森田療法で症状の改善を目指すスレ25at UTU
森田療法で症状の改善を目指すスレ25 - 暇つぶし2ch106:優しい名無しさん
26/06/26 12:46:27.62 SJ/SpSUsH.net
げんじと言います。精神分析医のカレン・ホーナイと森田療法(特に森田正馬と鈴木知準)を
尊敬しています。森田療法(に限ったことではありませんが)には、宗教的な雰囲気があり、
教義や教祖に異論を唱えることが難しい雰囲気がると思います。
私はホーナイ信者でもあるので、純森田信者とは、あまり合わない部分がありますが、それでも、
治療法、神経症者・神経質者の生活の質の改善法としては、森田療法がベストだと思います
(というか、他に治療法と呼べるほどのものはないと思います)。
森田療法の著作の中でも、私には特に鈴木知準氏の著作が役に立ちました。氏の著作が
なければ、森田療法の本当の良さが、私にはわかりませんでした。
鈴木知準氏の著作からは、重症の神経症者でも、数年、10年以上に渡り、症状等をそのままに、
行動の中に入っていくことを続けることにより、症状等が、大きく改善することが学べます。
鈴木知準氏の著作を読んだことがない人は、ぜひ、読んでみてください。

107:優しい名無しさん
26/06/26 13:01:24.37 SJ/SpSUsH.net
以下は、3年近く、森田療法的生活を続けることにより、対人恐怖が大きく
改善した例です。
「ノイローゼの積極的解決」(鈴木知準著、誠信書房, 1980.4)より 1  
… 現在二十二歲、法政大学の学生です。私は昭和五十一年三月十九歳から四ヵ月間、
鈴木知準先生 の下で入院森田療法をうけたもので、退院してから三年余になる。
主症状は対人恐怖症です。…
…このような状 態が続き高校二年十七歳の頃、今度はふとしたことで隣の席に座っている
人が気になり、それが苦 痛となりました。この時以来絶えず横が気になり、これもまた
自分が感じるのと同じ苦痛を確かに 相手にも与えている、与えているというより乗り移って
いるという加害意識にも苦悩しました。…そして人と会うことも、学校で授業をうけることも
不可能になりました。…

108:優しい名無しさん
26/06/26 13:04:05.75 SJ/SpSUsH.net
「ノイローゼの積極的解決」(鈴木知準著、誠信書房, 1980.4)より 2  
… このような状態の時に幸運にも鈴木知準先生の著書、白揚社発行の『一つの生き方』に
出会い、 高校を卒業と同時に入院致しました。これは昭和五十一年十九歳の時でありました。
自分ではこれ で救われるという気持と、半信疑という気持がありました。入院中の生活は、
入院規則通りにやりました。…
…掃除、炊事、買い物、風呂焚き、犬や小鳥の世話、花の手入れ、洗濯物の取り込み、トイレ
掃除等たくさんあります。これらの当番、あるいは他の作業は、嫌だとかめんどうだという
感情があっても、一応そういう感情を持ったまま、とにかく決められたものだから仕方なく
やって行くという性質のものです。ですから隣りで作業をしている人が気になり不安と感じても、
不安で不安で仕方がないと感じながらも、とにかく目前のことだけをやって行きました。…

109:優しい名無しさん
26/06/26 13:05:30.38 SJ/SpSUsH.net
「ノイローゼの積極的解決」(鈴木知準著、誠信書房, 1980.4)より 3
… 約四ヵ月間の入院生活の後、退院しました。退院後も、調子が良くても悪くても一ヵ月に
一回、土曜日の午後から日曜日の午後まで追体験という形で鈴木知準先生のもとに通いました。
しかししばらくは不安になると心の中で「そのまま」などという言葉を唱え、その不安を
なくそうとしていました。いくらそのようなことをしても不安はなくならず、かえって不安と
戦ってしまいました。 入院する前とは比較にならないほど少しではありますが、まだ多少の
精神葛藤がありました。

