24/07/28 20:36:46.76 08Tr5mLQ7
そもそも、善人とは如何なる存在で、悪人とは如何なる存在か。
その判断の基準も、国や表面的国際政治と言う、限られた枠の中で、便宜的に用いられる一元的要素に過ぎません。
つまり、一般的な社会生活や表面的政治活動を行う前提に於いては、それを公式として共有する事が合理的です。
では、社会生活や国際的な政治活動を行う場合に、その一元的要素に準拠したままで、充分に安全でしょうか。
答えは、安全では有りませんね。
何故ならば、それでは相手を鴨の様に見て、巧く騙して打ち負かす生存競争に於いて、砂上の楼閣の様に消されます。
家や家族や不動産だけでなく、祖国もその領土もその先祖の名誉や存在性の全てまで、元々無かった形で消されます。
人間の社会には、必ずその様に、目に見える部分と、目に見えない部分の違いが、存在します。
言わば、陽の作用と陰の作用、表の作用と裏の作用、一般的に知られている作用と一般的に知られていない作用。
そして、往々にして言える事ですが、人の命が存続するか死亡するか、この違いは後者の部分で決まります。
では、その後者の分野に於いて、長けている存在は、善人でしょうか、悪人でしょうか。
その様に、改めて整理して考えて見ますと、表面的には、悪人と称される存在性こそが、長けているのです。
即ち、悪と称される遺伝子の粒子の塊の方が、人の命が存続するか死亡するか、この分野で長けている存在です。
いわゆる社会の裏側の活動で、一生懸命に命懸けで頑張っている人達が、迷いの無い確信と自信に満ちている所以です。
即ち、肌の色を白くする「 白幸水 」と言う飲用薬を利用すれば、相手は鴨の様に、簡単に騙される。
その向精神薬と、病院で働く資格を利用すると、癌と言う名目だけで1984年から450万人も粛清出来ている。
そうした戦略的な判断と行動が簡単に出来る、そうした二束の草鞋を履く、自分達の在り方こそは、神が承認している。
神が承認しているからこそ、この様な大きな利益と多くの快楽と喜びが得られる。
即ち、この自分達の在り方こそが、神が人間社会に求めている、最終的な善人としての在り方で有る。
実際に、表面的にも、病院で働く善良な人間として称えられ、相手側は謝罪しながら礼を言う在り方が定着している。
251:唐招提寺に思う事 486
24/07/28 20:39:59.03 08Tr5mLQ7
いかがでしょうか。
言いえて妙な感じも有りますが、改めて整理して考えて見ますと、悪人の存在性こそが、善人に成り得るのです。
即ち、善人のポストを勝ち取り、安定してその地位を確保し続けることは、悪人こそが長けている形です。
将に、奈良時代の鑑真(がんじん)さんや道鏡(どうきょう)さんが、この日本の国の頂点に立った様にです。
ただ先住民型の日本人としては、その固有の遺伝子の粒子の塊の特性として、そこに喜びを共有できません。
何か、違和感を禁じ得ないのです。
言わば、
「 本当に、神様は、その様な結果を望んで、地上人類を創造したの? 」
この様な疑問です。
確かに、善なる者を造ったのも神で有り、悪なる者を造ったのも神です。
重ねて、善なる者も不完全な粒子の塊で有り、悪なる者も不完全な粒子の塊です。
そして、最終的には、善なる者の遺伝子の粒子の塊の特性が希釈され、最終的に全滅する事を望んだ?
それもそれで、言わば一種の「 収穫期 」の終焉の時の訪れ、と言う形で、一定の整合性は御座います。
ですが、その内部から一種の生命としての作用として、多年草の植物の様な作用が生まれれば、如何でしょうか。
まだその命を続けようとして、必死にもがいて、生き延びよう、生き延びようとしていた場合です。
自分の命が消えるとしても、同じ種の命が生き延びる様に支えよう、支えようとしていた場合です。
その種の遺伝子の粒子の塊の集団の内部に於いて、その様な作用が存在している場合には、如何ですか?
