18/01/22 15:06:04.51 0oaG4SHV0.net
宗教学者や天理教外の人間がどのように天理教を見ているかというのは
信仰をより深めるためには無駄ではないと思う。
失礼を承知で申し上げるならば、私は何人かの天理教人と話して知的探究心や
他者(自己)理解を深めるという動機が薄いと思うことが多い。
「人間とは」というラディカルで実存を扱う宗教において、
人間理解を深める雰囲気が天理教人に薄いのは致命的であろう。
それは同時に予々、私が言っていることだが
原則論で物事を言い切ってしまう天理教人が多いことと表裏である。