21/02/23 10:32:56.52 M9TdLuJm.net
>>452
わっかるかなぁ?も、何も「帝国憲法下では名目上は天皇に統治権があった」ってことには誰も反論してないってば…。
それを受けての反論が【今日の立憲君主制・国民主権では、君主は国民の決定に是非を言わないことが求められる以上、その責を問えるのか】って話なんだけど…なんでわっかんないのかなぁ?
>>454
既に>384で書いたでしょーに…そういうなら「かもしれない」故の問題点もプラスしてヤロっと。
まぁ、ついでにざっくりまとめちゃうとさ。
【ID:SD1PkCLC君の主張】
対戦は悲惨な結果に終わった。
昭和天皇陛下は制度上、国民の決定を止められる止められる立場にあり、止めてくれれば、国民がそれを聞き、大戦の惨禍は避けられたかもしれない。
以上より昭和天皇陛下は「それでも主権者か!」等の強い言葉で責められるべき責任を負う。
…ってとこでしょ? でもって、こちらの反論はこう
〇 責任論として…
1 予見可能性-天皇の責任を問う以上、日本が惨禍を避けられたであろうターニングポイントはどこであり、その時点では天皇が結果を予見できたと言えなければならないのではないか?
2:回避可能性-天皇の責任を問う以上、避けられたかもしれないではなく、ほぼ確実に忠告は聞き入れられ中止せしめたと言えなければならないのではないか?
〇 倫理面として…
1:《過去の制度上は止められる立場にあっても、今日の倫理上は止めてはならないとされる立場の人間》の不作為を責めるべきか。
例えば、夫唱婦随の時代における婦人運動家は当時の倫理で言えば非常識に近いが、男女同権の社会に生きる我々はそれを根拠に彼女らを責めるべきではあるまい。
2:上記責任論において「法的責任のようなものではない」というのであれば、それを「それでも〇〇か!」等の強い口調で責めるのは適切か。
これで流石の君でもわっかるでしょ。
てなわけで、そろそろ上記【主張】の内容の無限リピートは切り上げて、こっちの反論に応えてくれると嬉しいなぁ。