18/09/25 20:23:34.90 g1p1xYj2T
>>215
改めに
新たに
たとえ、悪人たちがいつも行っていた罪が、新しい裁きで取り除かれたとしても、
その時の罪を取り除くための、新しい罪の定義が定められたことで、
新しくもたらされたその律法を覆すだけで、それとは違うというだけで、
悪人たちが昔から好んで行ってきた同じ昔ながらの罪を野放しにできてしまう。
あるいはもたらされた死の棘を持つ裁きによって、悪人たちが罪のないものを罠にかけて殺してしまう。
パウロは律法や律法解釈によって、善悪を分けて世界を救おうと思ったことだろう。あるいは身近の小さな世界だけでも律法で善をもたらそうとしたのだろう。
しかし、死の棘を持つ裁きを下せば、簡単にくつがえせるとわかってしまう。悪用できるし、違うと言いくるめられる。
律法を定められることで、律法をらくぐり抜けて殺す悪の手口や、悪人が罪のないものを陥れて脅して殺す手口が際限なく心に浮かび上がってきてしまう。
あまのじゃくのゲームを子供の時にその人にやらされた。
言葉を見てとって覆すのは簡単だ。
考え抜かれた定義や裁きや緻密な言葉が、逆転させたり違うというだけで覆されるし、騙して罪を着せることができる。
悪の心が際限なく、罪のないものを罠にかけて殺す騙しのテクニックの数々を想定させ、
罪をい逃れさせて加害者を比嘉者だといいくるめて、
強盗や盗賊団を難民と言いくるめて解き放って襲って殺す可能性を想定させてしまう。
ドイツに難民を受け入れる法がさだめられていると聞いただけで、ドイツを侵略してやろうという悪人が立ち現れ、罪のないものが征服占領し、
嘘つきの人殺しが法に則って難民を救ったのだと、襲って殺してあざ笑う顔が思い浮かぶ。
なんで罪深いのだろうかと悩んだのだろう、
しかし、それは罪のないものの危険を思う心なのか、罪のないものに尽くすあいからでたものなのか、
偽善を押し通して襲って殺してやろう、人殺しの自分を許す間抜け共に、仲間の悪人をけしかけて襲わせてやろう、感謝などしない悪が通って、
悪のメルケルさえ裁けない腑抜けのゆるふんに、難民だと言いくるめた野蛮人を裁かせはしない。
ヒトラーよりもっと殺してやる。
そういう悪魔が現れても、愛から現れたのか、悪や憎悪から現れたのかは全く違う。