24/05/25 16:35:17.81 VAr6cqR+0.net
>>309
私が言っているのはあくまでも、無能、低能、有能いずれであっても、自己認識と現実に乖離があり、それを受け入れられず、認められないのは自己の責任だということだ。
それはもちろん当然社会の責任ではない。
言わずもがな資本主義が悪いわけではない。
その乖離に苦しみ、死を選ぶのもまた自己の責任。
正しく自己を認識し、現実を受け入れる人はどれほど無能であろうとそれなりに満ち足りて生きていく。
介護職だろうと、Amazonの配達員だろうと、専業ウーバーイーツ配達員だろうと、それが自分の能力の得られる仕事や給与の限りなんだと理解できれば人はまずまず満ち足りる。
自分を理解できないから、「こんなはずではなかった」などと思うわけで。
逆にどれほど有能であろうが、理想があまりにも高ければ満たされず、現実とのギャップに苛まれ、死を選ぶ。
とどのつまり、個々人の己の人生の捉え方だということだ。
それが理解できないのに死んだところで、その死に一体どんな意味があるのか。