24/04/29 17:47:42.49 adXCe3Lk.net
蒲生信号所以東が戦前からの線増(複々線)区間、天満橋〜蒲生信号所は複線。
高度成長期の輸送力増強第一弾として天満橋〜淀屋橋の延伸で天満橋も地下駅化、この段階で駅構内だけは中之島線開業前の状況、つまり1番線・2番線が淀屋橋方面直通、3番線・4番線が天満橋折返用というレイアウトに。
天満橋が本来のターミナルだったことで、当面は近鉄が大阪線を上本町発着とした様に輸送段差を考慮した体制で、という事情。
因みに当時の3番線・4番線から本線への合流は、平面交差とするしか無かった
続いて、天満橋〜蒲生信号所のルート変更・線増区間延伸・連続立体交差化及び京橋駅大移転・片町駅廃止があり、天満橋以東で上りB線とA線上下の立体交差を構成、完全に中之島線開業前の状況へ
天満橋から淀屋橋と別の地下新線を考慮しなければ、淀屋橋直通を1番線・4番線、天満橋折返を2番線・3番線として、間に挟むことも出来たのだろうが、そうするとA線・B線で外内を入れ替える立体交差も必要になってしまう。
それこそ国鉄・JR西の京阪神区間の様に、外が通過線で内を緩行線だったならば、そういうレイアウトも叶ったのだろう。
元の状況からすれば、直通・折返を2本ずつ天満橋で寄せて、手前にB線の片方だけ立体交差させる、というのが結果的に合理的だったと
中之島新線の話が浮上するのは、'80年代に架線昇圧で10両運転も視野に入り、大阪都心側の根本的な輸送力増強を考える段階に入ってから。
とは言え、創業時からのターミナルとして天満橋を長らくアノ状況でおいたのは、何らかの形で新線延伸の余地を残した、というのも事実