24/05/25 20:59:45.19 1P86uLyx3
そして、借りている側の米国の国民の借金を、日本の国の国民が肩代わりして、替わりに借金を背負う形に成ります。
言い換えれば、日銀に積み上がった米国債が重荷に成って、日本側は新国債の発行が出来なく成るのです。
金融システムの基本的構造として、米国内の企業だけが、諸外国の企業に比べて、明らかに有利な条件を使っています。
どこの国も自国内の補助金や支援を受けて、自由市場経済の競争で、良い商品と良いサービスを売って経営しています。
ですが、アメリカだけは、他国の国民社会に借金を背負わせる、と言う有利な条件を使って、経営しているのです。
現在は、日本国内に於いても、日本国外に於いても、非公開が徹底されているので、国際世論の反発は有りません。
ですが、それに気付き始めた国は、ロシアやアフリカ諸国だけでは無いのです。
時間が経過すれば、遅かれ早かれ、全世界の規模で、国際世論の反発は回避できなく成ります。
日本の国内世論としては、いかがでしょうか。
そこに、今回の問題の焦点が関係します。
およそ選挙制度も、情報業界も、殆ど中国軍と韓国軍と台湾軍の実効支配下に有ります。
先住民タイプの日本人、いわゆる昔っからの日本人は、それらの業務の中枢に於いては、希釈されて機能していません。
即ちこの編の304段で既述した、「 領域主権の入れ替え 」に対しての捉え方です。
公式には、日本側の社会が施政権を行使している形の儘です。
ですが、非公式には、中国を形成する遺伝子の粒子の塊で有る人々が、日本側の領域で、施政権を行使している形です。
そして次第にゆっくりと個人の人権も希釈され、生存権も希釈され、人口比率も希釈され、ゆっくりゼロに向かいます。
終いに、大日本とも言われた清国の末路と同じで、古代から東インド人種が領域主権と歴史を営んで来た事に成ります。
ですが実は、この流れは、今現在のアメリカ合衆国が、デフォルトを発生しない為の、必須条件で有ったのですね。
ですから、非公式には、米軍の実効支配下でも有り、いわゆる合従連衡で、それらの実効支配下の形なのです。
それで、ここまでその様に解明して、何をか言わんとするのか、と言うと、言わば日本側の領域主権の再開です。
本日は、ここまでで、続きは、また明日。。
52:唐招提寺に思う事 308
24/05/26 20:36:47.85 lLnKsZXuo
「 最終的に、外国に取って、その方が都合が良いから。 」
「 それは、外国が国家崩壊を回避する為に必要だから。 」
「 なんでかんで、それは諸外国全体の利益に成るから。 」
この様な理由で毎年10万人も、病気を名目に命を奪われる事は、どこの国の国民も、受け入れる義務は有りません。
確かに日本の国は、ポツダム宣言を受け入れました。
ですから、大陸側の日本人種が、1億2千万人も殺害されても、干渉せずに、不服も言いませんでした。
ですが、日本列島側の日本人種、約1億人に於いては、条約で、生き延びる事がその時に正式に承認されている形です。
しかも、その条約を締結させる為の手段として、核兵器や大型火炎爆弾が、実戦で使用されていたのです。
罪も咎も無い、無垢の赤子まで、生きたまま顔の皮を焼かれて、呼吸不全で殺害されて、その条約が締結されました。
日本列島に存在する人間社会とは、その様な経緯で存在する社会です。
そこに再び、
「 最終的に、外国に取って、その方が都合が良いから。 」
「 それは、外国が国家崩壊を回避する為に必要だから。 」
「 なんでかんで、それは諸外国全体の利益に成るから。 」
この様な理由で、
イ. 軍事レベルで生存権の希釈と人口比率の希釈が進み、恐怖を覚える。
ロ. 殲滅に至る方向で領域主権の入れ替えが進み続けて、恐怖を覚える。
ハ. 軍事的に情報伝達が遮断され、事態の把握が出来ず、不安を覚える。
この様な現象が、一般的に確認できた場合には、どの様な事が予測されるでしょうか。
ここで言う「 一般的に 」と言う意味は、テレビやラジオでの公開討論、と言う意味では有りません。
公の場で、本音を口から言葉で現した場合は、自分と家族の安全が確保されない、と言う現下の日本の現実が有ります。
必然的に、中国軍や韓国軍や米軍などの、外国の軍隊との繋がりの無い、一般市民社会の中の話し合いの形です。
そして、その中の古代から存在する、侍の遺伝子の系譜を持つ人間社会の中で形成される、コンセンサス( 合意 )。
そうした話し合いの場での内容とは、どの様な内容でしょうか。
53:唐招提寺に思う事 309
24/05/26 20:39:45.08 lLnKsZXuo
順に列挙して見ます。
① 公式には国家主権も平和条約も尊重されている形だが、実生活で直面する社会の実相としては、消滅している。
② 社会の裏の現実は、予備戦の状況で有り、これに勝利して、平和条約が尊重されている生活を、再開したい。
③ 軍服を着た軍隊に依る宣戦布告の上での侵略で有れば、戦車で反撃も出来るが、マイクロでは反撃が出来ない。
④ 戦車で殺害された場合と違って、自家用車を武器として殺されても、過失運転致死傷の量刑相場は1年5カ月。
⑤ 相手側の一人一人の行動を個別に分析し、罪刑法定主義で対抗して防衛を達成しようとする所には、無理が有る。
⑥ マイクロや自家用車を武器とする、非公式に密かに行われる予備戦型の侵略に対応する防衛能力が、必要に成る。
⑦ 予備戦の段階で相手勢力の活動を制圧し、国家主権と平和条約が尊重されている生活を再開する戦略が必要に成る。
⑧ 具体的には、非公式に構築された形の、相手側の国家機能を希釈する、同じ種類の装置を使った活動が必要に成る。
⑨ 現代の日本の裏事情としては、食指が向けられた女子供、嫉妬心の対象に成った老人が容易に犠牲に成る。
⑩ 恐怖支配が固められた自治体では、性上納の強制も処刑の強行も、秘密裏に全社会的に、合意形成の上で行われる。
⑪ 先住民側の日本の市民も合意の上で行われる、と言う事は、外国勢力の植民側の市民も合意の上で行う現実が有る。
⑫ 即ち、外国勢力の植民側の市民は、家族計画や事業計画に対して、阻害や悪影響を受ける事は殆ど無く行われる。
⑬ 先住民側の日本の市民は、家族計画や事業計画に対して、阻害や悪影響を受ける事を目的として効果的に行われる。
⑭ 結局、家の中の会話の言葉まで検閲を受けた、古代ペルシャが受けたアレキサンダー大王に依る侵略被害と同じ。
⑮ 家庭も民間事業も、人種の入れ替えが進められ、どこまでも自由と生存権が希釈され、領土の横取りが進められる。
⑯ 国家の運営も、先住民側の日本の市民の求めるものは無く成り、外国勢力の植民側の市民の求める形に成る。
⑰ 最終的には、大陸側に存在した大日本とも言われた清国と同様に、歴史もろとも東インド人種の社会に入れ替わる。
⑱ 侵略や虐殺を止める為には、害敵手段を行使した人を個別に裁く考えでは無く、戦略的に制圧する戦果が求められる。
54:唐招提寺に思う事 310
24/05/26 20:45:57.34 lLnKsZXuo
その様に分析が出来た立ち位置から、再び、日本国内の問題に於ける、最小限度の「 出来る話 」に戻ります。
言わば、ハイテクの世界の中に出来た、唐招提寺の様な存在性のシステムに付いてです。
即ち、
「 区市町村の単位で、1985年以降に於ける予備戦で戦死した人、兵站として殺害された人の記録 」
これも、大きな抑止力に成る、貴重な社会資本との様に思われます。
重ねて、これが、どの様に役に立つのか、と言うと、一人一人の防衛は、ここまで説明した様に、出来ませんでした。
殺害に関してだけで無く、これまでは敵側に額づく事を強制される状況から、救済する事は出来ませんでした。
ですが、その一人一人が、どこの誰に依って、どこで、どの様に蹂躙されたか、どの様に殺害されたか。
その点に関しては、一般の市民生活者が想像も出来ないほどに、丁寧に精密に、記録し、保存する事が為されています。
これからは、そうした財産を活かして、波風立たない前提で、プログラムとして活用するのです。
例えば、侵略側の人達のグループが、日本人の自分達をスケープゴートにしている様な扱い方が、有った場合です。
その場合には、同じ装置、具体的にはサイバービジョン、エンハンススピーカー、マイクロユニットで扱う形です。
全て、侵略的な社会現象は、過去の事例から、関係する人間の遺伝子の粒子の塊の特徴から、予測するシステムです。
約1年ほど前から、高い確率で、それが発生する事を予測できるので、事前に、必要な機材と人材を配置できます。
事態が発生すると同時に、小さな実力勝負の段階で、鎮火出来る社会に成ります。
即ち、犯罪に依る恐怖で侵略支配を固める行為、領域主権の入れ替え、失われた自由な精神的感覚を正確に認識します。
そして怪我や病気や死や物損が発生する生存競争が及ぼされた地域に於いては、その競争で勝つ事に力を尽くす形です。
要点としては、気が付いて見ると、大きな犠牲が山積していた形だけれども、その生活競争手段は吸収された形です。
この後の世の、千代も八千代も、相手の国の塊や習俗の塊が、この日本の国内に有る限り、粛々と対応します。
その持ち込まれた競争手段で、盗みと強姦でボロボロにする侵略から、国民の自由と安全と生命財産が守られる形です。
続きは、また明日。。
55:唐招提寺に思う事 311
24/05/27 20:35:50.75 fJ8e0eX6i
端的に言えば、性の上納が、民族融和を目的とする平和的行動で有ると言う嘘に騙されない、と言う事です。
同様に、性の上納が、人権の向上を目的とする、人間性の向上に役に立つと言う嘘に騙されない、と言う事です。
それらは全て、古代から同じ歴史を繰り返している現象に過ぎず、侵略戦争を進める為に国を希釈する活動です。
それを平和的に進めている様に見せるけれども、密かに予備戦の殺し合いを進めて、抵抗する者を殺しています。
確かに、性の上納を進める活動は、それ自体が個人の単位で随喜の涙を流して悦び楽しむ為のものでも有ります。
ですがその戦略的目的は、それに抗う愛国心の濃い人間を浮かび上がらせて、戦術的に消滅させる為の活動です。
この日本の国の中で、良辨さんや鑑真さんや道元さんの肖像画や彫像や墓と思しき遺跡は、それを伝える物です。
では、この国の人々は、後世の国の人々に、何を見せて、自分達の宝物と思う思いを伝えようとしたのでしょうか。
それこそは、奈良の大仏で有り、万葉集で有り、唐招提寺の柱の年輪そのもの、だったのでは有りませんか?
