17/08/19 08:42:12.83 DUU01QmR.net
知っている人は少ないかもしれんけど、
泉北ニュータウンの開発の時に本来南海高野線の分岐で作られる予定で
開発計画が進んでいた。
しかし、昭和42年、43年と大きな事故が南海で相次ぎ、
新しい路線を作る資金がなくなってしまった。
結局、開発計画はそのままに、資金は第三セクターとして国や府、大和銀行などが出資し
大阪府都市開発として計画続行、昭和46年に中百舌鳥-泉ヶ丘間が開業。
相次ぐ大事故がなければ南海の支線として開業していただろうし
直通運転ももっと開業当時から多く設定されていたかもね。
当時の開発の時期、タイミングが悪かったんだろうね。