21/02/28 01:35:15.10 NQ0hQvrG.net
>>913
>「火炙りは残虐な刑ではないかどうか」、つまり現在のルールで残虐か否かを語られるのは、現代でそれを行った場合のみ。
詭弁
火炙りにされた者の苦痛が価値観や法制度によって変わるわけでもないだろうに
>国民が事実上の決定をしていたのに、それを黙認していた者の責を問うのは、
>国民の監督者を不要とする民主主義の前提を否定することだって。
事実上の決定をしていたということと、責任を負うべき立場にいたかどうかとはまったく別の話
>批判者が批判に込める精神は、現代で是とされる価値観に拠らない場合、「婦人運動家は当時の価値観じゃアバズレだ!」という無意味な批判に至る。
ということは、
「会議の場で発言しなかった者は『異議無し=賛成』の意思を表明した者としてその結果については会議に参加した者たちと同じ責任を負う」という
現代でも是とされる価値観に拠らなければならぬということであり、当然のごとく天皇は責任を問われることになる
>批判対象の評価は、当時の価値基準に拠らない場合、「戦国時代の人間は人殺しだ!」という無意味な批判に至る…ってね。
現代の価値観でも、戦争で兵士が相手兵士を殺しても「人殺し!」にはならないゆえその喩えは成り立たぬ、別の喩えを持ってきたまえ
しかも「天皇は神聖不可侵」は価値観では無く法制度であるため、価値基準ウンヌンの話の対象外
>「国民の決定に関与しなければならない上位者などそもそも不要」に合致してなきゃ結局君は民主主義の前提を無視してるのよ。
「公務員に賄賂を贈ってはいけない、絶対やるな」とは、企業の常識であり、社長の指導など不要である
そのような指導など不要だからと言って、社員が公務員に賄賂を贈るのを黙って見ていれば、社長も責任を問われる
必要か不要かと、立場としての責任があるかどうかとは、まったく別の話なのである