「後世の時代にも、必ず構成を逆にして、戦略的に嘘の宣伝が行われるに違いない。
でも、柱の年輪は、嘘を付かない。
万葉集の言葉も、生き生きと、その時に人々がどの様に生きていたのかを、如実に物語って伝えてくれる。
何よりも、奈良の大仏のモデルにも成った菩提僊那(ぼだいせんな)さんの魂は、きっと後の世にも現れる。
その時に、貧しい農民の持っている僅かな銅銭から、お金持ちの浄財を合わせて、銅像を造った意味が解る。
その時に、この時代の人々の苦労と犠牲と、後世の人々の苦労と犠牲が、一緒に成って大きな力に成る。
再び壊れかけた人の世を、力強く回復する為の、神の御加護が生まれる。
今に生きる私達は、その人類享有の、大きく寛(くつろ)いで、心の全てが和む暮らしを求める心を信じよう。
いつの日にか、その心が、全人類に共有されて、その中で生きられる様に成る事を求めて、神に祈り続けよう。」
当時の人々の思いとは、この様に有ったのでは無いでしょうか。
実際のところ、私自身がその様なところに気が付いた切っ掛けは、やはり南インド人の人との出会いでした。
56:唐招提寺に思う事 312
24/05/27 20:39:26.82 fJ8e0eX6i
その女性が言うには、
「大和民族の大和魂は、もう完全に消滅して、この地上社会には、存在しなく成ったのですか?」
この様に私に訊ねながら、涙を流して下さいました。
それは、私が二十代の半ばの頃だったのですが、5年に1度くらいのペースで、偶に思い起こします。
この度、それを思い起こす切っ掛けと成った事とは、祖国の女史から、
「額(ぬか)づけば額づくほど、希釈されて行く。
こう言う事って、有るの? 本当に、これで、いいの?」
この様な言葉を授かった時です。
「なんで、俺にその様な重要な言葉を、祈る様な気持ちで、伝えてくれるのかな?」
この様な素朴な疑問、頻りで有ったのですが、思い起こせば、子供の時から、同じ様な現象が有るのです。
その一番の最初は、山菜取りの名人とも言われていた、私のお婆さんが、ある時、神妙な顔をして、
「 お前の父親は、あの通り仕事一途の人間だから、一代飛ばして、お前に一子相伝の技を伝承する。」
この様に言い出したのです。
聞けば、先祖は侍だったと言い出すし、その魂を伝承する為には、マムシの料理を食べる必要が有る、と言います。
「 女の自分が出来るのだから、お前にも覚えて欲しいが、出来るか? 」
この様に言うし、もう、矢の一念、岩をも通すと言う、感覚的な判断で、
「 女性に出来ると言うものを、男の俺が、出来ないで堪(たま)るかよぉ。」
この様な流れと勢いで、私が12歳の誕生日を一月ほど過ぎた年齢で、その伝授を受ける事に致しました。
私の服装は、厚手の合羽に厚手のゴム手袋、その継ぎ目をビニールテープでグルグル巻きで完全防備にしてくれました。
網に入れて1週間以上、完全に水没させて仮死状態にしたマムシを、水揚げしてから2分以内が勝負だと言います。
台の上に伸ばして、尾から7寸の所を5寸釘でガンと止め、首から1寸ほどのところも5寸釘でガンと止めます。
次に、目の下の毒腺の袋に有る毒を、下から広口の小瓶を押し当てて、上顎の牙から全部抜き取ります。
そこから見事な手捌きで、上顎を上に引きちぎる様にして、上半分から皮を剥ぎ取り、次に内臓を掻き出します。
そこまで出来てから、さながら鰻(うなぎ)を捌(さば)く様に、頭と尾の先を刎(は)ねます。
それから、焼酎で丁寧に、三回ほど洗浄殺菌を行うのです。
57:唐招提寺に思う事 313
24/05/27 20:46:43.33 fJ8e0eX6i
当に、鰻(うなぎ)を料理する様に、見事な手捌きと立ち居振る舞いでした。
まるで、神殿行事を一緒に行っている様な、不思議な境地に至りました。
その様に食材を料理してから、作業小屋の鴨居の脇で、1週間ほど直射日光と風に晒した後、1ヶ月ほどの陰干しです。
そしてカラカラに乾いた頃合いを見て、ある日、お婆さんが、私を呼び止めます。
「あれは、実は、とても高価な高級食材なのだけれども、怖がって食べる事が出来ない人もいる。
私は女だが、食べる事が出来るけれども、お前も、食べる事が出来るか?」
この様に言います。
私が食べると答えると、
「その前に、一つだけ、約束して欲しい。
もし日本の国で、女子供年寄りが、オモチャの様に扱われて、殺される時代に成った時には、命を懸けて行動すると。
この日本の国に、大和魂が消滅する様な、国家的な危機が及んだ時には、国と女子供を守る行動を約束して欲しい。」
この様に言うのです。
私としては、流れと勢いで、お婆さんの言葉を復唱する様に、固く約束しました。
そして、一回に食べる量は、一寸ほどだ、と言います。
まぁ、3センチほどの長さにポキッと折る様に、取り離して、更に1センチ四方位にして食べます。
ところが、食べてビックリ。
その3センチほどの全部を食べて、飲み込んでから3分ほどすると、体中に大きな異変が生じたのです。
体中が、ポッポ、ポッポと言う感じで、火照る感じに成るのですね。
ハッキリとした顕在意識として、どこのどの様な戦場にでも、いつでも繰り出せる様な豪気に満たされます。
その事をお婆さんに伝えると、ホッホ、ホッホと喜んでいました。
玄関に行って、鏡で自分の顔の色を見てくれば良いよ、と言うので、その通りにしました。
すると、鏡を見て驚きました。
まるで、父が晩酌で日本酒を二合も飲んだ時の様な、見事な鮮紅色に成っていたのです。
理由をお婆さんに尋ねると、生薬の中でも、最も強力な薬理作用の有る生薬なのだと、覚えて欲しいとの事でした。
本日は、ここまでで、続きは、また明日。。
58:正しい教産等総帥
24/05/27 20:54:10.59 qPhaJQobN
小池君
少しばかりの裏金問題より
国家債務政府発表1300兆円以上を
君は国会議員として国民にどのように処理するか
国民に回答してくれ、他人の所為にするなよ
今までしラッパくれていた張本人だ、高額議員報酬ただどり君
この2チャンネルで良いから回答してくれ
59:唐招提寺に思う事 314
24/05/28 20:39:35.87 1nWW+0GAx
祖母がその時に、ひと心地ついて、お役目を果たして安堵した、と言う様な顔で、
「この度の一連の儀式の様な事は、言ってみればお前の元服の為の行事の様なものだった。
そして、これから聞いて貰うお話が、その締めくくりのお話に成るから、そのつもりで聞いて欲しいんだ。」
この様に言うのです。
実際、神妙な顔をしている時のお婆さんは、不思議な神々しさと面白さに満ちていました。
男としての、当然の義務として、私も殊勝な心で、聞かせて貰いたいと、お願いしました。
「これは、お前の為の身分証明書の様な記憶と感覚を作る言葉なので、そのつもりで聞いて欲しい。
この家の先祖は、いわゆる侍だった。
元は京都で、飲み水を管理する係の用人だった様に伝えられている。
ある時に、国の中に討ち合いが発生した。
お前の先祖も、その戦に参戦していた。
その時に、自分達の侍大将が、戦場で会う筈の無い人間に出会った。
その人は、後醍醐天皇の息子の親王だったのだ。
その侍大将は、刀を後ろに収めて、跪(ひざまず)いて、
「ここは、親王がいらっしゃるべき場所では御座いません。
どうか、刀をお納めに成って、宮にご帰還ください。」
この様にお願いした。
だが、その親王は、
「私は侍として、この戦地に赴(おもむ)いている。
侍として戦地に赴いた以上は、戦わずして逃げる訳には行かない。」
この様に言って、切り込んで来たと言うのだ。
それが、少しぐらいの強さで有れば、手加減して軽く手傷を負わせる事も出来たが、物凄く強かったと言う。
その結果、その南朝の将軍の親王を討ち果たしてしまった、と言うのだ。
足利幕府三代将軍の足利義満は、傲慢で偉ぶっていたと言う悪口が有るが、全くその様なつもりは無かったと言う。
ただ、切らなければ切られると言う状況で切ったまでで、後は武士の作法で、その弟は子孫を残さない道を歩んだ。
60:唐招提寺に思う事 315
24/05/28 20:45:45.88 1nWW+0GAx
それで、ここからは、私個人の気持ちから、お前に聞かせるお話だ。
私も個人的に、このお話が有り得ることかどうかを、その筋の先生に聞いて見た時が有る。
すると、後醍醐天皇は足利尊氏の時代に活躍した人だから、足利義満の弟が後醍醐天皇の息子と斬り合う事は難しい。
そもそも、足利義満の兄弟は、確かに一人いたが、五歳で死亡しているから、斬り合える筈が無い、と言うお話だった。
私も、その様な気がするのだが、一子相伝のお話だから、何かほかに意味が有るかも知れないから、覚えていてくれ。」
概ね、この様なお話だったのです。
その様なお話だったので、私も、妙だな変だな、と、長年、その様に思い続けていたのです。
そして近年、インターネットで検索して見ても、
URLリンク(www.hakaishi.jp)
宗良親王
1311(応長元)年、後醍醐天皇の第四子として生まれる。
母は、和歌に秀でていたことで有名な藤原為子。(中略)
戦陣の中に集められた南方歌人の歌を、晩年自ら編集した『新葉和歌集』は準勅撰和歌集として後世に受け継がれた。
没年齢 63歳
==========
この様に、1374年に死亡している事を記述している立派なページが御座います。
ところが、近年に成って、全く別の記述も紹介される様に成っているのですね。
URLリンク(kotobank.jp)
宗良親王(読み)むねよししんのう
母は二条為世の女為子。(中略)足利尊氏が叛して乱世となるや、還俗して宗良と改名し、その後南朝のため信濃国
(長野県)を中心に東国各地に転戦した。弘和元年(一三八一)、後醍醐・後村上・長慶天皇三代の、南朝の君臣の
歌を集めて「新葉和歌集」を撰した。また、親王自身の歌集に「李花集」がある。応長元年(一三一一)生まれ。
==========
この様に、なんと、1381年に和歌集を編集して、後世に残している、と言うのですね。
つまり、少なくとも70歳までは、ご存命だった、と言う事です。
61:唐招提寺に思う事 316
24/05/28 20:50:18.74 1nWW+0GAx
少し、望みが出て来たなぁ、と思っていたら、もっと整合性を感じるものが出て来ました。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
宗良親王(菊池容斎『前賢故実』)
出生 応長元年(1311年)
死去 元中2年/至徳2年8月10日(1385年9月14日)
父親 後醍醐天皇
母親 二条為子
南朝:征夷大将軍(征東将軍説もある)
晩年については、『新葉和歌集』の選集がほぼ終わったと思われる天授4年/永和4年(1378年)に大河原に一度戻った事
が判明しているが、弘和元年/永徳元年(1381年)に吉野に戻って『新葉和歌集』を長慶天皇に奉覧して以後は、確たる
記録が残されていない。
終焉場所については(中略)『南朝紹運録』や『南山巡狩録』では、元中2年/至徳2年(1385年)8月10日に遠江国井伊城
で薨去(こうきょ)したと記されている。
また1940年(昭和15年)に長野県常福寺にある宗良親王尊像の胎内から発見された文書「常福寺文書」から、元中2年/
至徳2年(1385年)8月に大河原から諏訪の大祝氏の下へに向かう途中の峠道で討ち死したとする入野谷郷(現・長野県
伊那市長谷市野瀬)説がある
==========
この様に、なんと、1385年に討死している事を認めた文書が有る、と言う事なのですね。
因みに、京都の大河原から奈良の東大寺の大仏殿までは、歩ける道路の距離で約23㎞です。
そこに、正に伝承と合致する様に、足利義満さんも1385年に奈良の東大寺や興福寺を参詣している記録も出ました。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
至徳2年(1385年)には東大寺・興福寺などの南都寺院を参詣、(権力示威行為)を行っている。
しかし、嘉慶2年(1388年)8月17日には、紀伊国和歌浦玉津島神社参詣遊覧の帰りに、南朝の楠木正勝の襲撃を受け、
南朝に情報網を張っていた山名氏清のおかげでかろうじて命を救われるなど(平尾合戦)、これらの視察もいまだ安全
と言える状況では無かった(『後太平記』)。
========== 続きは、また明日。。
62:唐招提寺に思う事 317
24/05/29 20:36:21.87 HEbWvGx/q
更に、こちらをご覧ください。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
生誕 正平19年/貞治3年5月29日(1364年7月6日)
死没 応永25年5月14日(1418年6月29日)
改名 乙若丸(幼名)→満詮→勝山道智(法名)
官位 従三位参議。従二位権大納言。贈従一位左大臣
幕府 室町幕府
主君 足利義満→義持
父母 父:足利義詮、母:紀良子
兄弟 千寿王、義満、柏庭清祖、満詮、廷用宗器、宝鏡寺殿
妻 正室:藤原誠子
子 実相院増詮、三宝院義賢、浄土寺持弁、地蔵院持円、安禅寺比丘尼
足利 満詮(あしかが みつあきら)は、南北朝時代から室町時代にかけての武将。室町幕府第2代将軍・足利義詮の四男。
母は紀良子。第3代将軍・足利義満の同母弟にあたる。父・義詮と兄・義満より1字ずつ賜って満詮と名乗る。
生涯
幕閣にあって常に兄を陰から支えるような立場であり、永和4年(1378年)に義満が東寺に出陣した際には数百の兵を
率いて参陣している。
生母の紀良子とともに武者小路の小川第に住み、応永9年(1402年)に従三位参議、応永10年(1403年)12月には従二位
権大納言と出世を遂げるが、12月7日に小川第にて義満自らの手による剃髪をもって出家し、法名を勝山道智と称した。
人物
満詮は義満の同母弟として諸大名の敬愛を受けたとされ、その葬儀の際には「諸人これを惜しむこと父の如し」とまで
言われたという。 ★★満詮の子女はいずれも僧籍に入ったため、子孫は残らなかった。
==========
驚いた事に、第三代将軍の足利義満さんには、同父同母の弟さんが、実在していたのですね。
私の記憶では、1994年に東京大学の教授一人だけが、義満公の兄弟が千寿王一人だけでは無かったと発表しています。
ですが学会の中では変わり者の扱いで、その人以外の研究者や公的機関は、それを認める書籍を近年まで出していません。
実に、往々にして「 同母弟にあたる 」との様に、特記される所以です。
63:唐招提寺に思う事 318
24/05/29 20:40:52.43 HEbWvGx/q
でも、なぜ、それほどの偉い人物が、公式には、足利義満の弟として存在しなかった事にされていたのでしょうか。
私が大阪の営業所に勤務していたころは、1985年頃だったと思います。
その時に大阪の外環状線の外側の四条畷市に有る居酒屋さんに、古典の同好の士のグループが有りました。
そこには大学で教授をやっている国文学者の人もいらっしゃったのですが、義満の兄弟は一人だけ、と言うのです。
そして、「 千寿王 」と言って、たった5歳で死亡している、と言うのです。
なので、私の家の伝承の「 義満の弟 」の論には、無理が有る、との様に、申し訳なさそうに言うのですね。
「でも、伝承と言うものは、何か意味が有って存在するものですから、あなたはその伝承を続けて下さいね。」
この様に、優しく教えて下さいました。
