24/06/30 00:43:38.18 ROKF8tDG.net
>>322
逆に読むのが疲れるほど長い資料というより論文がある。
まず、「弘前電鉄の建設目的は,奥羽本線と五能線が敷設されている岩木川の東方と北方とは反対側に位置する諸集落を結ぶ通年利用できる交通機関を整備することであった。」と書かれてる。
これは自分の推測だけど、普通に考えれば今の弘前市岩木地区を意識したルートも考えてたはず。(弘前から岩木川西側への鉄道敷設計画は戦前にもいくつかあった。)
それと、当時は確かに弘前ー大鰐間を結ぶバスは混雑して途中の停留所から乗れないことがあったみたい。
その2つの要因を一気に解決しようとしたのが大鰐-板柳間という計画だったのかな?
ただ、朝鮮戦争で価格が高騰して、建設資金も予定通りに集まらなかったから工事を2期に分けることにしたみたい。
1期工事は大鰐-弘前間で結局は、これで終わってしまった。
この区間が優先されたのは弘前電気鉄道の株主構成で、大鰐-弘前間沿線在住者が全体の58%を占めていたことも理由らしい。
論文を読んで随分計画が迷走したんだなと思った。
もっとも、論文を書いた人も「本稿は資料の制約により,なおも検討の余地を残している~」と書いてるから絶対視しないように。
そのぐらい資料が少ない。
弘前電気鉄道の路線を引き継いだ弘南鉄道でさえ弘前電気鉄道時代の資料はあまり無いぐらいだからね。
一応、参考にした資料は貼り付けておく。
ただ、弘前電気鉄道関連と関係ない論文が一緒で、サイズが大きいPDFをダウンロードしないと見れないからパソコンで閲覧推奨。
↓
弘前大学経済研究38号
弘前電気鉄道の建設と国土開発計画[PDF92~111ページ]
URLリンク(cloud.hirosaki-u.ac.jp)