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なぜ、難攻不落と呼ばれるのか?
これは南海の歴史を見れば一目瞭然
明治18年、阪堺鉄道にはじまった南海電気鉄道は、爾来150年、多少の浮沈はあったものの、常に時代をリードし、大阪南部を中心にその営業基盤は盤石、まさに難攻不落であったのである
開業以来、商都大阪・堺間は人流物流ともに往来激しく、さらに泉州地域の紡績業の興隆により、紀州和歌山まで効率よく運輸業績は好調を維持してきたのである
しかしなから、時にライバルが出現する
そう、かの超特急の阪和電気鉄道である
その線形や車両など運輸方法では新幹線と在来線ほどのサービスの差があったにも拘わらず、南海は阪和を撃退したのである
これは、南海線高野線を両翼とする南海王国では、両線間や駅前から郊外にくまなく乗合いバスを走らせ阪和駅前を素通りしたほか、地域の電力供給など地場産業を押さえておったからなのである
かくて、阪和電気鉄道は南海山手線を経て国鉄阪和線となりおったのである
いや、むしろ阪和電気鉄道があったから南海電気鉄道は国有化を免れたのかも知れぬ
くだんの努力に神風が吹いたのである