21/06/03 19:54:02.99 ENR1Lpeu.net
形式教育については必ずしも軍人の教育ばかりでなく、
日本の教育それ自身が全くその為めに大いなる禍根を養い来った。
予は敢て言う。帝国大学あって、日本の腐敗せる官僚政治は出で来り。
士官学校、兵学校あって、陸海軍の腐敗せる幹部は出て来った…
この形式教育なるものは、人間を全く物体として取扱い、心というものには、全く触るる所はなかった。
別言すれば、一切の事は法に任せて、人に義務もなければ、責任もないものとした。
いわば日本の官府は、文官も武官も皆な法治国の文官であり、武官であり、法以外には何物もなかった。
所謂法度万能主義であって、彼らの心掛けは、只だ法にさえ触れず、
丸木橋を渡るが如く、只だ法の筋目を践んでさえ行けば、可なりという事になった…
この要領よくという事は、法度の筋目を践み外さぬように、巧くその当座を取り繕う事である。
機械的に人間を製造したる、製造所ともいうべき、あらゆる官学は、
文武何れの方面に於いても、点取り競争であって、学生は只だ点数さえ取ればよいと心得ていた…
その結果が今回の戦争に極めて明白に暴露せられた…。
学問の目的は、所謂る立身出世である。即ち個人的功利以外には何物もない。
而してその標的に到達する道は、定められたる型通りの筋を践んで行くことである。
所謂秀才とは、その定められたる型に最もよく嵌まりたる者をいう訳であり、
成功者とは、その型に適まって、立身出世をした者をいう事であり。
かくて世の支配階級なる者は、文武何れの方面も、軽佻浮薄、無責任、
無節操の徒輩の寄合となって、飛んでもなき餅を搗き出す事となったのである。