110:優しい名無しさん
26/06/26 13:07:11.35 SJ/SpSUsH.net
「ノイローゼの積極的解決」(鈴木知準著、誠信書房, 1980.4)より 4
 そして先程お話致しました追体験という形で鈴木先生のもとに一ヵ月に一回通い続けて
いるうちに、一年位後には不安に対して安心を求めるための自分に言い聞かせる言葉が
なくなり、二ヵ年後の現在では不安であるからなんとかしよう、安心であるからいいのだ
などという気持ちが起きないのです。起こさないようにしようとしているのではなく
起きないのです。ですから、以前のような 精神葛藤は全くなくなりました。…
…現在では、例えば隣りに人が座っているということに対して不安を感じる瞬間はあるの
です。し かしその不安に対して、それをなくそうとしているわけでもないですし、あるいは
このような不安 はあってもいいと自分に言い聞かせているわけでもないのです。

111:優しい名無しさん
26/06/26 13:10:27.36 SJ/SpSUsH.net
「ノイローゼの積極的解決」(鈴木知準著、誠信書房, 1980.4)より 5
これらの不安はただ不安、不安以 外の何ものでもない不安といった感じのものです。不安に
対して戦うことがないので、すぐなくなってしまうのでしょう、どうなっているのか
考えてもみないのです。入院前は他人の目が気になって仕方がない、他人に確かに嫌な感じを
与えているという意識が、四六時中頭にこびりついて離れませんでした。しかし現在では、
かつてこのようなことに悩んでいたということすらも忘れてしま っているというのが
本当です。…
************************
この方は、四ヵ月間の入院生活の後、二年後には、全治と言えるほどに、症状が改善して
います。それでも、ここまで来るには、入院生活も合わせると三年近い期間が必要でした。
その間は、症状を持ったまま、必要な日常の活動に入っていくことを継続して
いました。

112:優しい名無しさん
26/06/26 13:53:22.80 6JJgD0970.net
馬鹿なん?大馬鹿なん?
森田先生は神に成ったんだぜ!

113:げんじ
26/06/28 18:44:46.63 JveFTGRPH.net
***** 強度の強迫行為の徐々に全治した例 1
 鈴木知準氏著「神経症はこんな風に全治する」(誠信書房, 1986.3)より

…これは、一番治癒困難な強度の強迫行為の全治した例である。強度の強迫行為の治療は、
全く骨の折れるものである。しかも、この例は全治していて、その跡もとどめていない
全治である。しかし、相当の期間を要するのである。もちろん徐々に行きつもどりつ
しつつ全治していく。急速の心の展開は、きわめて少ないと思われる。
  診断 強度の強迫行為
  初診  昭和五十四年十月
  発病年齡  十五歳頃
  入院時年齢  三十一歲
  職業  入院時会社員

114:げんじ
26/06/28 18:46:06.70 JveFTGRPH.net
***** 強度の強迫行為の徐々に全治した例 2

    強迫行為の治癒体験
     竹山重明 三十七歲
 退院時先生が『退院して実生活に戻ったら、一目散に走り抜けるように」といわれた。
そのような生活態度に自然になり切っているので自分が神経質を超えた、とかノイローゼが
治ったとかさえ全く考えなくなって、少なくとも三年は経っている。
 私が強度の強迫行為になったのは五十三年(三十一歳)の中旬である。それまでの私は
自分が神経質であるという意識がなかった。ただ少年期の十五歳の頃から、登校や外出する
際、火の元や戸締りの確認に大層手間どり、何度も確認しても気に掛かり毎回苦しみながら
一時間余りもそんなことを繰り返し、遅刻が度重なったこと、その他、梅毒恐怖や尖端恐怖
などがあったことを思い出すが、それも少年期の故、まさか自分が神経質だのノイローゼ
だのと自覚したことはなかった。その後、大学卒業の後、上京し就職した折にも、外からの
電話の応待時、必ずはげしい吐き気がし、充分な会話が出来ず、その結果、喉の手術まで
行なったことがあったが、これも今考えればノイローゼであった。

115:げんじ
26/06/28 18:51:19.12 JveFTGRPH.net
***** 強度の強迫行為の徐々に全治した例 3

 五十三年の夏頃、週刊誌に記載されたある薬の副作用の記事を読んでから、その薬を
常用していた私は不安にさいなまれ、幾人もの医師を訪れ説明を受けた。しかしいくら
説明を受けても重箱の隅をつつく様な小さな不安が次第に大きくふくらみ一向によくならず、
徐々に仕事も手につかなくなっていった。
 五十三年暮には自分はノイローゼであると自覚、A大学病院の神経科の門をたたき
週一回のカウンセリングを受け翌五十四年、四月には入院も行なったが軽快どころか
ここの治療では全く歯がたたなかった。それどころか、投薬のみの治療法ではよくならない
と感じて退院した。