整合性に基づけば、消え入る様に見えていた生存権が、顕在化します。
即ち、生き延びる事を望む作用が有るのだから、その種の命は終わっていない形です。
すると、ここでは、解り易くする為に、便宜的に、その作用の表現を単純化して考えて見ます。
即ち、
「 その種の命の存続を危められた方が、自分に害敵作用を及ぼした方の遺伝子の粒子の塊の特質を、取り込む現象。」
これを考えて見ます。
252:唐招提寺に思う事 487
24/07/28 20:43:16.37 08Tr5mLQ7
言わば、
イ.鴨の様な標的の相手側に接近する時に、効果的に信用される様に、言葉の使い方と立ち居振る舞いを偽装する。
ロ.鴨の様な標的の相手側を攻撃する時に、効果的に攻撃できる様に、表面化しにくい相手側の節穴の部分を探る。
ハ.鴨の様な標的の相手側を希釈する時に、効果的に粛清できる様に、そこに戦果を称え合う精神風土を共有する。
こうした要領で、女子プロゴルファーの成功例に窺える様に、子供の段階からその躾けや生活習俗を培うのです。
即ち、その遺伝子の粒子の塊の集団内部で、将来の急先鋒や先導役や幹部候補を選んで、全社会的に養成します。
しかも、そうした一連の生存権作用を、非公式に総意として社会の裏側で形成します。
その様な構図で、ガバナンス( governance = 統治・支配・管理 )の効いた社会を完成する形です。
日本の国は、世界の中で唯一、「 軍隊を剥ぎ取られた、有色人種の敗戦国 」と言う厳しい政治的立場に置かれました。
且つ、世界を制した米国の中で毎日、自国の通貨の価値を示す指標として、国の通貨「 円 」を使われている国です。
その様に、事ある毎に、政治的圧力や干渉を受けやすい立場に有ったので、必然的に生命財産の保障が希釈されました。
そうした結果現象の大元の原因の一つとして、日本の国内の社会が「 二束の草鞋を履く在り方 」を嫌う形が有ります。
つまり、日本の国内だけの遺伝子の粒子の塊の集団社会の中では、それが善で有り、生活の土台に成っていた形です。
そこに、戦後に形成された遺伝子の粒子の塊の集団社会の中では、それが善を失い、生活を失う原因に成りました。
言わば、生命財産の保障を形成する、固有の領土作用も領土の福利も、機能が停止した状態に嵌め込まれた形です。
その様に嵌め込まれた、先住民型の日本人社会は、外国に有る外人の家の庭木の不要な枝の様に、切り落とされました。
国の宝の様な、国民生活者の為に善を行い、福利を形成する人ほど、邪魔な枝として、無造作に切り落とされました。
一人一人の単位で、評価を失い、仕事を失い、家族を失い、家を失い、健康を失い、命を失う事が繰り返されました。
ですが、その間、特に1985年頃からは、一人一人の扱われ方や死に方が、密かに記録に保存される様に成りました。
253:唐招提寺に思う事 488
24/07/28 20:50:39.77 08Tr5mLQ7
その結果を発生する人が、どの様に近づき、どの様に関わりを持ち始め、どの様に言葉を使うか。
どの様な感覚を持ち、どの様な目的を形成し、どの様な気持ちを共有し、どの様に相手の社会の様子を見るか。
そして中国軍の特戦隊の様に、即ち遠くから監督する在り方の軍事的な組織の存在にも、気付く様に成りました。
先住民型の人間社会で有り、「 二束の草鞋を履く在り方 」を嫌う社会は、往々にして外部から「 鴨 」と見られます。
その鴨型の社会に対して、その外部の社会は、その遺伝子の粒子の塊の特質としての作用を発生します。
その中国軍の特戦隊の様な軍事組織が、統制を取り始めます。
言わば、無駄に発生する小さな衝突や抗争に対しては、非公式に厳しく処罰を加えるのです。
そして効率よく、利益や快楽を獲得する為の行動を画策し、その行動を行いやすくする為の軍事的策動を、実行します。
即ち、そうした正式な軍隊の観察と調査と分析、客観的な判断と精巧な作戦図の作図が有って、統制が取られます。
その様に、波風立つ事も無く静かに侵略が進み、専門的には対象国の領域主権が希釈が、進みます。
即ち、対象国の領土の福利は、対象国の国民の為の福利では無くなり、支配国に帰属する市民社会の福利に成ります。
