22/04/02 16:41:33.59 TGOKaw2Q.net
>>730
「人權宣言」は國家と個人との閒に永久の限界線を劃し、立法者をして常に此の限界を遵守せしめ、永久に『人類の自然的の讓るべからざる神聖の權利』として之を羈束せむとするものである。
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人權及び國民權宣言(仏: Declaration des Droits de l'Homme et du Citoyen)俗に謂ふ佛蘭西人權宣言(1789)
第一條
人は出生及び生存に於て、自由及び平等の權利を有す。社會的の不平等は公共の利益の爲の外、作る縡を得ず。
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此れは先行した米國の權利章典(Bill of Rights)の摸倣でしかないが、兩宣言共抽象的の主義を列記して其の意義の廣汎なる縡は共通し、殊に所謂佛蘭西人權宣言第四條及び第六條……
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第四條
自由とは他の者を害せざる凡てを爲しうるを謂ふ。
各人の自然的權利の行使は社會の他の各員をして同一の權利を享有せしむる縡の外に、制限を有せず。
此の制限は法律に據るに非ざれば之を定むるを得ず。
第六條
法律は總意の発表なり。
凡ての公民(シトアヤン)は自ら又は其の代表者に依りて法律の制定に參與するの權利を有す。
法律は其の保護を與ふるものと所謂定むるものとを問はず、凡ての對して均一なるを要す。
法律の眼中には凡ての公民は均等なるが故に、公民は其の能力(キヤバシテー)に應じ、
自己の價値(ヴエルテユー)及び自己の技能(タラン)に依る外他の區別無く均しく凡ての尊號、公の地位及び職務に任ぜらるゝをう。
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上記は徒に何の意味も無い自由及び法律の定義を列記したものに過ぎぬ。
米國の權利章典(Bill of Rights)は其をして、米國諸州が之に據りて始めて秩序ある公共團體となつたが、飜つて佛蘭西人權宣言は其の發布後、
騷亂を惹起させ、國體の基礎を根柢から覆へせしめ、益國をして擾亂に陷つて終つた。
詰り却つて此の場合、外國法の輕率なる繼受が如何に危險なるかを證明す可き一例證たるものとなる。
さう云ふ歴史からの敎訓を全く省みぬのは盆暗な證明でしかない。