19/04/01 02:40:51.62 tIBZDk+Z.net
>>528、>>533
奈良時代、東大寺大仏殿などの巨大建築の用材は、九州などから水運で木津まで運ばれ、そこからは陸路で奈良まで運ばれた。
二月堂のお水取り用の松明は、田辺、名張などの東大寺の荘園で作られる。名張の黒田に東大寺の荘園があったのは木津川つながりだろう。
平城京にとっては木津川が重要。佐保川は水運には小さかったのだろう。
明治期には奈良から木津まで大仏鉄道というのを建設しようとしたが、未成線で終わってしまったと聞く。