事業活動を展開する事業家の権益しかり、出世競争する公務員やサラリーマンの享受する豊かさ、しかりです。
地域社会の中の主婦や子供が享受する安全と安心感、しかりです。
対象国の国民の権益も豊かさも、安全と安心感も、次第に遮断され、消えて行きます。
それに留まらずに、次第にそこに所有されていては成らないとする、新しい領土観念に、入れ替わります。
ついには、権益も豊かさも、安全と安心感も、支配国に帰属する市民社会だけが、享受できる観念に固まるのです。
ここで一つの考察として、移民で形成する社会やシナギモを食べる食文化の社会は、自律的な国家運営は出来ません。
即ち、カント( 1724~1804 )の倫理学に於いて根本を為す観念に準じる事は、出来ません。
即ち、理性が自然的欲望に拘束されずに、自ら立てた道徳に準じることは、出来ない因果なのです。
つまり、個々の単位でも然り、国の単位でも然りで、その様な在り方は出来ない形です。 続きは、また明日。。
254:唐招提寺に思う事 489
24/07/29 20:32:54.47 O2cfZXMvB
上辺や見え方や装いがどうで有れ、その遺伝子の粒子の塊の特質的な作用として、それは出来ないのです。
それは、どう言う事か、と言うと、解り易い様に世俗的に表現すれば、
「 掴( つか )んだカモは、話さない。」
もっと言うと、
「 つかんだカモは、既に自分の体の一部と同じなのだから、それを切り離そうとする作用が有れば、徹底抗戦だ。」
こう言う、死活問題に直結し、必然的に生存権闘争に発展する、と言う事なのです。
それは人間の脳の自律神経の作用にも、支配的な影響感化を発生します。
そこに有るのは、いわゆる単なる生き物としての、生きる為の脳の作用を司る大脳辺縁系の作用に成ります。
それは、誰が決めたとか、誰が作ったのかと言う問題では有りません。
まぁ、造った創造主と言えば、それは神様、と言う事に成ります。
いずれにしろ、それがどの様に有るのか、と言うところを、解り易く世俗的に表現すれば、
イ.「 危なっかしい不用心なカモの様な、気立ての良い娘を見ると、嬉しくなる。 」
ロ.「 イと同じ意味で、二束の草鞋を履く在り方を嫌い、道徳を規範として暮らす資産家を見ると、嬉しくなる。」
ハ.「 風格の有る怖い存在だった敵側の実力者が、病人に成って苦しむ様子を見ると、嬉しくなる。 」
これが、いわゆる本能と言われる作用、そのままの形です。
ここで、改めて、人間の脳の細胞の作用、と言う事で考えて見ます。
そこに大きな戦果が有るのか、重い罪が有るのか、と言う判断は、判断する人間の遺伝子特性に依って、違いが出ます。
なぜ、遺伝子特性に依って違いが出るのか、と言うと、生まれ育った社会に依って、評価基準や判断基準が違うからです。
即ち、
「 自分と同じ目的の言葉に依って、同じ苦労や努力を繰り返して、同じ犠牲や損失を払って生きている人間を見た場合 」
全ての人間は、ここに、大脳辺縁系の脳細胞の遺伝子の作用に依って、共感が発生するのです。
英語で言えば、シンパシーと言うものですよねぇ。
共感とか、シンパシーと言うものは、解ったようで解りにくい作用です。
なので、ここで今一度、掘り下げて考えて見ます。
255:唐招提寺に思う事 490
24/07/29 20:35:40.42 aaoBDj3pS
少し面倒なのですが、突き詰めて、検索して見ると、どうやら側頭葉からその作用が発生しているのです。
大脳側頭葉の内側部で、側脳 室下 角底部に位置し、「海馬」と称される顕在性の記憶の中枢が有ります。
側頭葉の下方の「扁桃体(へんとうたい)」は「海馬」が出し入れする記憶を増幅したり弱めたりさせる作用が有ります。
こうした海馬や扁桃体とは、大脳辺縁系の脳細胞と分類されている様です。
それは、動物一般に共通の情動、喜怒哀楽、快適と不快と言う様な生命に直結した働きにを持つ脳細胞とされています。
その「本能」や「自律神経」、その範疇の「感覚的思考」を司る、大脳辺縁系の役割を説明しているページが有ります。
一応、私なりの判断の裏付けとして、ここに引用して論拠とする形です。
なので、簡単にザッと、眺める様に読み進んで頂ければ幸いです。
URLリンク(www.akira3132.info)
