18/12/09 20:47:33.10 TuFKA5FSu
生まれながらの定められた悪人が実在するのか、罪によるものなのか、わからない。
罪によるものだから、罪を悔い改めるように福音があるという建てつけにはなってる。
自由を断固として悪意で冒涜や創造の破壊に使ったから、悪意に対しての処罰が合理的になる。
しかし、騙し切って滅べば、罪が本質だったと言えるものだろうか。もちろんそれこそが罪でしかない。
罪を押し通して罪が生きても、魂からの破滅でしかない。
罪によるものなら際限のない嘘デタラメで自己破壊して破壊を撒き散らすだけだ。
悪として生まれたものがないから悪を犯すのに悪意があり裁かれるべき罪がある。
生かされるべき造られた命を、罪で汚して悪意で悪魔崇拝を文化とか共存尊重すると押し通したからこそ、生かしておけなくなるほどの、苦痛を神に与えて、人類を破壊し、争いが繰り返され、処罰が必要になる。
初めから罪として生まれたのだと実証しようと悪意で罪を押し通すことはより深い裏切り。
死ぬまで罪を押し通すことで、死ぬまで裏切った罪人ということになる。
命だから生かせ、悪を選んでも生かして殺させろ、それが愛で許せというのが悪魔の悪魔崇拝の根幹。
地上で拝まれてる罪のために、罪のないもの1人が殺される痛みに耐えかねて、涙を流し、共に血を流して罪を負って罪を止めて悔い改めようと、真理を求めるのがキリスト教徒。
悪を選んだ、悪は実在する。
悪として生まれたから悪として生きた率直な悪というだけだと押し通すことは、より一層深い裏切りで罪であるというだけ。
より深く罪を証明して、罪だけでなく、自分が好んで選んだ罪の原因を、作ったお前が悪い、お前よりマシだと、神の創造に着せようとした罪を加算される。