18/07/21 15:07:21.34 mv/+1Tt1.net
俺の中途半端な知識では、当初の天皇は新羅の王の息子だから
新羅の国力を背景に日本でも絶大な権力を持ったと思われる
しかし、半島の新羅だの百済だのの小国の者にとって日本は広すぎた
いつしか手下だったサムライが各地で力を持つようになって立場が逆転していく
天皇は強い武家について戦の裏付けをするシャーマンになり果てる
結局、天皇というものが日本に持ち込んだものは、神社と身分制度と戦争だ
戦国時代も末期になると、天皇は極貧状態に追いやられ
葬式もされずに腐乱死体で放置される天皇もいた
そんな新羅派と百済派が私利私欲で戦うだけのしょうもない国をまとめたのが徳川
江戸時代はそれまでの半島人支配から華人支配になり、日本に大きな変化をもたらす
サムライは理由なく農民(縄文人)を切るなと御触れがでた
庶民にも教育が与えられ、農民が武士になることも可能になった
世界最先端の社会インフラが整備され、ラジオのない時代に各地の言葉が通じるように
仕組みが考えられた
民のため、国益のため、国の将来のための政治が行われた最初で最後の時代が江戸時代
しかし、英国が日本をISIS化するために、山口県の田布施村という朝鮮部落から
天皇一味を掘り起こし、再び下劣な戦争屋天皇の国にしてしまった