大脳辺縁系の中の「帯状回」と言われる脳細胞が、感覚的な意思決定、感覚的な共感、感情に依る記憶を司ります。
大脳辺縁系の中の「海馬」と言われる脳細胞が、目、耳、鼻からの短期的記憶や情報の制御。
恐怖・攻撃・性行動・快楽反応にも関与します。
大脳辺縁系の中の「扁桃体」と言われる脳細胞が、恐怖感、不安、悲しみ、喜び、直観力、痛みの記憶を司ります。
大脳辺縁系の中の「側坐核」と言われる脳細胞が、快感を司っています。(GABAの産生が最も主要)
この他に本能と感覚的思考に関与する脳細胞では、「大脳皮質」の「前帯状皮質」が共感、情動の認知機能に関与します。
==========
更に、大脳辺縁系に関して、理化学研究所の専門家のページを参照します。
リンク文字の文字数が多いので、段を変えて参照します。
256:唐招提寺に思う事 491
24/07/29 20:40:59.11 aaoBDj3pS
URLリンク(bsi.riken.jp)
94%9F%E9%A1%9E%E3%83%BB%E7%88%AC%E8%99%AB%E9%A1%9E&text=%E9%AD%9A%E9%A1%9E%E3%81%A8%E4%B8%A1%E7%94%9F
%E9%A1%9E%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%80%81%E5%A4%A7%E8%84%B3,%E8%BE%BA%E7%B8%81%E7%B3%BB%E3%80%8D%E3%81%97%
E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82
魚類、両生類、爬虫類では、脳幹が脳の大部分を占めている。
脳幹は反射や、摂食、交尾のような本能的な行動をつかさどる。
魚類と両生類では、大脳には、生きていくために必要な本能や感情をつかさどる「大脳辺縁系」しかない。
進化的に古い大脳辺縁系は「古皮質」と呼ばれる。
鳥類や哺乳類になると、小脳と大脳が大きくなり、特に大脳が発達し「感覚野」「運動野」といった
「新皮質」が出現する。
霊長類になると、新皮質がさらに発達して大きくなり、「連合野」が出現し、高度な認知や行動ができるようになる。
ヒトでは、新皮質が大脳の90%以上をも占める。
==========
いかがでしょうか。
この様に資料を参照して、何をか言わんとするのか、と言うと、大脳辺縁系の脳細胞の存在性と作用の特長です。
人類は、有史以前から今日に至るまで、一つの種族として、生き延びる事に必死に成って頑張って来ています。
その頑張って来た歴史は、好むと好まざるとに関わらず、その遺伝子の中に深く刻み込まれているのです。
今まで生きて来た遺伝子の粒子の塊として、ライオンも有れば、狼も有れば、ウサギも、猫も、人間も皆、同じです。
大脳辺縁系の脳の細胞のお陰なのです。
生きる為に必要だから、
「 つかんだカモは話さない。」
もっと言うと、
「 つかんだカモは、既に自分の体の一部と同じなのだから、それを切り離そうとする作用が有れば、徹底抗戦だ。」
この様な作用が有るのです。 続きは、また明日。。
257:唐招提寺に思う事 492
24/07/30 20:35:51.31 FfUpP5Hi/
もっと言うと、
イ.「 危なっかしい不用心なカモの様な、気立ての良い娘を見ると、嬉しくなる。 」
ロ.「 イと同じ意味で、二束の草鞋を履く生き方を嫌い、道徳を規範として暮らす資産家を見ると、嬉しくなる。」
ハ.「 風格の有る怖い存在だった敵側の実力者が、病人に成って苦しむ様子を見ると、嬉しくなる。 」
こう言う大脳辺縁系の脳の細胞の働きが、有るのです。
この様に説明すると、
「 現代は、食べ物が豊富に成り、余裕で豊かに暮らせるのだから、他人を食べる様な反応は、必要無いだろ? 」
この様に怒る人がいるかもしれません。
しかし、そこです。
そこに、2万年も農耕民族の歴史を経た、遺伝子の粒子の塊の特長が有ります。
ですが、2万年も狩猟民族の歴史を経た、遺伝子の粒子の塊の特長に、思いを馳せて見て下さい。
窒素原子と酸素原子と炭素原子と水素原子とリン原子を組み合わせて、他人の遺伝子を造り変える事が出来ますか?