そう言った国内環境と生活環境で有ったので、私は全然、気にしないで、お婆さんから聞いた話を伝えて来ました。
ところがどうでしょう。
近年のインターネットの時代には、実弟として足利満詮(みつあきら)さんが、存在した事に成っているのです。
生まれた年月日は、西暦1364年 7月 6日
出家した年月日は、西暦1403年12月 7日で39歳
死亡した年月日は、西暦1418年 5月14日で54歳
ここに、後醍醐天皇の皇子の宗良(むねよし)親王を重ね合わせます。
生まれた年は、西暦1311年
死亡した年は、西暦1385年9月14日(至徳2年8月10日)で74歳
更に今一度、その頃の足利義満さんの主な記録を考えます。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
至徳2年(1385年)には東大寺・興福寺などの南都寺院を参詣(さんけい)、嘉慶2年(1388年)に駿河で富士山を遊覧し、
康応元年(1389年)に安芸厳島神社を参詣するなど、視察を兼ねたデモンストレーション(権力示威行為)を行っている。
しかし、嘉慶2年(1388年)8月17日には、紀伊国和歌浦玉津島神社参詣遊覧の帰りに、南朝の楠木正勝の襲撃を受け、
南朝に情報網を張っていた山名氏清のおかげでかろうじて命を救われるなど(平尾合戦)、これらの視察もいまだ安全と
言える状況ではなかった。
64:唐招提寺に思う事 319
24/05/29 20:50:32.72 HEbWvGx/q
この様に整理して並べて考えて見ますと、一子相伝の伝承の有効性が、垣間見える感じでは無いでしょうか。
重ねて、後醍醐天皇の皇子の、征夷大将軍の宗良(むねよし)親王の死亡した年月を考えます。
死亡した年は、西暦1385年9月14日(元中2年/至徳2年8月10日)で74歳です。
足利満詮(みつあきら)さんの生まれた年月日は、西暦1364年7月6日です。
すると、西暦1385年9月14日(元中2年/至徳2年8月10日)で21歳です。
現代の生活感覚で判断する場合には、有り得ない対戦です。
プロゴルフトーナメントで言えば、バリバリのレギュラー選手とグランドシニアの対戦で、勝負に成りません。
ですが14世紀ごろの中世に於いては、刀を使う技術の競争は、現代の投票を集める技術の競争と同じでした。
刀を作る製鉄技術に於いても、生活必需品を作る商品生産技術に於いても、その歴史は、現代より短い時間でした。
必死に成って技を磨く競争に於いて、優れた技術を持っている人間をこそ、神が支持を表明している、と言う感覚です。
現代の遺伝子学者の分析と研究の結果としての結論として、知能指数は、その当時の方が30%ほど高かった形です。
知能指数は高かったけれども、文明を進化させる為に蓄積された時間の長さが、短かっただけ、と言うのです。
そうしたところから、何をか言わんとするのか、と言うと、時代を背景に考えた場合の、その状況の整合性です。
相手の年齢を見て、討ち合いをやめて帰る、と言う時代では無かったのです。
一度、戦(いくさ)と成ると、そう言うものなのです。
そして、その上で、私のお婆さんの伝承のお話に戻ります。
その討ち合いが起きた時とは、三代将軍の足利義満さんが東大寺、興福寺などの南都寺院を参詣した時、と言います。
すると、必然的に、西暦1385年旧暦8月10日頃、と言う事に成るのです。
それで、なぜ、北朝の足利満詮(みつあきら)さんが、南朝の宗良(むねよし)親王の顔を知っていたかです。
伝承に依れば、南朝の宗良親王は、名の知れた刀の使い手で有るばかりで無く、和歌の作り手としても名手だったのです。
若い足利満詮さんに取っては、憧れの英雄だったので、度々歌会に忍び込んで、和歌の勉強をさせて貰っていたのです。
続きは、また明日。。
65:ドン百姓
24/05/29 20:55:39.15 VSoz+oZqg
政務活動費は右翼、893に悪い事するなと渡すこずかい銭
66:ドン百姓
24/05/30 09:22:18.94 4BtWk8P+D
僕にはコナイ政活費
辞めてくれ、俺に稼ぎ無し
67:唐招提寺に思う事 320
24/05/30 20:38:18.59 Zr+hsU5bn
当時の状況に関しては、こちらの資料をご覧ください。
URLリンク(www.meihaku.jp)
1358年(正平13年・南朝/延文3年・北朝)、足利尊氏が没すると、室町幕府第2代将軍には嫡男の足利義詮が就任。
( 中略 )
南朝の「楠木正儀」(くすのきまさのり:楠木正成の三男)が中心となって和平交渉を進めましたが、両朝のトップ
である足利義詮と後村上天皇が相次いで没したことで頓挫。
南北朝の合一は、室町幕府3代将軍となった足利義満に委ねられました。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
足利義満
貞治6年(1367年) 11月になると、父・義詮が重病となる。
貞治6年(1367年) 12月 7日に義詮は死去し、義満はわずか10歳で将軍家の家督を継いだ。
応安元年(1368年) 4月15日、義満は管領細川頼之を烏帽子親として、元服した。
応安2年(1369年) 12月30日、義満は朝廷から征夷大将軍宣下を受け、第3代将軍となった。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
後村上天皇 第97代天皇 南朝第2代天皇
在位期間 1339年9月18日 - 1368年3月29日
誕生 1328年(嘉暦3年)
崩御 1368年3月29日(正平23年3月11日)
(中略)
貞治6年(1367年)4月に勅使の葉室光資をして幕府との和睦交渉が行われたものの、天皇は武家側の降伏を条件に要求
したため、義詮の怒りを買った末に和議は決裂している。
この年にはもう病気がちであったらしく、応安元年(1368年)3月11日子刻に住吉大社宮司津守氏の住之江殿にて崩御。
==========
即ち、南朝と北朝の合一は、1392年にポンと簡単に出来たのでは無く、その前に平和な期間が有った形です。
足利義満さんの治世では、守護や守護代が、南朝でも北朝でも、同じ道路を使い、好きな方に納税する仕組みでした。
68:唐招提寺に思う事 321
24/05/30 20:43:38.57 Zr+hsU5bn
今では、とても、その様な危ない真似は出来ない事ですが、当時は、そのぐらいの典雅な時代だったのです。
ですが、その関係で、いつも開かれる歌会が無い事を不審に思った、その義満さんの弟は、様子を覗いたと言います。
ところが、歌会の代わりに、戦の準備をしているので、
「あぁ、これでは、兄の参詣が危ない。」
との様に思って、自分が警護の役に付いて、命懸けで守った、と言うのです。」
その結果が、どうなったかに付いては、ここまで述べた通りに御座います。
決して、好んで南朝の征夷大将軍で有り、後醍醐天皇の皇子で有る、宗良様を斬り殺したのでは無いのです。
斬らなければ、兄が斬り殺されて、日本の刀と鍋鎌の輸出で漸く拡大した日中経済も、再び戦乱の世に落ちる状況でした。
そして、武士の作法に則(のっと)って、征夷大将軍を斬った侍の足利満詮さんの家は、後に廃絶しています。
西暦1403年12月7日の39歳で、仏門に入り、子供達も全て、仏門に入らせて、侍としては廃絶している形です。
ただ、弟の命懸けの奮戦で、辛うじて命を長らえた、三代将軍の足利義満さんの気持ちとしては、惜し過ぎるのです。
何しろ、南朝の宗良親王に勝るとも劣らない、刀の名手でも有り、和歌の名手でも有ります。
何よりも、国を思うその篤き心こそは、国の宝だと思っています。
今で言うところの、その遺伝子は、この世に残して貰いたい、と言う思いが有った事は、人として当然の心でした。
それで、これもまた、後世に悪口を言われる原因に成った形ですが、その時代らしい妙案を考案したのです。
と言っても、悪口を発生する、主な原因は、国の外側の遺伝子の粒子の奴(やっこ)型の作用に依るものです。
と言いますのも、日本語で「側室」と書くと、彼らは「妾(めかけ)の二号さんが居住している部屋だ」と言います。
そして戦後の強迫観念と忖度の作用で、現代の日本の常識の様に成っています。
ですが、当時の意味は「お姫様の小間使いの女性が居住してる部屋」と言う意味です。
そこに、足利満詮さんの妻が妊娠した時に、出産するまで預かっています。
そして、出産した時に、自分の子として待遇しているのです。
それは、大和民族の侍社会の中に於いては、典雅で涙が浮かぶ人情劇なのですが、人を喰った様な話に変化しています。
69:唐招提寺に思う事 322
24/05/30 20:51:21.68 Zr+hsU5bn
この様に論を展開しまして、何を言わんとするのか、と言うと、「 唐招提寺に込められた思い 」です。
この「 思い 」と言うものは、軽い場合も有れば、非常に重い場合も有ります。
また、時の移ろいで、全く逆の方向の意味に成る場合も御座います。
それを見る人の立場や状況で、千変万化する事も有る、と言う歴史的な実例を、紹介させて頂きました。
その千変万化して、全く180度逆に成ってしまう場合が有る、と言う意味に於いて、この唐招提寺は顕著な存在です。
言わば、南蛮渡来の本音の解らない宗教指導者の思いを、本願とするのか。
或いは、先祖代々何百年も心血を注いで、磨いた思いを、本願とするのか。
普通は、その国それぞれに事情が有るとしても、通常は、そうした問題では、迷う事も、混乱する事も有りません。
何しろ最終的には、自分達の大切な家族や職場や祖国の存亡が掛かって来る問題なので、不確かな存在は断ります。
良く解らない存在を、解ったつもりに成って済む問題では、無いからです。
そうした意味に於いて、外国人に依る内政干渉や、外国に対する忖度が無かった時代の「 思い 」を確認します。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
もともとは元禄年間(1688年 - 1704年)に徳川将軍家歴代の位牌を祀る御霊殿として建立されたものだが、1881年
(明治14年)に現在地に移築されると、(中略)覚盛上人、聖武天皇、徳川家康を祀って「本願殿」と改称されるが、
2013年(平成25年)に開山堂に改称された。現在は鑑真和上坐像の「御身代わり像」が祀られている。
==========
この様に、江戸時代や明治時代には、「 本願が叶った事を象徴する殿堂 」と言う思いをそのまま体現した形でした。
そこに、外国人から及ぶ恐怖支配、影響感化、外国に対する忖度と言う心理作用が発生して、対照的に変化しました。
変化して、どう成ったのかと言うと、「 南蛮渡来の本音の解らない宗教指導者が開山した事を象徴する殿堂 」です。
どうして、こう成りますか?
普通の作用では、こう言う事には、成りません。
それは、正に人を喰った偽装力の発露の形です。 続きは、また明日。。
70:唐招提寺に思う事 323
24/05/31 21:16:36.88 Mr6v8IUyf
調べて見ますと、その元禄年間(1688年 - 1704年)に徳川将軍家の歴代の位牌を祀る御霊殿を造った人は、綱吉です。
これもまた、不思議なほど、渡来の人々、東インド人社会が嫌う将軍ですよね。
何しろ彼らの食文化を蔑む様に、犬を食材として食べる事を、名文法で禁止した将軍です。
しかも、父の第三代将軍の徳川家光が、長崎の出島と鎖国体制を完成した後に、更に国を安定させています。
URLリンク(www.touken-world.jp)
末期養子禁止の緩和を行い、大名に嫡子がないまま死に瀕した場合、家を断絶させないよう、養子を取ることを許可。
また、没した主君の後追いを禁ずる「殉死の禁止」を施行します。
さらに、大名やその重臣の妻子などを人質として江戸に住まわせていた「大名証人」を廃止。
徳川家綱の武力統治からの路線転換を図ったこれらの施策は「3大美事」と呼ばれ、評価されています。
==========
これほど優れた征夷大将軍が唐招提寺に帰依して、徳川家の歴代の位牌を安置する本願殿を、唐招提寺に造っています。
また、徳川家康公の霊廟として元和3年(1617年)に、日光東照宮を創建したのは、祖父の徳川秀忠公です。
ですが、境内の主要な社殿は 寛永13年(1636年)に、父の将軍徳川家光公により造営が行われたものです。
その様に国の安泰を固めた、祖祖父の家康公と祖父の秀忠公と父の家光公の三代の魂を、唐招提寺に安置しています。
ここまで、諄いほどに説明する理由は、外国の宣伝で、思いが倒錯しない様に気を付けて欲しいからです。
思い起こせば、奈良の大仏も、立派な銅像です。
そこには、それだけ朽ちる事の無い尊崇の思いが、込められている形なのです。
そうした、公理に基づく定理としての一般論を念頭に、
「どう言う思いの場合に、この様な物の作り方をするのだったかな?」
この様な、客観的な視点で、見て頂きたいものが有ります。
下のリンクに紹介されている彫像です。
URLリンク(www.mlit.go.jp)
鑑真和上座像
この鑑真の像は、日本最古の肖像彫刻であり、奈良時代(710〜794)に盛んだった脱活乾漆造の代表例です。
71:唐招提寺に思う事 324
24/05/31 21:19:07.79 Mr6v8IUyf
この像は鑑真の没年 763 年に完成したと推定され、鑑真の弟子の一人忍基がこの像の制作を指導したとされています。
脱活乾漆造では、漆を塗った麻布の層を粘土に貼り付ける工程があります。
像の調査で、鑑真の像に使用されている麻の素材は実際に使用された衣類からのものであることが明らかになりました。
僧侶の衣は麻の織物で作られる傾向があり、鑑真自身の服が像に着せられているという可能性につながります。
==========
因みに、ここにボロに付いての解説を引用します。
URLリンク(dictionary.goo.ne.jp)
ぼろ【襤=褸】 の解説 《擬態語「ぼろぼろ」から出た語》
1 使い古しの布。ぼろきれ。「—で靴を磨く」
2 着古して破れた衣服。また、つぎだらけの衣服。「—を着る」
3 隠していた都合の悪い点。また、失敗。「—を隠す」
4 破れたり、こわれたりしているもの。また、役に立たなくなったもの。「—くず」「—家」
==========
宜しいでしょうか。
これは飽くまで、形而上的な類推の範囲のお話なので、実際の事として、現実の社会に引用する事はご遠慮ください。
場合に依っては、命の奪い合いに成ります。
これは飽くまで、寝てる間に国が丸ごと盗み取られる様な、悲惨な結果を防ぐ為の用心として行う、非公式の考察です。
日本人は往々にして、a sucker サカー = だまされやすい人、青二才。
a dupe デュープ = ぼんやり者、間抜け。
a sitting duck シティング・ダック = 攻撃しやすい標的、騙しやすい獲物。
この様な見方をされ易い、善人だらけの国なので、サステナブル( Sustainable = 持続可能性 )を確保する気持ちです。
その上で申し上げるのですが、本当に大切に思う人物の像で有れば、
「 通常は、変形止めに心木を入れるが、和上像にはない。 」
この様な作り方は、しませんでしょ?
と言うか、本当に感謝と尊崇の念で作るので有れば、あのインド人を模した奈良の大仏の様に、銅で作るでしょ?
その様な事は、普遍的に存在する一般論でしょ?
