19/06/24 20:34:47.67 76Q+/8mj.net
さてと、お立ち合い。「人間に生来の人権、有るや無しや」
こと今回においては「法律に定められてない権利は有るや無しや」と言い換えても宜しい。
法律が完全無欠ならば、ないと言っても宜しかろう。
この問題が悩ましいのは、法律自体がポンコツであり
例えば弱者を救えない、例えば強者の専横を許す、そんなガラクタだった時のお話。
さて、「法の外に権利なし」と仮定しよう。
この仮定だけならば、上記の踏みつけられる弱者に、しかし、何の権利もありはしない。
嘆きも祈りも、畢竟、何の権利も持たぬならば逆恨みに他ならん。
権利もない癖に無いものねだりの横着者めと、断じられるのが関の山。
まぁ、正気でその結論に胡座をかくのは、学者以前の人間失格。
故に誰かは「否! 最大多数の最大幸福を許さぬ彼の法こそ間違いなり!」と叫び
また他の誰かは「否! 共同体の正義に反する彼の法こそ間違いなり!」と叫ぶ。
(まさにコレこそ『実際の』法実証主義者は法実証主義を研究手法に留める所以なり)
しかして、なれど、ここで言い換えを許すならば
「最大多数の最大幸福の条理上、何かしらの恩恵を受けて当然たる者」がおり
「共同体の正義上、何かしらの保護を受けて当然たる者」がおろう。
即ち、これを法定外の権利の持ち主なりと言っても差し支えはあるまいよっと。
つまり。悪法にて踏みにじられる弱者を是とするならば
或いはそもそもに法律に無謬性を求めるような愚を否とするなら
「実際の法より強い『何か』がある」と仮定せねばならず
その仮定には「その『何か』により支えられる正義/権利/人情がある」となる。
即ち、それこそ、生来の人権なるものの土台たり得るものなり。
然るに。「生来の人権など無し!」「法律外の権利など無し!」と叫ぶならば、悪法に抗うを無法と断ずるが如し。。
まして、その論拠として、法実証主義の名を騙り、研究上を超えた実際の権利論を語るならば
虎の威を借る狐はおろか、もはや他人の名前で暴れ回る卑怯な酔漢にすら等しかろうなあ。