24/12/05 13:34:40.50 hYw3UdNd0.net
>>5-7
田山花袋先生や永井荷風先生は、文人でありながら、電車(電気鉄道)の社会に対する影響をよーく理解されておつた
某京急行は、この辺の事が理解できておらないから、いい加減なオペレーション、いい加減な施設や車両しか出来ない
>> 田山花袋先生は流麗な文章で「京王電車が出来て、甲州街道の線は非常に開けた。調布町(五宿)などといふ町は、この電車のひらけない以前は、純然たる田圃の中にある百姓町で、物を食ふにも碌なものは食へず、泊るにも碌な旅籠屋を求めることが出来ず、徒らに汚い女郎屋の暖簾が砂塵の中に見えてゐたばかりであつたが、電車が出来てから大分活気が出て来て(中略) ~この電車は府中から八王子の方へと出て行くのであるが、此れが完成したら、中央線の為めに一度すっかり衰えて了つた甲州街道は、再び名所図絵に見るやうな光景を呈して来るであらう」
と、京王電車の功績、玉南電車への期待を的確に記しておられた
五島慶太翁は「東横線が我々の祖業である、この線が滞りなく走っておれば、我が事業は安泰だ」と語っておったけれど、何も経営者でなくとも、文筆家であつても、電気鉄道の社会に与える影響の大きさは理解できてゐたのである