23/07/07 00:37:14.06 J3UOPoSVa.net
そう、この大阪ミナミに偉容を誇る南海難波ターミナルビルヂングは昭和初期の名建築駅舎であり、東武花川戸延伸線 浅草雷門駅と同一設計士の作となっており、南海根津会長、寺田社長時代の荘厳な遺物となっておるのである
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その後も1941年から財閥解体まで寺田合名会社の幹部社員であった川勝傳氏により、戦後重大事故続きであった受難の時代をも乗り切ったのである
そして、その影には、力行標・惰行標・直列標・電車線区分標などの線路標識を全線にくまなく取り付けるなど、鉄道の安定運行に対する意識がとこぞの某京急行電鉄とは大きく異なっておることを付言しておく
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この羽車の王国の凄い処は、なが~い歴史の中に 常に新しい収益源が存在、湧きいづるところ!
最初は大阪~堺間の人流物流輸送や住吉大社参詣客輸送に始まり、泉州紡績地帯輸送、高度成長時代の高野線沿線通勤輸送や南紀白浜・四国方面輸送、関西空港開港関連輸送、インバウンド増加による関空・高野山~大阪~京都方面観光輸送・・・
と、ひとつが衰退してきたと思ったら、次にまた別の飯の種が湧くといふ幸運の路線網
この羽車マークの出処であるヨーロッパ ハプスブルク帝国も 350年以上も続きおった訳であるが、日本の羽車鉄道王国 南海電気鉄道も不思議なご縁で 300年以上は安泰とみた
つづく