116:げんじ
26/06/28 18:55:30.73 JveFTGRPH.net
***** 強度の強迫行為の徐々に全治した例 4

その後も、発病直後から始まった不潔恐怖による手洗いも日増しにひどくなり、一日中
手を洗い続けた。石鹸で洗うため冬には手が大きく腫れあがり、それにひびが入り
血だらけとなっても止められなかった。さらに不眠、両足による極度の貧乏ゆすりなどが
加わり、全くもって気違い沙汰となり職場も休職して強迫行為に明け暮れるように
なった。五十四年の十月には、環境が変わると良いとの妻の助言で山奥の禅寺にも
行ったが、和尚から「気違いの一歩手前では」とサジを投げられる始末であった。
 丁度その頃、鈴木先生の著書を読み、ワラにもすがる気持ちで面接を受け、十一月
下旬に入院することとなった。入院に際し事前に著書を読み森田療法の予備知識を
得るよう指示を受けたが、新聞も読めぬ状態であったので、とても先生の著書といえども
よく読める訳がなく、予備知識のないままの入院となった。

117:げんじ
26/06/28 18:56:09.58 JveFTGRPH.net
***** 強度の強迫行為の徐々に全治した例 5

 十日余りの臥褥中、睡眠薬を飲んでも眠れなかった自分が嘘のようによく眠った。
強迫行為も寝ているだけであるから、さほどでない。さすがは森田療法、もう治り始めて
いるとその時感じた。臥褥が終りいよいよ作業療法となる。外は寒風、活き活きとした
若者と一緒に何をして良いか分からぬなりに、三十男がおどおどして落ち葉拾いに手を
つける。その自分の憐れな姿に、何で自分がこんな病気に、今ごろ家族は、などと思う
たびに人知れず涙ぐんだ。
 日を追うにつれ、ここの療法の骨子や、神経質に生きる態度を身につけるには、時間が
かかること等がおぼろげながらわかり始めたが、同時に強迫行為もまた、以前に増して
強まって行った。この頃など、ロクに作業もせず手ばかり洗って袖口がぐっしょり濡れ、
作業日誌のペン文字が一面ににじんで読みとれないなどのこともあった。

118:げんじ
26/06/28 18:57:59.06 JveFTGRPH.net
***** 強度の強迫行為の徐々に全治した例 6

 その後入院一○○日を過ぎても、何も変わらなかった。年も年ゆえ、環境にもなかなか
溶けこめなかった。先生の日誌指導で「強迫行為をしそうになっても、す早く次の仕事に
すっと移っていくこと」と助言があるが「自分で止められるくらいならこんな所には
来ないさ」という気持ちで開き直り、何度も森田療法を疑った。しかし他所に自分を
治療してくれる所のないこともわかっており、何とか治りたいの一心で落ち葉を拾い、
薪作り等を一生懸命やったが一向に良くならない。このままでは一生廃人、と悲惨な
気持ちにいつも揺れ動いていた。

119:げんじ
26/06/28 19:00:07.26 JveFTGRPH.net
***** 強度の強迫行為の徐々に全治した例 7

 ちょうどその頃を境にしてであるが、何とも説明がつかぬが、少しずつ次第に意志の
力で強迫行為を減らすことができるようになってきた。勿論、ほんのわずかであり、
二歩前進一歩後退の状態であった。しかしその頃から次第にほんの一筋の明るさを
取り戻しつつあることも自覚するようになった。同時にこの頃、ノイローゼの落し穴の
からくりについても多少分かってきたような気がした。神経質な自分が不安をとる為に
強迫行為をやっていること、強迫行為はまるで山手線のように走り出したら円周を描き
果てしないことなどが・・・・・・。

120:げんじ
26/06/28 19:02:37.58 JveFTGRPH.net
***** 強度の強迫行為の徐々に全治した例 8

 そんな状態が一、二ヵ月程続き、いわゆるバラ騒動が始まり、われわれの動きも
否応なく活発さを要求され、時間刻みに突然先生にばらの作業を命ぜられ、また周囲の
目を意識して強迫行為がやりづらくなってきた頃、先生との面接時、「妻君から申し出が
あり、二週間程先に、君たち夫妻が友人の結婚の仲人をすることになったらしい。
行ってきなさい」とのご指示を受け非常にびっくりした。何故なら、それまでの私は
やっと買い物当番に指名され院外へ出た途端、遮断の環境を破り、家へ電話をしたこと
などが先生にバレて、当番をはずされたりしているいわば札付の劣等生であり、
強迫行為も相変らずである。

