仕事は仕事、人生は別という価値観
パターン2 「ただ親が寺だからというのではなく、その教義に賛同したから継いだ。」
仏縁というものなのでしょう。そして確固たる自我もお持ち。
パターン3 「自分の人生は自分のもの。寺に興味がないから継がない。」
確固たる自我を持ち、主体的に将来を決められる。
パターン4 「自分が継がなければならない。しかし自分の人生は一体何なんだ?」
恐らく多くの方がここを経験されていかれるのでしょうが、その苦しみの度合いは人それぞれでしょう。
ある一時期のみ反抗期のように出て終わられる方から、一生引きずられる方まで。
「何となく縛られていた…という程度の拘束」というのは今日の社会では非常に難しいと思います。
>>84より引用
『自由という言葉に彩られた近代教育の洗礼を受けた者が、
自分の人生を自分の思いのままに切り開いていくことも許されず、
これからの人生を家のために投げださざるを得ない自分の境遇に対して、
大きな疑問を抱くのは至極当然な成り行きである。』
一度社会に出ることを容認したとしても、問題の解決にはあまり効果はないように思います。
それがお寺を継いだ”後”、よい経験であることは事実でしょうけど。
お子さんが遠まわしにいつか継ぐよう計画的に育てることは、本当に難しいことだと思います。
人間がどのように価値観を形成するかは、非常に複雑な問題でしょう。
様々な情報や価値観が入り乱れる現代社会で、
一つの価値観を意図的に子供に埋め込むことは非常に困難だと思います。
なによりもお子さんの幸せを一番に考えるのであれば、96やそれ以前に申しました様に
正常な自己肯定感を持たせ、確固たる自我の確立を目指すことが一番だと思います。
そうすればパターン2になるにせよ3になるにせよ、ご本人は幸せに生きられると思います。
もちろん自我を優先させた上で仏法の素晴らしさを教育されることはありでしょう。
バランスが難しいところですが。
PS ただ単にお寺を継がせることが全てならばパターン1を目指すのもありでしょう・・・
PS 私はパターン4引きずってます。