19/06/24 21:13:32.26 76Q+/8mj.net
或る者が「~べきである」「~べきではない」と考えたとする。
これが他者に「然り!」と思わせるモノか否か。
是ならばそれは道徳と呼ばれよう。否ならばそれは独善と呼ばれよう。
即ち、道徳とは一定規模の共鳴なくしては道徳たり得ない。
然るに、多くの人間に「~であるべきだ!」と認められるものを
「~の権利がある」と称することに何の問題があろうか?
確かに学術・研究上は些かに問題があろう。
条文研究の最中に法律外の権利まで憂慮させられては堪らない。
(まぁ、現実にはさせられるんだが。プライバシー権とか憲法にすら明文根拠ねーし)
しかして、それを離れて、一般社会に戻ったら?
もちろん皆が是とする限り、その権利はあると考える。
故に法実証主義者は個人としてはむしろ悪法への弾劾、
俺に言わせりゃ法の外の権利の擁護も研究外では熱心に行った。
研究手法を現実解釈と嘯くならば、
その卑劣を暴く者を「クズ」と連呼するならば、
いよいよ、末路は目に見えるモノよな。