72:唐招提寺に思う事 325
24/05/31 21:24:20.59 Mr6v8IUyf
つまり、本当に唐招提寺を造った人の思いとしては、鑑真さんは、主体的な存在性では無い、と言う事なのです。
重ねて、唐招提寺の主体側の存在性で有る、不変不朽の存在性に対しては、対照的な存在性、と言う事なのです。
即ち、 イ.変形止めの芯木が無い。
ロ.ボロ布を重ねた仕上げ。
ハ.長く経てばボロが出る。
普通、この様な構造で肖像を作る場合と言うのは、相当にネガティブな場合ですよ。
つまり、その存在が信頼に足りる存在かどうか、と言う点に於いては、信頼に足りない作り方です。
と言うか、ご近所に寺の有る人で、幾度も中に入る事が有る人の場合は、それが意味するところを想像出来ます。
はい、有り体に言えば、その構造は「餓鬼」の像を作って配置する時に使う構造なのです。
そういった像は、拝む為の存在では無く、ただ単に「その様な存在も有るので気を付けましょう」と言う形です。
何の為に有るのか、と言うところを、要点を上げれば、
イ.どの様な存在にも尊崇の念を持っても良い、と言うものでは無いよ。
ロ.何でもかんでも容易に信用していると、酷い目に遭(あ)うよ。
ハ.落ち着いてゆっくり確かめて見れば、必ずボロが出て来るよ。
決して、ここで最終的に確定するものでは無く、その様な構造で作る場合の一つの傾向としてのお話です。
その意味で、そうした構造で作る場合には、往々にして、その様な警句や啓発の意味が有る、と言う形です。
そして、その様な警句や啓発を無視して、その様な存在を軽々に信奉してしまうと、スケープゴートにされるのです。
重ねて、ここで言うスケープゴートとは、
イ.一つには、他人の罪や責任を背負わされた立場の弱い者にされる事。
ロ.一つには、悪者に仕立て上げられてホロコーストの対象にされる事。
ハ.ついには、国の生存権も国民の財産も幸福も生存権も消滅に向かう。
即ち、292段と293段で説明した通りに、知らない内に「 トロイの木馬 」の流れで、危機に陥る場合が有ります。
故に「 軍人軍属が敵を攻める為に必要な心の鉾 」の中の「 イ.自分の視野の範囲に入る敵側の人間を偵察する感覚 」。
この種の心や感覚に油断しない様に、と言う意味の警句として、その像が有るのです。 続きは、また明日。
73:唐招提寺に思う事 326
24/06/01 20:23:56.18 4laqnj5Sn
ここで、日光東照宮の存在性に付いても、唐招提寺に関係する事なので、考察を試みておきたいと思います。
と申しますのも、外国勢力の中には、隙あらば、日本の国の固有の領土作用や魂を貶めようとする感じが有ります。
そうした国外に対する作用は、日本の国にも、どこの国にも大なり小なり有るもので、回避できない不完全さです。
そうした作用に対しては、その国ごとに、用心を固めると言う責任を果たす事が、神から求められる形と思われます。
所謂(いわゆる)、日光東照宮に対する誹謗中傷の形として、どの様な言葉の使い方が有るのかと言いますと、
「 徳川家康は逆上(のぼ)せ上がって、自分を神格化しようとした。 」
この様な形に成ります。
ですが、家康本人は、決して豪華絢爛な建物で神格化しろとは言っていません。
実際に、元和3年(1617年)に創建された、当初の日光東照宮は、こじんまりとした質素な建物に過ぎませんでした。
それで充分に、徳川家康さんの目的は、達成された形でした。
では、その徳川家康さんの目的とは、何だったのでしょうか。
それを知っていた人こそは、唐招提寺の境内の北側に、徳川将軍家の歴代の位牌を祀る御霊殿を建立した人でしょう。
即ち、元禄年間(1688年 - 1704年)に、後に本願殿と称される建物を建立した、第五代将軍の徳川綱吉さんです。
では、徳川家康さんの思いとしては、なぜ質素な霊廟を栃木県に立てて、唐招提寺に位牌を置いて本願なのでしょうか。
栃木県と言えば、日本三戒壇の一つで東日本最重要寺院で有った、下野(しもつけ)薬師寺の有った場所で御座います。
その御本尊の薬師如来に関連して、こちらをご覧ください。
URLリンク(www.horyuji.or.jp)
釈迦・薬師・阿弥陀像の頭上には、それぞれ華麗な天蓋(てんがい)が吊り下げられています。(中略)
この像は、釈迦の像でありながら聖徳太子その人の像でもあり、法隆寺が太子菩提の寺でもあることを物語っています。
==========
即ち釈迦像を中心に、西の阿弥陀如来に並んで、東の薬師如来を祀(まつ)っている寺が、下野薬師寺でした。
その下野薬師寺は、奈良時代には興福寺などの都の寺と並ぶほどで、東国随一の寺として隆盛を極めた寺でした。
74:唐招提寺に思う事 327
24/06/01 20:27:32.75 4laqnj5Sn
ですが、その下野薬師寺は、鑑真さんと同じで、宗教を軍事的な偵察手段として悪用した、道鏡の死没した場所です。
結局、道鏡の死没した場所、と言う関係で、その後は、すっかり廃れてしまっていたのです。
ですから、至って単純明快に、遍(あまね)く国民の全ての人々の福利の享受を願って、
「 西方浄土の実現に向かう阿弥陀如来と並ぶ様に、東方浄土の実現に向かう薬師如来の再興に、貢献したい。」
この様な思いから、
「 この様に成功した徳川家が奉っているご本尊の仏様は、薬師如来なのですよ。」
この様な趣旨の鎮守社、即ちお寺に付属する神社の存在性の宗教施設を作った形なのです。
同じ心から、聖徳太子の本願を寺にした形の唐招提寺の境内の北側に、後に本願殿と称される御霊殿が建立されました。
即ち元禄年間(1688年 - 1704年)に、第五代将軍の徳川綱吉さんは、聖徳太子の思いに準拠する姿勢を体現しました。
それを受けて、1881年に、明治政府の立場から、聖武天皇、徳川家康を祀って「本願殿」と改称しているのです。
この様に、唐招提寺に関係する事の全て、時間的にも空間的にも、全体を俯瞰する様に統合して見ますと如何ですか?
ここまで記述した論理で有れば、全てに関して、論理的で整合性の有る説明に成っているのでは有りませんか?
江戸時代には「 本願殿 」としなかった理由は、その時代には朝廷や皇族の中に、国を統べる人材が無かったからです。
代わって、江戸幕府が室町幕府を模して貨幣経済を再興し、東アジアから東南アジアや南アジアまで繁栄を生みました。
即ち、稲の種籾と鍋鎌を量産して、東アジアの清国や東南アジアの越国やタイ王国に、活発に輸出を行いました。
それに依って、関係相手国も日本国内も、貨幣経済の発達と共に、経済規模が拡大しました。
宜しいでしょうか。
ここでの一つの焦点は、言わば戊辰戦争で勝利した明治政府の国が、敗戦した江戸幕府の国の先祖を祀っている形です。
戊辰戦争は、慶応4年/明治元年1868年から1869年までです。
明治政府が、本願殿と言う宗教施設を完成した年は、1881年で、それから12年後です。
その様な経緯で、敗戦国の初代代表だった徳川家康を、戦勝国の代表の明治政府として、聖武天皇と共に祀ったのです。
75:唐招提寺に思う事 328
24/06/01 20:35:35.18 4laqnj5Sn
そこに有った、篤(あつ)き思いとは、いかなるもので有ったのでしょうか。
ここで、この編をここまで記述した作者として、或いは国民の一人の責任として、思うところを述べて見ます。
イ.「 いままで国の守護と繁栄の為に尽くして下さり、有難う御座いました。」
ロ.「 あなた方の功績は永遠に、不変不朽のもので有り、ここに奉る次第です。」
ハ.「 あなた方の思いと心は、明治政府も享有しているもので有り、更に発展させる覚悟です。」
二.「 即ち、女子供年寄り達が、その心の尊厳と自由を永遠不変に継承できる様に、国を続けます。」
ホ.「 永い間、国を思い、国の民の為に尽くし下さり、大変に、ご苦労様でした。」
概ね、この様な言葉に成ろうかと思われます。
地上人類、世界諸国の数々の戦争の中で、ある意味に於いては、その戊辰戦争は、世界最大の戦争でした。
即ち、民間人が生活している民家や町に砲撃などの破壊を加えない戦争としては、空前絶後の最大の戦争でした。
それほどの大きな戦争の後で、戦争で戦った敗戦国側の祖先の魂を祀る宗教施設を建立する形。
それこそは、政策や途中の道筋は違っていても、目指す目的は同じ、と言う思いと心の証明で御座いましょう。
そして、人類史上最大の侍型の戦争の後で、思いと心の正当性を証明する場所として選ばれた場所が、唐招提寺です。
この「 唐招提寺 」と言う名称の「 唐 」と言う文字の意味に付いても、一家言(いっかげん)御座います。
第二次世界大戦の後の、白人列強国の占領教育に依って、その文字の意味は、「 東インド人種の国 」を意味します。
ですが、その占領教育の前の意味は、「 日本の天皇統合から離脱して、大陸で定住している日本人種の国 」です。
ですから、「 日明貿易 」の意味も、同じ日本人種と日本人種の間の「 循環型の経済活動 」でした。
即ち、明国では鍛鉄鍛造の刃物を作る技術も無く、稲の種籾も作れないので、日本で作る。
その替わりに、日本でもその気に成れば作れるけれども、役割分担として「 永楽通宝 」と言う銅銭を明国で作る。
その銅銭は、大陸側の国と日本列島側の国の両方で利用して、共に貨幣経済を発展させる、所謂、大東亜共栄圏でした。
本日は、ここまでで、続きは、また明日。。
76:唐招提寺に思う事 329
24/06/02 20:24:56.62 eaLfN/SY3
この様に、関係する事柄の全てを俯瞰する様に検証して見ますと、いかがですか?
意外に、今までどれほど、自分の心に自由が無かったか、と言う感じの驚きが有るかも知れません。
そして、なぜ、1840年からのアヘン戦争や、1941年からの太平洋戦争が、白人列強国に依って生み出されたか。
その理由も、垣間見えて来ます。
そのどちらも、世界最新鋭で最大の鉄製の軍艦や、世界最新鋭の高高度爆撃機の投入と言う、国運を掛けた形でした。
白人列強国の中の主体の勢力が、なぜ、そこまで東アジアに入れ込んでいたのでしょうか。
それは、実に、「 唐招提寺に掛けた篤き思い 」の中の、
「 二. 女子供年寄り達が、その心の尊厳と自由を永遠不変に継承できる様に、国を続けます。」
ここなのですね。
この様に申し上げると、お笑いに成る人も、いらっしゃるかも知れません。
ですが、戦争の根源的理由とは、その様なものなのです。
具体的に、どの様に繋がるのか、と言うと、ユダヤ民族の巨大財閥に依る金融支配に関係します。
白人列強国に於いては、金利を取る形で他人にお金を貸す行為は、神の顔に泥を塗る行為とされて禁止されていました。
つまり、ユダヤ教から生み出された旧約聖書に依って、白人列強国はロスチャイルド家が金融を支配する体制でした。
ユダヤ教から生み出されたキリスト教の旧約聖書の教えとして、全世界に教えを広げる布教が推進されていました。
それに依って、善良な人間の顔を見せて、布教と言う、善良な心を広めたいと言う稀有な活動を世界諸国で始めました。
結局、軍事的な偵察が容易に出来る様に成り、関係した相手国の軍事的な弱点と財宝の在り処(か)を突き止めます。
その様にして、世界中から金貨や砂金を集め、それに金利を付けて貸し出して、欧州諸国の黄金時代を築きました。
ですが、そこに障壁と成った存在が、世界の東の外れに有った国の「 ジャパン 」と言う国だったです。
因みに、現代では、マルコポーロの東方見聞録では、中国を勘違いして日本と表記していたと言います。
ですが、遺伝子分析と言う科学技術に基づけば、勘違いは、マルコポーロでは無く、現代社会なのです。
77:唐招提寺に思う事 330
24/06/02 20:27:32.34 eaLfN/SY3
それで、なぜ、ユーラシア大陸の東端に、日本人種の大国が残っていると、都合が悪かったのか。
この点が、ここでの最終的な疑問点に成ります。
それも、彼らの繁栄の原点を検証して見ますと、言ってみれば簡単な道理です。
A. 全世界に広める目論見で、宗教の経典を創作すると言う一つの不正で、巨万の富を得る錬金術で、陶酔した。
B. 全世界の国々で、善良な人の顔を見せて、善良な心を広めたいと言う布教スタイルで、偵察目的を完遂して陶酔した。
C. 偵察を完遂した標的の国に対して、金貨や砂金の強奪を行って、巨万の富を得る航海で成功して、陶酔した。
この様な、所謂、治外法権的な手段で利得を得る事を繰り返して、陶酔する事を繰り返す事は、中毒を発生します。
即ち、Aの場合は、ネガティブな視点から見れば、不平等な規制なので、「不正中毒」です。
Bの場合は、日本的に言えば「二束の草鞋(わらじ)中毒」、西洋的には「トロイの木馬中毒」で、「偽装中毒」です。
Cの場合は、「戦争中毒」と「虐殺中毒」と「植民地支配中毒」です。
更に、このCの場合には、現代のネタニヤフさんの様に、「覚せい剤中毒」が自然に付帯します。
ちょっとした切っ掛けで、迷いや不安や良心の呵責などが発生した時に、メタンフェタミンを服用すると陶酔します。
更に、金貨や宝石を盗み放題で有れば、自然に付帯する行動として、女子供を盗んで、性の上納を強制して陶酔します。
所謂(いわゆる)「 性の上納中毒 」は、「 宗教の経典を創作すると言う一つの不正 」から生まれて来たのです。
そして、こうした一連の不正と中毒は、アヘン戦争の始まる1840年の頃には、全世界に蔓延していました。
ですが、その彼らに、「 壁 」が立ちはだかった形です。
その場合の壁とは、南アジアから東南アジア、そして東アジア諸国にまで広がっていた複数の国々で信仰する仏教です。
特に江戸幕府の国から、後に明治政府の国に継承された「 唐招提寺に掛けた篤き思い 」の中の、
「 二. 女子供年寄り達が、その心の尊厳と自由を永遠不変に継承できる様に、国を続けます。」
この思いと心が、前述の様に虚栄心と欲望を満たして陶酔する存在性の社会に取っては、邪魔そのものだったのです。
78:唐招提寺に思う事 331
24/06/02 20:32:43.89 eaLfN/SY3
どうして、「 中毒に依って、虚栄心と欲望を満たして陶酔する存在性の社会 」、これが、
「 女子供年寄り達が、その心の尊厳と自由を永遠不変に継承できる国 」
これを邪魔だと考えるのか、と言うと、その数々の中毒の一番最初の、不正を浮き彫りにしてしまうからです。
即ち、前述の、
A. 全世界に広める目論見で、宗教の経典を創作すると言う一つの不正で、巨万の富を得る錬金術で陶酔した。
B. 全世界の国々で、善良な人の顔を見せて、善良な心を広めたいと言う布教スタイルで、偵察目的を完遂して陶酔した。
C. 偵察を完遂した標的の国に対して、金貨や砂金の強奪を行って、巨万の富を得る航海で成功して陶酔した。
言い換えれば、
「 治外法権的な手段で利得を得る事を繰り返して、陶酔する事を繰り返す社会 」
この様な社会そのものに於いても、この様な社会から植民地支配を受ける社会に於いても、救いが有りません。
「 救いが無い 」と言う意味は、
「 女子供年寄り達が、その心の尊厳と自由を永遠不変に継承できる国 」
この様な国には、決して成れない、と言う意味なのです。
それは、それらの社会の実際の様子を自分の目で見て、比べる事が出来た場合に、鮮烈なまでに明確に意識されます。
数人が密かに見て、密かに意識しただけで有れば、問題有りませんが、その内に必然的に一般的に知る様に成ります。
すると、どう言う真実が、鮮烈なまでに明確に、社会全体で一般的に意識される様に成りますか?