その辺は、理屈でどうこう考える依りも、感覚的に慣れる事の方が、生き延びる可能性が、高く成ると考えて下さい。
そして、
「 他人の脳細胞を造り変える事は出来ないが、自分達の脳細胞を造り変える様な事と、同様の事は出来る。」
ここに注意を喚起して頂きたいのです。
いわゆる、免疫を持つ、と言う機能と同じです。
「 2万年も農耕民族の歴史を経た、遺伝子の粒子の塊の特長 」の一つに、その土地の風土病に掛からない点が有ります。
その型の日本人で有れば、「 子宮頸癌 」などの「 癌 」や「 インフルエンザ 」や「 デング熱病 」に掛かりません。
「 ノロウイルスに依る胃腸炎 」や「 日本脳炎 」や「 新型コロナ 」と言う病気にも掛かりません。
これは2万年前に、全滅の様な大災害を繰り返して、ウイルス遺伝子の優れた部分が、体の中に取り込まれたからです。
他人様を、そのウイルスに準(なぞら)える事は、失礼に当たるかも知れませんが、生存権問題なので御容赦頂きます。
即ち、現在の先住民型の日本人は、
「 2万年も狩猟民族の歴史を経た、遺伝子の粒子の塊の特長 」
これを、自分達の遺伝子の中に取り込む必要が有る、と言う事なのです。
258:唐招提寺に思う事 493
24/07/30 20:41:54.81 FfUpP5Hi/
ここまで、この様に論を展開して、何をか言わんとするのか、と言うと、「 病身舞い 」です。
要領としては、飲み会や座談会などの集まりの中で、
「 わっしょい。わしおい。わっしょい。わしおい。 」
との様に、掛け声を掛け合いながら、それぞれに、有志が「 病身舞い 」を舞うのです。
どの様に踊るのか、と言うと、
イ.マイクロの攻撃で、脳血管障害を発症して、不規則な歩き方に成った人の動作。
ロ.マイクロの攻撃で、内臓疾患で手術を受け、更に病室の隣の物置からマイクロを浴びて、苦しがる動作。
ハ.通り魔の襲撃などの暴行に依って、体と心に傷を負って、すっかり怯え切っている人の動作。
この様に、戦果を上げた事を誇って、敗者の動作を真似て踊る、勝利者で有ればこそ出来る、「 勝利の舞い 」です。
外国の軍勢に占領された相撲部屋で、日本人が力士を辞めるまで迫害を受ける「 可愛がり 」と同じ構図です。
同じ種族の仲間に向けては、団結心と攻撃心に拍車を掛けて、勢いを増す為の「 手柄自慢 」です。
先住民族の市民に対しては、軍事的な優勢を見せつけて、上手に命乞いをさせて服従させる為の「 見せしめ 」です。
これが享有されているからこそ、弛(たゆ)むこと無く、怯(ひる)むこと無く、安定して邁進できる形です。
必要な一体感と集中力に磨きを掛け、正確で緻密な連絡と、効率の良い協力が、恒常的に出来るのです。
漲( みなぎ )る様に力が付く在り方で、決して、付いた力が希釈される事は有りません。
言わば、馬力とトルクを生み出す源の生活文化で有り、「 命の源の舞い 」なのです。
これが有ったからこそ、種族が存続し、種族が繁栄を極めた形です。
嘗ては、インド大陸の東方の山々で、最も貧しく不潔な国と言われた事も有る東インド人社会でした。
それが今や、東アジア大陸を取得して、実質的に、世界最大の経済大国に成っている形です。
それを生み出してくれた魂の中の、最もコアで、最もピュアーな存在が、この「 病身舞い 」なのです。
これ無くしては、魂の抜け殻と同様に成り、希釈され、文字通りに、砂上の楼閣として滅び去る運命に落ちます。
当然と言えば当然で、それが無くなってしまえば、民族的な一体感も推進力も、何もかも瓦解するからです。
続きは、また明日。。