21/08/29 02:54:20.21 .net
>>97
当時のWeitek(P9100シリーズ等)やMatroxやATIは非常に非協力的だったが。
DOS時代から積極的にドライバー情報を公開してたのって、S3、Cirrus、Tseng Labsくらいだろ。
Matrox等がXFree86向けにバイナリーモジュール(drm-kmod)を公開したのはかなり後になってから。
Linuxに対してメーカーが協力する様になったのは、00年以降。
少なくとも、それ以前のLinuxの比較対象は、BSDではなく、Minixだった。
95~98年頃のFreeBSD2.xと同時期のLinuxとを比べても、FreeBSDの方が未だ上だった。
既に3GBクラスのHDDが数万円程度で市場流通してたのに、Linuxでは最大パーティションサイズがたったの2GBだってのに愕然としたよ。
少なくとも、FreeBSDにはそんな制限は無かった。
当時はFreeBSDはPC98版が有ったので、少なくとも日本国内ではLinuxよりも支持を得てた。
ノートPC向けのPlug&Playでは、PAOというプロジェクトが有り、日本国内のコミュニティーで活発に野良ドライバーが開発されていた。
newbus vs newconfig が原因で、国内のFreeBSDのドライバ開発者コミュニティが散っていった。