はい、最初の不正が、浮き彫りに成ります。
新約聖書は、神が造らせたものだけれども、旧約聖書は、ユダヤ教の人がお金を儲ける為に作った創作品なのです。
シェークスピア( 1564~1616年 )のオペラ歌劇の脚本と同じ頃に、同じ様に営利目的で作られていたのです。
その様な実相で有ればこそ、現代に於いても、その中毒に陶酔した有り様で、のうのうとガザ大虐殺が出来るのです。
即ち、それら最初の不正の首謀者の魂を継承している国々は、未だに、植民地支配中毒の特質を恥じる事も無いのです。
同じ因果で、古代から信仰に基づく独立国家の歴史を持つ国を、未だに、独立国家と認めない在り方でいられるのです。
本日は、ここまでで、続きは、また明日。。
79:唐招提寺に思う事 332
24/06/03 20:36:39.00 szxM4EHKz
同様の地政学的必然性から、大陸に有った日本人種の国の皆殺しと人種の入れ替えが、必須条件に成りました。
それは、1840年のアヘン戦争から始まった様にも見えますが、実は1805年から始まっています。
現代では遺伝子分析学に依って、1805年の台湾での、約20万人の先住民の日本人種の殲滅が確認されています。
ちょうど1840年の頃には、日本人種が完全に台湾から消滅して、僅かに遺伝子にその片鱗を残しただけでした。
目的は、台湾で香辛料と砂糖を量産して、欧米で販売して儲ける為のプランテーションの建設でした。
その為に米軍が黒船で、南蛮国の国民を大量に移住させて、革命国家をそこに建設させていたのです。
言わば1805年からの台湾に於ける革命闘争は、大陸に於ける殲滅と人種の入れ替えの活動の予行演習の形でした。
そして「 歴史は繰り返す 」と言う言葉の通りの現象が、現在、ガザで発生しています。
因みに、その明言は、ローマの歴史家クルチュウス=ルーフスの言葉とされている様です。
「 過去に起こったことは、同じようにして、その後の時代にも繰り返し起こる。」
即ち、ローマからはガザが近いので、古代から同じ事を繰り返す、白人種の領土泥棒の在り方を良く知っていた形です。
そして、それに良く似た特徴を持つ、遺伝子の粒子の塊は、有色人種の中にも有りました。
言わば、シルクロードを渡って、お互いに刺激し合い、呼応する様に、その特徴が成長した形です。
その象徴的存在として、日本の古代の奈良時代に於ける、良辨さん道鏡さん鑑真さんの存在が有りました。
ここでは特に、鑑真さんに焦点を当てて、その遺伝子的な特長を列記して見ますと、
イ. 二つか三つのお経を暗唱するほどの暗記力を持っていた人間。
ロ. 唐政府から正式な日本への渡航が許可されずに密出国した人。
ハ. 還俗処分を受けて寺から出て築25年以上の民家に移った人。
この様な形に成ります。
言わば、際限の無い虚栄心と本能的欲望に満ちた犯罪者に過ぎなかった人の思いと心が、そこに有りました。
端的に言えば、その様な彼は、その災禍の種に油断するなと啓発する趣旨の寺を建てる存在者には、成り得ません。
逆に、トロイの木馬と同じく、その災禍の種の立場から、相手を油断させる演技を行う存在者だったからです。
80:唐招提寺に思う事 333
24/06/03 20:41:50.29 szxM4EHKz
この様に、既成概念に捕らわれる事も無く、どこかの国や軍に忖度する事も無く、自由に考える事は、如何ですか?
案外、それに依って、今までの自分の心に、如何に自由が無かったのか、と言う点で、驚く人もいるかも知れません。
ですが、真実から目を背けているだけでは、未来を失う結果に直結する場合も御座います。
現代に生きている日本人は、実は人類史上、最もその象徴的な存在です。
もちろん、ここに紹介した、外部に侵略を及ぼす勢力の存在性とは、どこの国にも有る要素です。
その前提で今一度、申し上げる形で有り、下手で尾籠な表現で申し訳ありませんが、
「不正中毒」「盗み中毒」「性の上納中毒」「偽装中毒」「覚せい剤中毒」「植民地支配中毒」「戦争中毒」
要素としては、こうした特質を持つ遺伝子の粒子の塊から出る作用です。
他者に損失を加える方法で、利益や快楽を奪い取って喜ぶ特質、その為に他者が苦しむ事そのものに狂喜する特質です。
そうした存在性に、何がガソリンに火を付ける様な、火花に成る形でしょうか。
そのガソリンに着火する様な存在性こそは、「犯罪の火種」で有り、「戦争の火種」なのですね。
そして、それが何かと端的に言えば、「 他者を疑う事が出来ない善良さ 」なのです。
なぜ、その「 他者を疑う事が出来ない善良さ 」が有るのか、と言うところを考えて見ますと、
イ.実生活の中で、比較的に、それほどに善良な人だけに囲まれて人生を送って来た感じの人。
ロ.戦争で敗戦した後の占領教育で、他人を疑う事が、恥ずべき悪い事だとする認識で固まった人。
ハ.他者を疑う言葉を発した場合に、徹底的に虐待を繰り返されて怖くて疑う事が出来ない人。
こうしたところから、中国に有った大日本の様に、一つの国や民族が完全に消滅するまでには、二つの戦争が有ります。
一つには、正面武装の軍隊や軍勢の衝突の戦争。
そして、もう一つは、完全に消滅するまでに発生する、個人対個人、或いは集団対個人が殺し合う、市民戦争です。
ここで言うその市民戦争は、言わば市民が人間の尊厳と自由を守る為に、ほかに手段が無いので殺し合う形なのです。
本日は、ここまでで、続きは、また明日。。
81:唐招提寺に思う事 334
24/06/04 20:39:49.72 OZvGQY9Km
その「 市民戦争 」と言う言葉に関しては、いわゆる表層社会の中では、殆ど論じられる事が有りません。
そうした現実の社会の中で、以下の様な貴重な論文が御座いましたので、ここに紹介させて頂きます。
URLリンク(www.kansai-u.ac.jp)
ですが、この様な高邁な学者で有れば、当然の事として、いわゆる公式の立場からの公式の発表の形で御座います。
私の様な学の無い田舎の単純労働者が、その点を指摘して、何をか言わんとするのか、と言うと、「 限界 」です。
凡そ「 いわゆる公式の立場からの公式の発表の形 」。
ここには、自ずと表記できる範囲に、限界が発生する、と言う事なのです。
それこそ、少し考えて見れば、自明の理なのですが、あんまりホントの事を書き過ぎると、誰かに損失が発生します。
すると、社会の中のその部分の人々や軍勢などから、口封じや見せしめの作用が発生するのです。
即ち必然の結果として、自分が、仕事や家庭生活が出来なくされる破壊行為を受け、家族も危険な目に遭います。
すると、そうした因果関係は、大脳辺縁系の反射的意識の作用に依って、自然に危険を回避する記述を発生します。
で有るので、社会的影響感化が殆ど無い、学の無い単純労働者が、その部分の補填を試みる事に、意義が有る形です。
その前提で、申し上げる形で御座いますが、この方は、
「 敵を国際的なものとし、犯罪者を一国内のものとする様な区別は、一般に考えられているほど自明ではない。」
この様に記述していますが、実際には、自明の理と見受けられます。
そもそも、「 犯罪者 」に分類して区別する場合には、一般的に無意識の内に、以下の前提条件を踏まえているのです。
イ.殺人や暴力や破壊行為や盗みや詐欺の行為者が、自分のいる国の主権を尊重し、国内法の裁きを受ける気持ちが有る事。
ロ.殺人や暴力や破壊行為や盗みや詐欺の行為者が、裁かれる事に関して、国際世論も外国軍も、批判も反撃も行わない事。
ハ.殺人や暴力や破壊行為や盗みや詐欺の行為者が、自分のいる国を破壊して従前の国民社会を殲滅する様な実力の無い事。
82:唐招提寺に思う事 335
24/06/04 20:43:32.22 OZvGQY9Km
この様に、文章に起こして明文化して見ますと、いかがですか?
誰しも、出来れば考えたくない、身に危険が及ぶ様な、いわゆるレアな事なので、一般的に普段は考えません。
ですが、誰でも考えて見れば、こうした因果関係は、自明の理なのです。
こうした考察には、自然に、
「 内戦は、どう言う説明に成るの? 」
この様な素朴な疑問が想起されます。
ですが、それも考え方一つで自明の理で、
「 国内に二個目の国が発生して殺し合うので、国内の国際戦争 」
この様な解釈から、「 内戦 」と言う言葉や概念が存在するものとすれば、それで整合性が有る様に見受けられます。
次に、焦点に成る事柄として、「 敵に分類して区別する為の前提条件 」を列記して見ます。
イ.ほぼ確実に自分達の勢力が、軍事力やそれ同等の実力で相手勢力を打ち負かし、制圧できる見込みが有る事。
ロ.自分達の勢力が微力で有って軍事力では勝てないとしても、国際世論が相手側の戦争継続能力を失わせる事。
ハ.自分達が勝てない相手で有っても、全滅を免れる唯一の選択が戦争、或いは唯一の延命手段が戦争で有る事。
この様に、一般的に社会に存在する柵(しがらみ)と言う限定条件を排除して見ますと、いかがでしょう。
文章に起こして明文化して見ますと、これも、公理に基づく定理の様な、道理なのでは有りませんか?
誰しも、出来れば考えたくない、身に危険が及ぶ様な、いわゆるレアな事なので、一般的に普段は考えません。
ですが、誰でも考えて見れば、こうした因果関係は、自明の理なのです。
そして、この様に論を展開して見ると、次に浮上する素朴な疑問として、マイクロの存在が御座います。
いわゆるマイクロ波やエックス線やガンマー線などの各種の放射線を他人に浴びせつけて、殺害する行為者です。
或いは、公認されている範囲の賭博場や宗教団体を装いながら、組織的に密かに恐喝を行う者。
時折、詐欺事件として表面化し、立件されている事件の行為者も、その同類です。
味も効果も良くない青汁の通信販売や、二度と入る気に成れないラーメン店の全国チェーンなどもその同類です。
日本人がすっかり震え上がって活躍できないスポーツ業界で、水を得た魚の様に活躍するスターもその同類です。
83:唐招提寺に思う事 336
24/06/04 20:46:55.30 OZvGQY9Km
それらは、「敵」なのか「犯罪者」なのか、と言う点を考えます。
ですが、それも、ゆっくり落ち着いて考えて見れば、自明の理なのですね。
はい、畏れ多くて、犯罪者などと言えよう筈も御座いませんし、同様に敵で有る筈も御座いません。
ですが、その様な普遍的答えに直面すると、虐げられる立場の視点から、自身に降りかかる以下の運命を認識します。
イ.従前の日本人社会は、座して領土の福利を剥ぎ取られ、殲滅されるまで生命と財産と領土の福利を奪われる運命。
ロ.その痛み苦しみ、悲しみや憤りは、殲滅が完遂されるまで、自然発生の病気や事故として、甘んじて受ける運命。
ハ.その被植民地支配に依って発生する損失と虐待と虐殺、植民達に依る領土の福利の横取りは、阻止できない運命。
ですが、従前の日本人社会が、この様な運命を受け入れる事は、本当に「 神が望んでいる事 」なのですか?
そもそも神はその様なつもりで、不完全な人間社会の日本の外側にも、不完全な人間社会を創造していたのですか?
違いますでしょ?
では、心をゆっくり落ち着かせて、整合性に基づいて考えて見ますと如何でしょうか。
何か途轍もなく大きな、合理的な理由が有って、その様に成っているのでは有りませんか?
その方向の極性で想起される存在は、やはり「 神の技 」です。
全知全能の神の存在で有れば、その消滅に至る運命のイロハに於いて、立場を逆転させる事も出来るのですね。
端的に言えば、「 風土病として存在するウイルスの存在 」が有ります。
敵でも犯罪者でも無いけれども、不完全な遺伝子の粒子の特徴に反応して、人を殺す能力を発生する存在です。
そもそも、「 敵 」も「 犯罪者 」も相対的な存在性ですが、これは、そのどちらの存在性でも有りません。
言わば「 非公式に存在する治外法権の作用 」です。
即ち他人や他民族や他国民に対して、消滅に至る運命のイロハをもたらす存在は、特定の人間社会だけでは有りません。
消滅に至る運命のイロハをもたらす存在としては、ウイルスと称される遺伝子の粒子の塊も御座います。
すると、ここに、明確な答えが、自明の理として存在する事が、確認された形です。
即ち、人を殺す存在は「敵」と「犯罪者」と「 非公式に存在する治外法権の作用を持つ存在 」です。 続きは、明日。
84:唐招提寺に思う事 337
24/06/05 20:35:19.20 4yr19sDsn
人間の場合に於いては何故、国の単位に於いても、個人の単位に於いても、その様な加害作用が発生するのでしょうか。
或いは、その様な遺伝子の粒子の塊の特性が発生して、囲い込みを掛けて、捕食する様な作用が発生するのでしょうか。
色々な場合や因果関係が有り得るでしょうけれども、ここでは象徴的な因果関係として、食文化の違いを考えます。
一方で穀物を主食として、何千年も暮らして来た、遺伝子の粒子の塊の集団としての人間社会が有るとします。
他方で自分達の子供を襲って困るので、身の回りのライオンや狼の焼肉を食べて、蛇の干し肉を間食に食べたとします。
どちらが、生活習俗の様に、他国や他人に対して、囲い込みを掛けて、戦術を練って、襲い掛かると思いますか?
