21/01/13 21:49:32.04 yb60HttU.net
>>405
> 現実に存在する文字をどう使うか、という話に「オレ様の脳内漢字」を持ち出してきても無意味。
> 擦り変えの詭弁である。
釋→釈、驛→駅、譯→訳、澤→沢
↑「訳」とは戰後略字。
正字は「譯(やく)」。
昭和廿一年以前に印刷字體としての「訳」字は存在して無かつた。
併し手書字としては普遍的であつた。
さうであるから、縱令作家が原稿に「翻訳」と書いておくと、印刷屋が「飜譯」と拾つて呉れる。
當然であつて、固より「訳」字の活字が抑存在してゐないのだから。
而して「手書字」として一般的であつたから、當用漢字では「訳」にした。
同じく澤、擇、釋、驛も沢、択、釈、駅にした。
但し「木鐸、銅鐸」の「鐸」や「絡繹、演繹」の「繹」等は當用漢字外だから正字の儘である。
本當は此等「?」を含む一群の字の音はk入聲(日本漢字音は下にキ、クが附く)、意味は數珠?の?りと云ふ括りであるから、
「尺」と「?」とに分裂して無?になつて仕舞ふのは具合が惡い。
要は當用漢字に含まれたか含まれなかつたかの問題でしかないのである(笑)。
では「訳」と云ふ略字が何うして生まれたの歟。
其は僧侶が佛典の書寫の時には善く「帝釋天」とか「釋天」と云ふ詞が出てくる。
一々面倒なので同音の「尺」字で間に合はせる。
「帝尺天」とか「尺天」と云ふ具合となる。
其を稍丁寧に書いたのが「釈」字である。
其が後に他字に迄波及したが、當用漢字外の漢字には其が及ばず今に至つてゐる。