23/08/28 21:42:12.35 6KmZsPu+.net
施設面においては、大物~姫島付近、野田~福島付近の連続曲線が我慢ならず、大物からそれこそ一直線に伝法線を引き、やがては複々線で整備した梅田地下線に繋ぎ、本線の梅田~尼崎間を複々線化する意図があったのである
そのため、千鳥橋駅は 2面4線高架駅として企画し延伸を図ろうとしておったのであるが、西成線を越えて難波へ真っ直ぐ延伸、近鉄が企画しおった地下駅へちゃっかり乗り入れた方が得策との判断に傾いたのである
結果、阪急国鉄には真似の出来ない神戸から直接大阪ミナミへの足を確保することに成功したのである
これも経営陣の一人よがりではなく、消費者の需要、ニーズを見極めた上での合理的経営判断だったのである
何たる慧眼!
この慧眼は、まさに当局、阪急、国鉄などを相手に長年悪戦苦闘してきた阪神電気鉄道の生き残るすべ、遺伝子に他ならないのである
ちな、大いなる市交、大市交から野田から地下鉄への乗り入れを懇願されるも、そんな中途半端な梅田方面が盲腸線になる計画はダメ!と一蹴、
現在の梅田方面&難波方面と事実上の二本線体制となったのである
そして、車両面に於いても、大正末期~昭和初期に一時、大型車両導入を夢見ながらも、伝法線や神戸・大阪両地下線の限界拡幅に留まっておったのである
敗戦直後は、国鉄が粗製電車63形を新造、他の私鉄がそのおこぼれを頂戴する中、阪神は 1両も新造せず、ひたすら 9年間、大型車両導入のため、限界拡幅・軌道強化の設備投資を敢行しおったのである
その結果が昭和29年の高性能大型車両での特急運転、昭和41年の全線大型高性能車両での統一とあいなったのである
さらに連結両数も大型3両から順次増加、現在は一部10両編成となったのである