やはり、後者の方で御座いましょうねぇ。
その因果関係に付いては、勿論、論理的に文字と数字と記号で証明をする事が、可能で有るかも知れません。
しかし、その場合の説明を行う対象の単位と成る存在は、1ミリの10万分の1の、更に10億分の1以下の単位です。
即ち遺伝子の単位で、どの様な特定のアミノ酸の塊が、どの様に他の生き物の中に入り、その特定の作用を発生するか。
その様な膨大な量の数字と数式と説明文の形に成るので、地上人類の人間には、論理的に理解することは不可能です。
ただ単に、経験と勘で、自分の身に取って、何が有益か損かを判断し、認識するだけなのです。
その社会では食用の犬をゲージに入れてから、ガスバーナーで焼いて、犬が敵愾心を燃やした状態から殺して食べます。
彼らの社会で、今生き残っている人々とは、その様な生活文化、乃至、それ同等の社会的作用の結果で生きています。
この様に論を展開して、何をか言わんとするのか、と言うと、日本人に於ける身の回りの社会状況の認識の在り方です。
往々にして、他者を疑う事が出来ない善良さ、即ち333段の、
イ.実生活の中でそれほどに、善良な人だけに囲まれて人生を送って来た世間知らずの幸福な人
ロ.戦争で敗戦した後の占領教育で、他人を疑う事が恥ずべき悪い事だとする認識で固まった人。
ハ.他者を疑う言葉を発した場合に、徹底的に虐待を繰り返されて、怖くて疑う事が出来ない人。
このイロハの状態なのでは無いのか、と言う事なのです。
85:唐招提寺に思う事 338
24/06/05 20:39:41.14 4yr19sDsn
その場合には、極めて高い可能性で、再び戦争やそれ同等の災禍が降り注ぎます。
具体的には、このスレッドで幾度も繰り返している因果関係と構図に依ります。
一つには韓国の釜山の原発に、欧州諸国から集められた核爆弾の原料に成るセシウム235の818トンの関係です。
そして、医療用の放射線治療に使われるマイクロユニットや、診断装置に使われるサイバービジョン装置の関係です。
前者は、北朝鮮が西側諸国に制裁たる打撃を加える目的で、そこに核弾頭巡航ミサイルを直撃させたと宣伝の形です。
その結果、有色人種の世界諸国で、日本企業からのメンテナンスが停止して、半年後に工場の操業が停止する形です。
それで、全世界で約2500兆円の操業が停止し、その半分が米国に移動し、米国の税収が約250兆円増加します。
それを目的に米国から供与を受けた、カナダ海軍空挺部隊所属の潜水艦部隊が、核弾頭トマホークを発射した形です。
このカナダと言う国の陸軍の統帥権は、カナダ首相が持っていますが、海軍の統帥権は、イギリス王室に有るのです。
そのイギリスの王室は、戦略的に有利に成るので、空挺部隊の統帥権をを米国の第101旅団に預けている形です。
米国に取っての利便性としては、キューバに有るグアンタナモ収容所と同等に、何でも出来る態勢です。
太平洋戦争の前の1941年10月10日からの重慶爆撃を行った部隊も、そのカナダ海軍空挺部隊の所属でした。
クリントン政権の後半に成って、その爆撃に関係する資料が、国立公文書館で公開される様に成りました。
どこを爆撃したのか、と言う具体的な場所は、現在も非公開です。
ですが、当時の最新鋭で、完成していなかった筈のB25高高度戦闘爆撃機が、50機も供与されています。
供与の相手先は、カナダ海軍空挺部隊でした。
米軍から軍籍を離脱した、クレア・リー・シェンノート大佐率いる軍人集団300人が、そこに転籍しているのです。
部隊の名称は、アメリカン・ボランティア・グループで、通称はAVG(エイ・ブイ・ジー)と言います。
米国は、それほどの部隊で、具体的に何処を爆撃したかは、現在も公開出来ていません。
ですが日本国内の伝承では、爆撃された場所は、当時は欧米に作れない過給機型戦闘爆撃機の量産工場でした。
86:唐招提寺に思う事 339
24/06/05 20:46:50.40 4yr19sDsn
いわゆるスーパーチャージャー式単発エンジンですが、双発よりも高く飛行できる戦闘機でした。
その様な物が、月産千機も量産される態勢に成ってしまうと、欧米では勝てない軍事バランスに成る状況でした。
現在の事象に例えれば、日本の民間の任意団体、ジャパン・ボランティア・グループが武装している態勢の形です。
米国側に、それを造る工場を視察させる事も無く、その様な技術が有る事も伝えずに、プラズマ兵器を配備の形です。
そうした態勢で戦争を始めても、米国側には、負けは無くとも、勝ちは有りません。
双方が、相手の領土を形成する地殻が壊れるまで、他国の他の軍を装って、その種の最終兵器で破壊を加えるだけです。
或いは、人間と言う生命が全滅するまで、致死率100%の本物の生物兵器を蔓延させるだけです。
双方、共に、何のメリットも有りません。
メリットが存在するとすれば、精々、薬物中毒患者が、他人の苦しむ顔を見て、随喜の涙を流して喜ぶだけの形です。
そうした悲惨な人類の最終的な有り様は、国の単位の生存競争にだけ発生するものでは有りません。
個人の単位に於いても、発生するもので有って、個人の単位に於いても同様に、継続性と強靭性を発生します。
私個人の見聞きした範囲での事例ですが、ここに紹介させて頂きます。
癌の名目で、一人で600人もの人間に対して、放射線を悪用して被爆障害で死なせる戦果を挙げた人が存在します。
往々にして死因の欄は、大腸癌に依る多臓器不全、或いは心臓の弁膜症、肺炎、老衰や不明の場合も有ります。
ですが、太平洋戦争などの戦争の場合と同じで、実相は、全く異なります。
その人の場合は、軍属レベルの仲間の数人が協力して、マイクロ波などの電磁波を被爆させて、死に至らしめる形です。
電磁波は、X線、紫外線、可視光線、赤外線、電波などに、周波数(波長)の違いに依って、分類されます。
電波の中でも周波数300MHzから300GHz (波長にすると1mから1mm)の電磁波が、マイクロ波です。
30マイクロシーベルト程度の、ゼロに近い量の放射線の場合は、短時間の被爆だけでは、人体に影響が出ません。
ですが、これを二カ月も継続する場合に、ここに紹介した被害実例の様に、大きな戦果が期待できる形です。
続きは、また明日。。
87:唐招提寺に思う事 340
24/06/06 20:41:21.45 Ao1K+PVbO
何しろ、手足の筋肉が痙攣を発生するなど、作用の質が顕在化して来ます。
その頃に成ると、心臓の周りに存在する心嚢(しんのう)と言う臓器が膨らみだします。
大和民族の日本人に、免疫が有るインフルエンザのワクチンを2倍の濃度で注射した場合にも、同じ症状が出ます。
ワクチンの場合は、筋肉の細胞に対する自己免疫疾患が原因で、細胞が壊れて、水分が溶出するからです。
他方、マイクロなどのサーチライト型の範囲で作用する電磁波の場合は、小さな過電流で細胞が破壊されます。
心嚢の中の水分の量は、通常は潤滑油の様に、心臓を覆う様に精々100ミリリットルほどの量です。
ですが被爆が続くと、結局、細胞の中の水分が溶出して、1000ミリリットルほどの量に増加します。
その増加に依って、何が発生するのかと言うと、肝臓の隣に有る血管が、押しつぶされる形です。
URLリンク(www2.kuh.kumamoto-u.ac.jp)
その一つは、門脈という名前で、腸や脾臓から血液を送り込まれる、成人では直径1cm程度ある静脈系統の血管です。
腸からは、この門脈を通っていろんな栄養素などが運ばれてきます。
==========
肝臓の隣には、重要な役割の三本の血管が有って、心臓が膨れ上がって重く成ると、下敷きに成る様に門脈が潰れます。
その結果、大腸の上行結腸、いわゆる右側の大腸が、特に血液の流れが滞留する現象を発生します。
それが原因で、腸に新しい栄養素や酸素を送り込む血液の流れが止まるので、消化機能は止まります。
血便や下痢が発生する症状が発生します。
それでも、腸の各細胞は、水を吸収する性質は残っていますので、水を吸収して膨れ上がります。
それをレントゲンで見ると、まるで癌が出来て、癌細胞が増殖した様に画像が変化します。
その視覚的な錯覚を利用して、
「この仕事をしていて、一番つらい事なのですが、本当の事を隠す事は出来ないので、申し上げざるを得ません。」
この様に、献身的で善良な人間の表情を見せて、病院の中の医者の立場で、癌で有ると嘘をつくのです。
人間社会の中には、この様に10年、20年、30年と、長い年月を掛けて、戦略的に行う破壊活動も有るのです。
88:唐招提寺に思う事 341
24/06/06 20:45:26.27 Ao1K+PVbO
ここで、この様に論を展開して、何を言わんとするのか、と言うと、人間の遺伝子には様々な特性が有る点です。
その人物の、そうした様子を垣間見た時の印象は、まるで仏様の顔を持つ餓鬼畜生、と言う感じです。
上手に、二束の草鞋を履いている、と言う出で立ちですが、ホンネでは、
イ.日本側の愛国者が、痛みを感じて苦しむ事に、異常に喜びを感じる。
ロ.日本側の愛国者が、健康やお金を失う損失を発生すると、幸せな気分に成る。
ハ.日本側の愛国者が、死する事やその恐怖に苛まれる事に、満足を感じる。
この様に、いわゆる普通の「 国籍と軍事的帰属が一致している人 」に比較すると「 感覚が逆 」に成っている形です。
敵国の領土内に潜入した、軍事的な兵站の市民が、その働きの見返りで福利を享受する構造の生活感覚を伝承の形です。
その様な、遺伝子的特質は、この編の337段で紹介した様に、食文化の違いに根差している形です。
患者が、他の病院に転院して逃げようとするものならば、異常に執念を燃やし、激昂し、手ずから止めを打ちます。
それも、福利の享受が大きいほど、強靭な軍事的破壊力を行使せねばならないと言う、矜持( きょうじ )が有ります。
言わば、自分の専門分野なので、一晩でどの位の放射線を浴びせれば人間が死ぬかを、良く知っているのです。
その為に必要な機器と必要な出力を、良く知っています。
その為の連絡は、充分に心得ているのです。
ただ、顔の目の黒目( 虹彩 )が、異常に大きく膨らんでいる時には、「麻黄の実」を服用している関係です。
もし、途中で不安を感じた時や、良心の呵責で気持ちが沈んだ時には、「麻黄の実」を二粒ほど服用します。
二粒ほど口に含んで、上下の歯の間で軽く挟んでいると、簡単に間もなく潰れます。
五分もすると、「うひひひ、うひひひ。」
との様に、相手側が悲しめば悲しむほど、自分の心の中が愉悦と幸福感で満ち溢れる心理状態に成るのです。
脳内のホルモン分泌が、表面的な日常生活に於ける作用とは逆の作用を、発生するのですね。
そこが、日本側のジャパン・ボランティア・グループの250万人の構成員との違いです。
日本側の場合は、そうした薬剤の利用が無いので、往々にして鼻水が止まらないノイローゼに嵌(はま)るのです。
89:唐招提寺に思う事 342
24/06/06 20:51:02.65 Ao1K+PVbO
もちろん、日本側の医療業界に於いても、麻黄の実と同じ成分のメタンフェタミンの服用薬は有ります。
ですが、それを使っても、効いているのは2時間か長く見て半日です。
効果が切れたら、また服用する、と言う使い方は、禁断症状を発生する中毒が恐くて出来ません。
それに比較して、東インド人社会側の方は、至って、ヘッチャラなのですね。
必要で有れば、何回でも使うし、それに何回も使っている内に、「 本来の遺伝子的特質に直る形 」です。
こちらの専門家が言うには、「 遺伝子病理学的犯罪性 」と言う現象だそうです。
あちらの社会では「直(なお)った」と言うけれども、こちらから見れば「 犯罪性が高く危険な状態 」と言います。
且つ、「二束の草鞋を履いている」と言う状態が発生する関係で、
「 発覚しにくい存在性に成るので、社会に対する破壊力が大きく成る。」
この様なお話です。
そして、ここでです。
古代の奈良時代にも、同じ様な人間の特性が存在する事に、気付いた人々がいた場合です。
その場合に、その時代の人々は、その事をどの様な形で、後世に残す事を考えたでしょうか。
この様な顔立ちと姿で、酷い裏切り行為をした人がいた、と言う気持ちを、銅像を造って後世に残しますか?
違いますよね。
言わば、芯木の無い空洞の構造で、ボロ布を漆(うるし)と石膏(せっこう)で固めて、人形を作ります。
銅像で有れば、何十年も経てば、味の有る光沢が出ますが、石膏で有れば、ボロが出て来ます。
その必然的な因果関係にこそ、肝要な意味が有るのですね。
何十年か経てば、なぜその様な構造に成っているのかを伝承で伝えあい、再び同様のものを作ります。
場合に依っては、それを修復したと言って、古代から有る肖像だと、言い張る場合も御座いましょう。
衆生の口真似、面(つら)真似、振り真似に長けて、天国をも地獄に変える様な矜持( きょうじ )が、そこに有ります。
その 嘘 の綯交(ないま)ぜこそが、この作品の設計目的の中に組み込まれている形、との様に見れば如何でしょう。
つまり、それを含めて、「 古代から有ると言う意味では、最も古い芸術作品 」と言う存在なのです。
本日は、ここまでで、続きは、また明日。。
90:唐招提寺に思う事 343
24/06/07 20:27:24.40 myhwIIDCL
ここで、卒爾(そつじ)ながら、前々段で使用した「 餓鬼畜生 」と言う言葉を説明したいと思います。
と、申しますのも、自分で申し上げておきながら、何となく感覚的に、惰性で使っている感じが有ります。
実際、自分でその様に文字を並べておきながら、
「 あれ?、具体的には、正確には、どう言う意味だったかな? 」
正直に言うと、この様な慨嘆、即ち後から沸々と憤る違和感を禁じ得ないところが有るのです。
因みに、卒爾ながらの意味は、カシオの電子辞書に依りますと、
「 にわかな事では有るが、突然で失礼ですが 」
との様です。
それで、餓鬼畜生に関しては、専門的ですが、とても面白い文章が有ったので、ここで紹介させて頂きます。
URLリンク(www.otani.ac.jp)
その事を実現する為に法蔵菩薩は、人間の迷いの現実をよく見て、四十八の願いを建てられました。
すべての人が等しく救われる国、浄土を作ろうとして建てられた、法蔵菩薩の四十八の願いは、それ故に同時に、
私たちいのちを生きるすべての者の内深くに在る願いを表現したものです。
そのことを端的に教えているのが、一番はじめに願われることになった、この、
「たとえ私が仏に成りましても、この私の国に地獄・餓鬼・畜生などが有るならば、私は覚ることを致しません。」
と言うものです。
「地獄」とは共に生きる者で有りながら、共に在る事が出来ず、いつも傷つけ合う様な生き方をしている者のことです。
「餓鬼」とは、いつも満たされず不平不満の中に生きているもののことです。
「畜生」とは、一人立ちできず、結局、力ある者に依存する様な生き方をしている者のことです。
91:唐招提寺に思う事 344
24/06/07 20:32:19.02 myhwIIDCL
いかがでしょうか。
百科事典や様々な解説書が御座いますでしょうけれども、この人の言葉こそは、本来の日本語との様に見受けられます。
そして、そこから私などが、何を見出(みいだ)さんとしているのか、と言うと、「 愛国心 」との関係です。
正直に私の感想を言うと、この方の日本語の使い方でも、今一つ判然としない要素が有ります。
それは何かと言うと、「 傷つける 」「 不平不満 」「 力ある者に依存する 」の言葉の示す客体です。
主体に該当する人間が、「 地獄 」「 餓鬼 」「 畜生 」で有る事は解ります。
ですがそれらが、何に対して、相対的にその様な存在性に成るのか、と言う点が、回避された構文に成っているのです。
そして、そうした現象や因果関係に関しては、言わば私は感受性が敏感なタイプなので、直ぐそれを感じ取りました。
即ち、いわゆる高学歴で高収入で、社会的地位と名誉が有る人間が、自律反射的に生存権に基づいて回避する現象です。
はい、客体は、侵略側から見た場合に、戦略的な破壊目標とされる「 愛国者 」です。
但し、この段で言うところの侵略側とは、どこの国にも及ぶ破壊要素から、占有離脱横領の要素を持つ存在を含みます。
ここで言う、占有離脱横領とは、自分の自家用車が夜中に故障して、無断でソバ屋の駐車場に止めた形を言います。
この様に論理的に整理して見ますと、段々解り易く成るのでは無いでしょうか。
即ち、物心ついて大人に成って見たら、自分の住んでいる国の中に、別の邪魔な国が存在している事に気付く形です。
その場合には、否応なく、相克の関係が発生するのでは有りませんか?
