17/10/21 11:51:53.36 dmzHeCPC.net
ミトコンドリアイブは16±4万年前の遺伝子なので、
20万年前~12万年前にアフリカに初期人類がいた事はわかっているが、
日本国内で、岩手県の金取遺跡(9~8万年前)や島根県出雲市の砂原遺跡(約12万年前)が
先住の縄文人と呼ばれる日本人の文明跡であり、既に人類が文化を営んでいましたよ?
天皇がやってきたのは2800年前、宮崎県から奈良県へ侵入したらしく(神武東征、天孫降臨によれば)、
その後1300年前に奈良でヤマト王朝と名乗りだし、自らの中国人先祖を神格化しました。
天皇を含む渡来人達は弥生人と呼ばれ、先住の日本人達との遺伝的距離は7万年離れており、
両者が徐々に混血しだしたのはこの2800年前~1300年前頃にすぎません。
そして天皇は3000年以上前には、日本列島にいませんでした。
倭人に関する記録から、卑弥呼の使者は江南地方にあった呉の末裔と名乗っていたらしく、弥生人の先祖はこの中国の一部から西日本に渡っていたと推定されます。