20/12/14 14:31:44.05 FspTLwJ+.net
>>430
5300系をつくりはじめたとき、4両編成のうち動力車が2両、ってなところで、5100系とおんなじ状態だったんだよ。このときはまだ、地下鉄堺筋線に乗りいれる運転では、つかってなかった。
そのあと本格的に、乗りいれる準備がされることになって、動力車が2両のユニットとかも、たくさんつくられて、編成のなかの動力車の割り合いを、大きくするように変えていったんだ。
>>436
主電動機の出力がおおきいぶんには、絶縁的な問題って、なくなっていく方向なんだけど、スピードが遅いつかいかたのとき、どうしても電流が大きくなっちゃうから、あのころの宝塚本線とかだと、変電所に負担がかかるし、ムダがおおかったんだよなあ。
国鉄型の電車に、小さい出力のものが基本だったのは、変電所がすくないとか、供給できる電力のちいさいところが、とても多かったからだね。小さな出力だから、高速で加速するパワーを残すか(特急型)、低速でパワーを発揮するか(通勤型)、つくりわけるしか、なかったわけさ。