ここで、この章の52段で紹介した、五行相克を考えます。(三省堂 新明解 四字熟語辞典から)
水・火・金・木・土の五つの根元要素が、互いに力を減じ合う。
水は火に、火は金に、金は木に、木は土に、土は水に勝つ、と言う考え方。
「五行」は日常生活に欠くことの出来ない水・火・金・木・土の五つの要素。
これらが、ある一定の法則で循環交代して、万物を生ずる根元となると考えられた。
すると、これに当て嵌めて、この度の構図を次の段で整理して見ます。
92:唐招提寺に思う事 345
24/06/07 20:37:22.30 myhwIIDCL
「火」は、当に時には全ての市街地を焼き払う、白人の軍勢で御座いましょう。
「金」は、全ての人間が法の下に平等ですから、法律の存在で御座いましょう。
「木」は、次第に先住民から養分を吸い上げる、東インド人で御座いましょう。
「土」は、自然に土着の民として暮らしている、先住民社会で御座いましょう。
「水」は、その土着の民を定宿としている形の、ウイールスで御座いましょう。
こうした五行相克の構図と、現在の日本列島の構図から、何を言わんとするのか、と言うとアヘン戦争の繰り返しです。
1840年のアヘン戦争から、1945年までの第二次世界大戦までの戦争の時代を一つの時代と考えて見ます。
言わば、その105年戦争の目的を、「 ロスチャイルド家に依る世界金融の支配体制の完成 」。
ここに有ったと仮定します。
すると、現在の日本列島の構図から、「 ロスチャイルド家に依る世界金融の支配体制の継続 」。
これが浮上して来ます。
その具体的な因果関係やシステムに関しては、ここまで幾度も繰り返して説明させて頂いた通りです。
直近では、338段や290段です。
そしてその様な歴史的な戦略の産物として、現在の日本列島に於ける相克の社会構造が生み出されていた形です。
その結果から必然的に、この編の312段でも紹介した言葉、
「額(ぬか)づけば額づくほど、希釈されて行く。
こう言う事って、有るの? 本当に、これで、いいの?」
この言葉が生まれているのです。
それで、どうしてこの方が、悲しまれているのか、と言うと、勿論、自分の身を案じての事でも有ります。
戦後の日本に対して、隠密裏に侵略や植民地支配が及ぶ事が無ければ、どうで有ったでしょうか。
現在とは大きく異なる在り方が出来ていたのです。
大きな福利を享受して、余裕で家族にあれこれと尽くす事も出来ました。
ですが、侵略勢力に依って囲い込みを掛けられ、子供を産む余裕も持てませんでした。
なぜ、侵略勢力から、その様な分類を受けたのか、と言うと、愛国心の強い特質を見破られていたからなのですね。
本日は、ここまでで、続きは、また明日。。
93:唐招提寺に思う事 346
24/06/08 20:38:51.91 7t/bgtgGI
愛国心の強い女性で有れば、生まれる子供も、生まれながらにして愛国心の強い人間に成る遺伝子を持って生まれる。
更に、その子育ても愛国教育で固めて、その子供の周りの子供まで、愛国心の強い人間に成る様に影響感化を発する。
国の津々浦々全体で、その自然の領土作用が野放し状態で有れば、日本の国は戦争前と同じ様に、完全に一つに成る。
その様に一人一人の結びつきの強い社会に成ってしまうと、もう外部からの侵入者が旨味を貪る事は、不可能に成る。
この様な、日本人種の国に対して、侵略や植民地支配で旨味を貪ろうとする人々の視点から見ると、いかがですか?
日本から、巨万の富を盗み取ろうとか、多くの性的快楽を搾取し、横取りして、いい思いをしようとする場合です。
何が、一番最初に、必要な事だと考えますか?
それこそは、実に、古代から繰り返されて来た、常套手段の活動なのですよね。
はい、愛国心の強い母親に成りそうな人間を、さり気無く日常生活を営みながら、探索することです。
愛国心の強い女性とは、大概、美人のタイプなので、わざわざ刑事や探偵の様に調査で聞き歩く必要は無いのです。
簡単な偵察で、街ごとに、企業ごとに、美人をピックアップして、その生活範囲を全て管理する様に人を配置します。
市民生活の中には、必ず軍事的な防備の隙が存在します。
即ち、一般的な市民生活者の振りをして、相手国内に潜入している軍人に取って、絶好の機会が、必ず有ります。
人気の無い通り道で、ワンボックスカーに誘拐して凌辱して、その有り様の全てを写真や動画のファイルで保存する。
或いは、自宅で一人で休んでいるところに、大男数人で押し入って凌辱し、同様に写真や動画のファイルで保存する。
道徳レベルや貞操観念のレベルが、奇跡的に高かった1980年頃までの日本では、これでワンサイドゲームでした。
標的に位置付けられた日本人の女性は、これで言い成りの奴隷として生きる事を選択するか、死ぬかの選択です。
主導権は完全に、侵略側、植民地支配側に有って、体よく東インド会社制度を存続させた形です。
但し清国側の領土内では、「 革命勢力 」でしたが、日本側の領土内では「 渡来勢力 」を標榜する衣替えの形です。
94:唐招提寺に思う事 347
24/06/08 20:43:10.02 7t/bgtgGI
女子供の奴隷化が達成されれば、その父親の経営する銀行や企業の資金や特許技術も、駄々洩れが始まります。
日本の1985年からのバブル経済は、言わば「 衣替えをした東インド会社の勢力 」から発生した形です。
その因果関係と構図に於いては、このスレッド「 憲法第二十条と靖国神社 Ⅰ 」の初期に紹介しています。
スレリンク(seiji板)
このスレッドの第238段の「 亡国の惨事も小さな椿事から① 」。
ここから詳述している形です。
そしてバブルが始まった年と言われる1985年の前年頃から、癌で死亡する死者が急増しています。
しかしながら、父方も母方も先祖代々大和民族の日本人の場合には、癌やインフルエンザを発症しません。
では、なぜ1984年から癌に依る大和民族の日本人の死者が急増する様に成ったのか、と言うと、戦略的な誤診です。
その数の総数は、2022年度までの合計で、約450万人にも達します。
どの様な手順で、と言う所を端的に言えば、この編の341段で説明した通りです。
そうした関係で、1983年頃までは、社会の裏側で、植民地支配を進める常套手段と言えば「 カメラ 」でした。
ですが1984年頃からは、社会の裏側で、植民地支配を進める常套手段と言えば「 マイクロ 」と言う形です。
ともあれ、ここでの焦点は、前述の女性、
「額(ぬか)づけば額づくほど、希釈されて行く。
こう言う事って、有るの? 本当に、これで、いいの?」
この様に言葉を使った女性の心です。
それで、どうしてこの方が、悲しまれているのか、と言うと、勿論、自分の身を案じての事でも有ります。
戦後の日本に対して、隠密裏に侵略や植民地支配が及ぶ事が無ければ、どうで有ったでしょうか。
現在とは大きく異なる在り方が出来ていたのです。
大きな福利を享受して、余裕で家族にあれこれと尽くす事も出来ました。
ですが、侵略勢力に依って囲い込みを掛けられ、子供を産む余裕も持てませんでした。
そして、彼女が認識した被害、感じ取っていた被害は、それだけですか?
95:唐招提寺に思う事 348
24/06/08 20:46:17.29 7t/bgtgGI
違うのですよね。
彼女が顕在意識として、どの程度の被害で有ると認識していたのかに付いては、実際には、確認出来て言いません。
ですが、私が彼女の言葉から感じ取った言葉の魂としては、その様な私的な事と全然、別の事でした。
即ち、言わば遺伝子レベルの特質が反映された色調としては、もっと途轍もなく巨大な災禍を映していた印象なのです。
それを最小単位で取り出して、可視化して表現するならば、出生行為に関する領域主権の入れ替えです。
嘗て1840年のアヘン戦争の後から、清国に於いて日本人種が出産できなく成る軋轢が、国外から雪崩れ込みました。
日本人種の女性は、命からがら逃げ回るのが精一杯で、妊娠しても性的虐待を受けて奇形児の出産に成る形でした。
宛ら野鳥の郭公(かっこう)が、他の野鳥の巣の卵を蹴落として、自分の卵を産んで育てさせる托卵と同じ現象です。
これを人間社会の中で、巨大な国の単位で完遂しようとした人類最初の現象が、アレキサンダー大王の帝国でした。
アレキサンダーは、ペルシャ帝国を滅ぼして、ペルシャの婦女子を自分の傭兵に嫁がせました。
その上で自分を神として祀(まつ)る事をペルシャ国民に強制して、隷従させていたのです。
その様に生贄の国、スケープゴートとして標的に定められた国に対しては、悪魔的侵略が常套手段の様に成りました。
侵略を及ぼす国は、相手国を滅ぼして通貨の砂金や金貨を強奪し、女と領土を強奪するので、豊かな時代と言います。
或いは「 黄金時代 」、「 大航海時代 」、「 新世界の時代 」などと言います。
ですが敗戦国側は虐殺や殲滅を受けて、領土も歴史も奪われ、防衛の為に戦って死亡した死者の名誉まで奪われます。
地上世界に於いて、その最たる現象が、東アジアに於いて1840年から始まった105年戦争です。
清国を形成していた日本人種の社会は、清国の領土を防衛していたのでは無く、侵略しようとしていた事にされます。
即ち、東アジア人種が、東アジアと言う領土を東インド人達から盗もうとして、戦争を起こしたと言う形にされます。
本日は、ここまでで、続きは、また明日。。
96:唐招提寺に思う事 349
24/06/09 20:46:09.48 oxktn6PYm
ですが、現在の中国で生存している東アジア人種は、湖北省の武漢市の人口800万人の中の600万人だけです。
1945年の日本の国が敗戦する直前の中国の日本人種の人口は、1億2千万人でした。
そして内戦や文化大革命の名目で、1億1千4百万人が、言わば口封じの為に虐殺された形、完全な民族浄化です。
それは東インド会社が、東アジア諸国に国を樹立させる為に必要な領土浄化でした。
そして、そうした東アジアの歴史を有りの儘に俯瞰する様に認識した上で、先の事柄を考え合わせて見て下さい。
即ち、日本の国は実質的に、「 衣替えをした東インド会社の勢力 」から実効支配を受けている実相が有ります。
はい、日本の国は、アレキサンダー大王ならぬ、米軍の侵略を受けて占領されました。
それに依って、その傭兵の存在性の「 衣替えをした東インド会社の勢力 」の進出を受けました。
その彼らの常套手段は、カメラとマイクロで、相手国民を精神的に完全に隷従させる事です。
考え事の言葉まで検閲する為のサイバービジョンと言う装置まで使い、完全に隷従させる支配者階級の認識です。
上辺では平和な市民社会を装いながら、二束の草鞋で植民地支配を固め、人種の入れ替えが進み続けます。
そうした社会状況を、一般の女性が言葉を使って、どの様に表現する事が出来るでしょうか。
誰かに簡単に理解して頂ける様に、簡単に説明できますか?
