18/06/22 08:52:35.30 cIOtJ4eA.net
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昭和を語る面々へ
昭和30年代生まれリアル昭和の自分には随分誤解が多いと感じる。
まず昭和=バブルと思ってる人が非常に多いが、昭和時代のバブル3回(*1)合計しても10年にも満たない。残り50年以上はバブル景気ではなかった。
バブル景気だったから発達でも職があったわけではない。
発達ブーム以前の、昭和の発達児は、大人たちから「将来有望」「大物」と呼ばれていた。
揶揄でもあるのだが、一側面としては間違いでもなかった。
いまでいうADHDやASDのような性格の人は集団就職でも目立つ存在で、上長にすぐ顔と名前を覚えられ、様々な面で有利に働いた。
目上目下の序列がしっかりしていた一方で、
目上には喧嘩を売ってもよい(目下に喧嘩を売った者は卑怯者)、
目下に負かされた目上は、負かせた目下を讃える(目上が目下を負かせるのは卑怯者)、
ような習慣があり、目下から目上へ喧嘩を売ることがしょっちゅうあった。
暴力喧嘩だけでなく、仕事での競争でも口喧嘩でも、おおよそ争い事なら何でもこの習慣があった。
結果、いわゆる空気読めないADHDやASDが目上にタメ口利いたり反抗的な態度とったところで、目上のほうは「おっ!?目下が挑戦しに来たかぁ!?」と捉える程度だった。
無論、昔のADHDやASDが問題行動起こさなかったわけではないが、昔はいまとちがって庶民ベースでの様々なサポートがあった。
酒場のオヤジ、カミナリ爺さん、果ては愚連隊までもが、ADHDやASDが起こした表面的な問題行動について指導してくれていた。
愚連隊ですら、遥か格下なADHDやASDには暴力は振らず、ただ問題行動を怒鳴りつけて退散させるだけであった。
※ビンタやゲンコツはあったが、昭和時代は暴力にカウントしなかったのでご容赦を
ADHDやASDで擁護学校に入れられることは無かった。もちろん学校は特別な配慮なんて一切しなかった。
しかしこのような環境だったので、いわゆるADHDやASD的性格が原因で二次障害で苦しむ者なんて見たことなかった。