121:げんじ
26/06/28 19:05:30.68 JveFTGRPH.net
***** 強度の強迫行為の徐々に全治した例 9

それなのに、と疑念はつのるばかり。それに仲人などとてもやり遂げる自信もなかった。
しかし先生の指示には従わざるを得ない。早速、空き時間を見つけてはスピーチの練習に
はげみ当日を迎えた。不安ではあったが、結果は思った以上に、というよりかつての
自分に戻ったように、堂々とやれた。
 この自信が作用したのか、その後も次第次第に強迫行為の数は減っていき、同僚の
院生からもよくその点を指摘されるようになった。しかしまだ日常生活がまともに
できる状態ではない。

122:げんじ
26/06/28 19:07:06.80 JveFTGRPH.net
***** 強度の強迫行為の徐々に全治した例 10

 そして六月、入院後、二百十有余日にして退院となった。そのとき、先生の
おっしゃられたことは「完全ではないが、社会人としてこれ以上、仕事や家庭を
空けることもできないでしょう。強迫行為をやりたいと思ってもやらずに一目散に
走り抜けなさい」ということであった。
 全く自信はなかった。そのときにも強迫行為は残っていた。しかし、この頃の
先生の言葉は同じ言葉でも抵抗なく心にしみ入った。だから一たんやってしまえば
しまいだ。絶対やるまい、とかなり気負いながら元の生活に戻った。

123:げんじ
26/06/28 19:10:33.42 UMGl+rimH.net
***** 強度の強迫行為の徐々に全治した例 11

当初、何度も崩れそうになり、苦しかったが、二年近い社会人としての空白は大きく、
とても甘えてはおられず仕事に邁進せざるを得なかった。そうするうち全くやらずに
済むようになった。そしてその頃までは、強迫行為が止められるようになったのは
あくまで自分の意志の力が主だ、と思っていた。その間が退院後半年前後であった。
 その後になって初めて、自分が止められるようになったのは、実は先生の日常生活の指導、
打ち込み、講話等々、つまりあの環境そのもののお陰である、あの先生と環境がなければ
自分の意志力も生まれてはこなかった、ということがわかり始め自分の不明を大いに
恥じ入った次第である。そしてそれからは薄紙をはぐ如く、気がついたときには、
自分の意志と強迫行為は無関係の状態となって今に至っている。

124:げんじ
26/06/28 19:11:08.66 UMGl+rimH.net
***** 強度の強迫行為の徐々に全治した例 12

 ただし付言すれば、地獄の苦しみをしたあの頃の強迫観念、これは今でも同じように湧く。
汚いもの、不潔なもの、恐いものは以前と同じく感ずる。そのままで仕事をし、生活を
して行くことでそのまま通り過ぎてしまうことになり、そして先生の言われた退院後は
一目散に走り抜けていくことが行なわれるようになり、それだけで生活が流れていく。
そしてこの頃は全く手を洗う必要はなくなってしまった。それまでに入院してから
三、四年を要している。やはり年月がかかった。
 最後に、結局私はノイローゼによる長期休職、というより職場のノイローゼに対する
無理解により退院後一年半で職を辞し、一から出直しのつもりで食堂経営を手がけ、
今日ではチェーン化するに至りました。

125:げんじ
26/06/28 19:12:57.20 UMGl+rimH.net
***** 強度の強迫行為の徐々に全治した例 13

今では、自分が悪戦苦闘した経験を社員人材の養成に活用、教育等に大いに活かしている。
というより他に対するものよりむしろ、自分がノイローゼに陥ったことが、自分の弱さや
欠点、あわせて長所をも含めた自分自身を見直す良い体験であったとさえ思っている。
ここまでこれたのも偏に、鈴木先生のお陰であり、ひいては悪戦苦闘の戦果と、心より
感謝の念を深くしています。
 今後は、さらに走り抜けの速度をゆるめず、事業の安定を計り、しかるのち、高度に
複雑化した文明社会の現代病となったノイローゼの患者諸兄を救う一助たり得るよう
精進する所存であります。(六〇・一二)

************************************************

126:優しい名無しさん
26/07/01 13:01:10.13 fQEJTRRP0.net
森田先生みたいにせかせか生きたくない


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