私が、彼女の言葉に注目した所以(ゆえん)が、そこに有ります。
ある意味では、地上人類の歴史の中で、最も価値ある言葉として、後世に残る可能性を、そこに感じました。
それは、彼女自身が知る由も無い、1億1千4百万人のアジア人種の心でも有ると思えたのです。
人の魂は、その様にして、伝搬できる存在なのだと信じているのです。
これは、飽くまで私個人の感覚的な思いでは有るけれども、
「 これを伝えないでか。 」
「 これを伝えないで、どうする。 」
「 これを伝えられなかったら、神が地上人類を諦め、いよいよ、幕を下ろして終わらせてしまう。 」
この様な思いに至りました。
97:唐招提寺に思う事 350
24/06/09 20:51:52.76 oxktn6PYm
私のこの様な記述は、欧米諸国や中国や韓国やシンガポールに取っては、非常に都合が悪い事は理解しています。
なので、どの様に説明しても、
「 軍国主義 」「 帝国主義 」「 ファシスト 」「 エゴイスト 」「 田舎者 」
この様な、ありとあらゆる罵詈雑言が及ぶ様な感じで有る事は、良く理解しています。
しかしながら、私がここで、
「 決して忘れてはいけない失われた、尊い命 」
この様に申し上げて、注意を喚起している対象は、日本側の軍人でも無く、日本国籍を持つ民間人でも有りません。
欧米諸国や中国や韓国やシンガポールに依って、歴史から葬り去られた「 1億1千4百万人のアジア人種 」です。
彼らの内の約半分の6千万人は、当時の中国の住民票に登録していた人々です。
彼らは、古代から大陸側に定住していた日本人種の民間人でした。
その公式の住民票台帳は、当時の担当者の判断で、日本国内に持ち込まれて大切に保管されています。
そして、それに関係して想起される戦争が、現在行われているイスラエル軍の戦争です。
そのイスラエル軍が戦っている相手のハマスは、英国がカタールを拠点として集めた傭兵です。
即ち、戦争をやっている両陣営とも、同じ目的で戦争をやっているのです。
目的は、先住民の造ったお洒落なビルが立ち並ぶ街を、瓦礫の山にする事です。
それと同時に、先住民を最終的には100万人以上虐殺して、残りの生き残りもガザで住めない結果を作る戦争です。
では、ネタニヤフ勢力は、なぜ、その様な途轍もなく大きなマッチ・ポンプの戦争が出来ているのでしょうか。
それこそは、実は、東アジアの歴史に根差した、漲(みなぎ)る自信が有るからなのですね。
今日までの彼らの成功、即ち米国、英国、フランス、イスラエルの繁栄は、そのマッチ・ポンプ戦争のお陰なのです。
彼らは、強引に戦争を始めた上で、その戦争や内戦や文化革命の名目で、先住民を殲滅して、新国家を造りました。
そしてその戦争の責任も、虐殺の責任も、経済損失の責任も、全て相手側の方に背負わせる事に成功しています。
現在の責任をどうやって相手側に背負わせるかと言うと、この章の290段で説明した通りです。
ガザ勢力と北朝鮮勢力と言う、テロ勢力に背負わせる形が出来ているのです。 続きは、また明日。。
98:唐招提寺に思う事 351
24/06/10 20:45:33.65 xhiXdeZ+K
ここで、この様に論を展開して、何をか言わんとするのか、と言うと、
「 東アジア人種が、額(ぬか)づいたままでは、ガザの市民が100万人も虐殺される事に成る。」
こう言う因果関係が、グローバルに発生している形です。
イスラエル側が、なぜ、その様な事を簡単に強行できるのか、と言うと、東アジアが原因です。
即ち、イスラエル+イギリス+カナダ+アメリカ側のプロパガンダ、政治的宣伝ベースとしては、
「 ガザ勢力と北朝鮮は、日本に死の灰を降らせた同じテロ勢力 」
こう言う形です。
実際に、韓国の古里第三原子力発電所に核弾頭の巡航ミサイルを撃ち込んだ潜水艦は、カナダ海軍の潜水艦。
カナダ海軍の空挺部隊は、エキスパート集団で、米軍から原子力潜水艦の供与を受けていた。
その時に、核弾頭のトマホーク二発の供与も受けていた、と言う形です。
そして、韓国の釜山市の古里第三原子力発電所には、欧州諸国から核弾頭の原料に成る物質が運び込まれていました。
即ち1997年には、セシウム235が818トンも格納されていました。
もしそこに、核弾頭トマホークが直撃すれば、死の灰が偏西風のジェット気流に乗って、死の灰が降り注ぎます。
日本列島は、1年ほどで6千万人は死亡して、50年ほどは人が住めない場所に成ります。
すると、そうしたイスラエル米軍ベースの報道が、世界に流された場合には、世界世論は、どう反応するでしょう。
イ. テロ勢力は恐ろしい。
ロ. テロ勢力に対して妥協して、安穏としていると6千万人も死亡すると言う結果が、目の前に有る。
ハ. テロ勢力側の100万人や200万人位の市民が、反撃で死亡しても、容認せざるを得ない。
この様な形に成ります。
嘗て、東アジアで発生した105年戦争に於いては、同じマッチ・ポンプの構造で、全都市無差別爆撃が有りました。
公式に、アメリカ政府とその傀儡化した日本政府が認めている民間人の死者数は約70万人です。
ですが、大和民族の民間組織が集計した民間人の死者数は約400万人です。
つまり、敗戦国側の民間人の死者に対しては、国として弔うほどの価値を感じる事も、認める事も無かったのです。
その成功体験から、彼らの頭の中のイメージとしては、同じパターンの感覚で、ガザに破壊を加えているのです。
99:唐招提寺に思う事 352
24/06/10 20:51:17.39 xhiXdeZ+K
ですが、この度、ガザでマッチ・ポンプの戦争を始めた人々に於いては、大きな見落としが有った形です。
一つには、日本国内のボランティア・グループが、プラズマ兵器を実戦配備して、ロックオン状態です。
即ち、西経117度フラット、北緯38度50分フラットのネバダ砂漠の真ん中の地下1000ヤード。
その地点に核弾頭6千発が格納されている事を照準器で確認済みです。
もし米国側が核攻撃で、実質的にロスチャイルド家が運営している連邦準備銀行のデフォルト回避を実行の時です。
即ち、この章の290段で説明した通りに、北朝鮮の振りで日本列島に死の灰を降らせた場合です。
その場合には、ボランティア・グループが、北朝鮮の振りで北米に死の灰を降らせた結果が発生します。
すると、その場合には、290段で紹介したロスチャイルド財閥の1250兆円の事業計画は、頓挫します。
誰しも、6千発もの核弾頭が爆発して、死の灰が降り注いでいる土地に、工場を建設したいとは思いません。
今回の東アジア人種6千万人以上を殺害して、大儲けする事業計画は、ものには成らないのです。
前回のアヘン戦争を含めた1840年からの105年戦争では、
「 1億1千4百万人のアジア人種 」
これを殺害して、最大の目標は達成されました。
有色人種の国家主権の回復を阻止する、と言う点に於いては、意外に国家の独立がブームに成ってしまいました。
ですが、最大の目標で有った、有色人種が基軸通貨を持つ、と言う点に於いては、完全に阻止出来ました。
そして、第一次世界大戦からの戦略的目標で有った、アメリカドルを世界の基軸通貨にする事が達成されました。
それに依って、米国は貿易の決済資金として、世界諸国にアメリカ国債を売り上げる事が出来たのです。
更に機械文明の進化が著しい日本に、軍事基地を構え、先端技術を容易に貰える体制も出来ました。
現在に於いては、日米通貨スワップの名目で、ロサンゼルス港での米国企業の輸入代金を日本銀行が支払う形です。
米国内の銀行の金庫は、米国債で溢れるほどなので、米国の輸入企業は、米国債で払おうとします。
ですが、代金を払って貰う外国企業も、米国債は支払いに使えないので、別の証券を求めます。
それで日本国債が駄々洩れして、円安に振れる圧力が高まるのです。
100:唐招提寺に思う事 353
24/06/10 20:55:54.71 xhiXdeZ+K
いずれ、日米通貨スワップは、その場凌ぎの対処療法に過ぎず、抜本的な対策が求められる問題です。
堂々巡りですが、そうした経緯と精神環境から生まれた戦争が「 テロとの戦いを装う、マッチ・ポンプ戦争 」です。
この様に形而上的に整合性を考えて見ると、如何でしょうか。
現実に実際問題として、現段階に於いては、イスラエル軍とアメリカの政界以外には、全く理解できない以下の事柄、
A.なぜネタニヤフ政権は、ガンガン強気でガザ地区に対する無差別爆撃を継続しているのか。
B.なぜアメリカ政府は、そのネタニヤフ政権を支持し続け、軍事支援を続けているのか。
C.なぜネタニヤフ政権は、世界の世論が反イスラエルの熱狂状態から、親イスラエルに変化する確信を持っているのか。
この三つの事柄に関して、誰も整合性の有る説明が、出来ていないのでは有りませんか?
そして、現段階に於いて唯一、完全に論理的で整合性の有る説明としては、ここに紹介した理論だけなのです。
そして、その上で、件の言葉を考えます。
「額(ぬか)づけば額づくほど、希釈されて行く。
こう言う事って、有るの? 本当に、これで、いいの?」
このお言葉に付いてなのですが、一つの回答としては、
イ. 額づくほど希釈される理由は、上辺は平和な市民社会の様に見せながら、水面下では、
「不正中毒」「盗み中毒」「偽装中毒」「植民地支配中毒」「性の上納中毒」「覚せい剤中毒」「戦争中毒」「虐殺中毒」
この症状が同時に進行している。
ロ. イの社会現象が発生する理由は、「 中毒に依って、虚栄心と欲望を満たして陶酔する存在性の社会 」に於いて、
「 女子供年寄り達が、その心の尊厳と自由を永遠不変に継承できる国 」
この様な国が、不正を浮き彫りにしてしまう邪魔な存在なので、古代からそこに侵略と抑圧の歴史の繰り返しが有る。
ハ. 良いと思っているのでは無いので、ここで紹介したボランティアの形で、最小限の示威行動を米国側に示しています。
日本国内だけ、シャッターを降ろす様にビシッとマイクロ被害を止めると、死の灰が降り注ぐ関係は続いています。
軍事レベルでは、この様な状況で、ネタニヤフさんが諦めてくれれば、全て解消する流れです。この続きは、また明日。
101:ネタニヤフさんの父の訂正①
24/06/11 20:46:42.91 o9DCXFUnE
この一編の文章の中の5月20日の投稿の「 唐招提寺に思う事 289 」に於いて、
==========
端的に言えば、ネタニヤフ氏の父親は、ジェノサイドと言う言葉を発案した、ラファエル・レムキン氏と見受けられます。
==========
この様に記述していました。
一応、私としましても、その当日と前日の合計二回ほど、「 ネタニヤフ 」と言う語でネット検索を行っていました。
ですが、ネタニヤフさんの父に付いては、不思議と詳述している記事を見る事が出来なかったのですね。
精々、
URLリンク(www.asahi.com)
「キング」「魔術師」の異名を持ち、愛称「ビビ」で知られるネタニヤフ氏とはどんな政治家なのでしょうか。
ベンヤミン・ネタニヤフ氏の経歴を紹介しましょう。 ★父親は名家の出身で大学教授です。
==========
この程度だけだったのです。
実は、不思議な事に、いくら探しても出て来ない、と言うお話は、随分前にも聞いた事が有ったのです。
それは、1999年にアメリカン・ヤフーの掲示板が縁でメル友に成った、アメリカの大学院の学生の人のお話でした。
で、有れば、それなりの理由が有って、その様に成っているのだろうから、それも一つの重要な真実としての因子の存在。
その様な判断から、一つの整合性として、5月20日の投稿文の様に立論した次第です。
ですが昨日、同じ様に検索して見ると、山ほどに詳述している記事が、しっかりとウィキペディアで公開されていました。
なので、改めて、ここで形而上的に、前回の立論の訂正を兼ねて、新しい立論を展開する次第です。
ベンヤミン・ネタニヤフさんの父は、ベン=ツィオン・ネタニヤフさんです。
ベン=ツィオンさんは、ロシア姓をミレイコフスキー(Милейковский)。
1910年に、旧ロシア帝国ポーランド領ワルシャワで生まれました。
一家は1920年にパレスチナへ移住し、エルサレムに入植しました。
ベン=ツィオンさんもまた父の思想を受け継いだシオニスト運動家で、コーネル大学でユダヤ史の教授でした。
★ヘブライ・エンサイクロペディア(百科事典)の編集者であり、それが息子達の思想に大きく影響しました。
102:ネタニヤフさんの父の訂正②
24/06/11 20:51:05.37 o9DCXFUnE
そしてここで、「 これは、なんなんだ? 」と言う疑問を発生する存在として、
「 ヘブライ・エンサイクロペディア 」
この名称が有りますが、それをネットで検索して見ますと、
URLリンク(ja.wikipedia.org)
出版期間が長引いたことにより、編集者もたびたび交替した。
ヨーゼフ・クラウスナー、★ベンシオン・ネタニヤフ(英語版)、(中略)携わった著作者は2500人以上である。
その中にはイスラエルを代表する科学者や、15人のノーベル賞学者も含まれている。
この百科事典には「一般、ユダヤ教、イスラエル人に関する」との副題が付いている。(中略)
国や都市の記事についても、一般的な事項と、ユダヤ人に関する項目は別に解説されている。
★特に、ナチスによるホロコーストについては詳細に解説されている。
==========
平たく言えば、ベンヤミン・ネタニヤフさんの父、ベンシオン・ネタニヤフさんに関しては、
① 1910年に、旧ロシア帝国領だったポーランド東部のワルシャワで生まれた。
② ベンシオンさんもまた父の思想を受け継いだシオニスト運動家で、コーネル大学でユダヤ史の教授をつとめている。
③ ヘブライ・エンサイクロペディア(百科事典)の編集者で、ホロコーストを重点的に編纂して宣伝している。
④ 一家は1920年にパレスチナへ移住し、エルサレムに入植した。
⑤ ベンシオンさんは、ロシア姓をミレイコフスキー(Милейковский)と言う。
そして今一度、ラファエル・レムキンさんに関しては、
① ポーランド東部のベツヴォデネ地域の出身で、弁護士、検察官、法律学者であった。
② アメリカでは最初デューク大学、後にイェール大学に勤務した。
③ 1944年にジェノサイドを造語して、「 占領欧州における枢軸支配(カーネギー世界平和財団)」を著作した。
④ 1948年に「ジェノサイド罪の防止と処罰に関する条約(通称・ジェノサイド条約)」が国連総会で採択された。
⑤ 国連事務総局の顧問としても活躍した。
103:ネタニヤフさんの父の訂正③
24/06/11 20:59:17.00 o9DCXFUnE
この様に整理して見ますと、①の出身地、②の職種、③の後世に残した功績が、ほぼ同じ事に気付かされます。
そしてそうした事柄に連動して、私などが個人的に聞き及んでいた、とある伝承が想起されます。
この一編の文章の中の5月20日の投稿の「 唐招提寺に思う事 289 」で紹介したジェノサイドに関してです。
内戦と保導連盟事件と文化大革命、即ち日本人種に対するジェノサイド、人類最大のホロコーストの最中に、
「 国連の事務総局の顧問の人が、視察に来るらしい。」
「 ジェノサイドやホロコーストを禁じる専門家らしい。 」
「 ポーランド系ユダヤ人で人権を尊重してくれるらしい。 」
この様な情報が、虐殺や虐待や強制労働を受けていた日本人種の人々の社会の中に伝わって来た、と言うのです。
だから、みんなは、
「 希望を持てぇ! これでみんな、助かるぞぉ! 」
この様に言って、大いに喜んで、安心した、と言うのですね。
ですが、その二人組が現地に訪れて言った言葉は、
「 彼らは、ジャパンのサイドだから、完全に殲滅しなければ、ワシらの新世界の完成も無く、安定も無い。」
「 ラムサール条約は、社会の裏で、本当に約束された話で有って、永久不変のものだから、迷わずに皆殺しにしろ。」
こう言う事だった、と言うのです。
ここで言う「 ラムサール 」と言う言葉の、そのスラング(隠語)としての意味は、
「 上辺の会話の言葉としても、本音の心の言葉としても、高い道徳レベルで楽しく暮らす羊の様な人間社会を殲滅する 」
言わば2万年前から東アジア諸国に定住している日本人種、即ち日本の国民と清国の国民の殲滅を意味します。
どうして、ユダヤ人社会などの移民社会が、一つの可能性として、その様な目的意識を持つ様に成るのか、と言うと、
「 唐招提寺に思う事 331 」
ここで詳述した通りなのです。
との様に、趣旨としては、ここまで記述している論旨に矛盾は無いので、このまま論の展開を進めたいと思います。
本日は、これで終わります。。