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明治国体論
帝国憲法以前
慶応3年(1867)9月、前土佐藩主山内容堂が大政奉還の事を建白して
「天下万民と共に皇国数百年の国体を一変し至誠をもって万国に接し王政復古の業を立てざるべからざるの一大機会と存じ奉りそうろう」と述べた。
当時の政治家は国体を重要なものと思わず、山内容堂は「国体変換」の文字を祐筆福岡孝弟に書かせた。
当時事務を所管した福岡孝弟は「国体変換」と言っていた[145]。明治維新の始め、福岡孝弟も起草に関わった五箇条の御誓文は、
旧来の陋習を破り、天地の公道に基づき、智識を世界に求めることを誓った
Wikiより