21/11/18 11:53:14.45 oBjF1/hI.net
例えば、元自衛官の新聞記者の話として、こんなのもある。
小学校4年生だった大野は社会科の授業中に担任の女性教師から
「大野君のお父さんは自衛官、自衛隊は人を殺すのが仕事で憲法違反の集団。」
「みんな、大きくなっても大野君のお父さんのようにならないようにしましょう。
先生たちは自衛隊や(日米)安保をなくすために闘っている。」と言われた。
大野は同級生から除け者にされ、教室の隅での給食、上履き窃盗、ランドセルの中身を
捨てられたり、下校途中に投げられた石で負傷した。大野は、親に説得されるまで登校を拒否した。
大野は転勤の多い自衛官の子弟が多数在籍していた都立の全寮制高校に進学した際に
自分だけが特殊な経験をしたのではなかったと知ったと述べている。
他の子弟も小学校や中学教師に「自衛官は人殺し」「鉄砲もって喜んでいる」と皆の前で言われたために、
同級生にも「人殺しの子供」と罵られた経験者や親や兄弟、親族を馬鹿にした日教組の教師に反発したために
内申書の評価を下げられる被害を受けた。日教組や自治労など熱心な活動をする組合員、専従組合員を中心に
自衛隊員子弟の入学反対運動や子弟の目の前で授業中に自衛隊を憲法違反で解体されるべきなどして吊し上げていた。
さて、自衛隊敵視って言うのは、国家の方針とはもちろん違うし、日本全体で言えば当時でもマイノリティ側だったろう。
だが、教室という閉じたヒエラルキーのなかでは教師は絶対的な権力者であり、生徒の洗脳に成功すれば多数派足りえた。
↑は言論弾圧と言うより「虐め」と言った方が適切だが、少なくとも思想信条の自由が守られる環境とは言えるまい。
即ち、国家以外、それこそ反体制思想の持ち主でも、その場で権力を持つ or 多数派となれば、他人の思想を弾圧できてしまう、というわけだ。