21/02/19 23:21:02.32 T1MEsbpA.net
>>38
1:国民のみにある。
理由:その意思決定を成したのは国民だからである。
仮に「上位者にも責任がある」とした場合、国民は上位者に指導・監督されなければ、単体で政治的決定を成せないとするに等しい。
なお「失敗=責任」とするのは、古代の持衰(船に乗せられる祈祷師。航海後、航海が安全だったなら手厚くもてなされ、嵐等にあったなら殺された)に等しい。
露見し得なかった結果にまで責任を負わせることに正当性はなく、また、有権者が行う歴史の評価としても意味はない。
1~4の誰に責任を問うにしろ、いつ、どこで誰が間違えたのか、それが間違いだとどう露見できたのか、きちんと述べられて初めて論じる価値を持つだろう。
>>39
今日、かつての大日本帝国政府において、天皇が事実上のお神輿状態であったことは周知の事実である。
実際の有様を無視して、単に規則上の立場だけで責任を問うという点で既に前時代的なうえに、
その内容が上記のような「国民は上位者に指導・監督されなければ、単体で政治的決定を成せない(故に上位者には指導・監督の責任がある)」と言う内容では
いよいよ古代の奴隷のような発想である。