14/04/11 03:02:08.51 bphn/gY90.net
突然のコーチ変更(地方紙 2014/2/24)
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恩人として感謝する前コーチの阿部さんとの出会いを、スケート人生の転機に挙げた。
ただし「そう言っていいのは分からないけれど」と少しはばかるように。
ジュニアより下のノービス時代から5年以上師事してトップ選手の仲間入りを果たしたが、
2年前に突然の別れを告げたからだ。(中略)
阿部さんとともに初出場で銅メダルを獲得した世界選手権から、
わずか1ヵ月後のコーチ変更だった。阿部さんはショックを受け、
オーサー氏も「前のコーチといい関係だったし、オファーに驚いた」と振り返る。
●元コーチの指導とプログラムを見下す(Number817 2012/11/22)
>「去年はジュニアの滑りだったけど、今はトップと争えるスケートをしてるっていう実感」
>「俺はね、一流になりたいんです。格を身につけたいっていうのかな。
>『絶対王者になる』なんて言ってた頃は、若かったんですよ。
>無理に背伸びして表彰台に指の先がかかってる、っていうのじゃ嫌なんです」
>「トロントに来なかったら何も変わらなかった。
>4回転サルコウの確立も低くて、プログラムもジュニアのままだった」
>「納得の演技ができれば、って言う傾向があるけど、本当は勝ちたいでしょ」
●海外に行く選手は真の日本代表という感じがしない(河北新報 2010/3/20)
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「今の練習環境を変えたくなかった。多くの日本選手は海外に行っているが、
真の日本代表という感じがしない。本当の日本代表、宮城県出身選手として大会に出たい」
●「行くって決めた後は、ワクワクしてきました」(Cutting Edge 2012+Plus 2012/7/27)
「新しいコーチに見てもらえる、その話が出たのは、世界選手権が終わってすぐのこと。
けっこう、バタバタでしたね。
カナダに行くこと、オーサーコーチに習うこと…。
去年習いに行ったモスクワのナタリア先生たちのところへ、って話も実はあったけど、モスクワはソチまではちょっと難しい、と。
他にも『こっちに行ったら?』『あっちへ行ったら?』って声も、いろいろかけていただきました。」
「僕自身も、『いつかは外の世界で学んでみたい』と思ってた。
(中略)
世界選手権で結果を出して、さあこれから改めてソチ、ピョンチャン