24/03/30 16:12:39.33 uiCmzmtb.net
JR西日本の京阪神間の主役は、改めて言うまでもなく新快速です。しかし新快速を支える快速にも興味深い歴史は隠されています。
快速列車
東海道・山陽本線(JR京都線・JR神戸線)の快速は滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県を走るロングラン列車です。通過駅がある快速区間は高槻(一部京都)~明石間です。これ以外の区間は各駅に止まるため「普通列車」として案内されます。
「快速」という名称になったのは1957年のこと。それまでは「急行」という名称でした。
快速は1987年以前の国鉄時代から存在しますが、国鉄時代の停車駅はとても少なかったのです。1973年当時の京都~明石間の停車駅は京都、高槻、茨木、新大阪、大阪、西ノ宮(一部停車)、芦屋、六甲道(一部通過)、三ノ宮、元町、神戸、兵庫、須磨(一部通過)、垂水(一部通過)、明石でした。
快速の停車駅はJR化後に増え、中間停車駅~ターミナル駅間の輸送に徹しています。たとえば兵庫県神戸市にある住吉駅は六甲ライナーの開業に合わせ、1990年に快速停車駅になりました。西宮駅に全列車が停車するようになった2003年以降、新駅を除き新規の快速停車駅はありません。
ところでなぜ長年芦屋駅にはすべての快速が停車したにも関わらず、西ノ宮駅(現西宮駅)は一部停車だったのでしょうか。
1957年、快速を阪神間にある駅に停車し、普通列車との接続を図るという案が浮上。停車駅の候補駅に芦屋駅と西ノ宮駅が挙がり、最終的に芦屋駅が快速停車駅になりました。
一方、西ノ宮駅利用者の不満を解消するために、ラッシュ時に外側線を走る客車列車が西ノ宮駅にも停車。その名残りから長年、ラッシュ時の快速だけ西ノ宮駅にも停車していました。
芦屋駅勝利の要因は運行の都合でした。当時、大阪駅から芦屋駅までの通過駅は5駅、芦屋駅から追越駅がある須磨駅までの通過駅は6駅となり、バランスが良かったからです。
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