16/10/27 01:30:05.44 FGokhIjB.net
◆北海道新幹線、予約率2割で50億赤字確実…経営危機のJR北海道、鉄道事業継続困難を示唆
URLリンク(biz-journal.jp)
北海道新幹線は111億円の収入に対して支出は160億円、差し引き49億円程度の赤字になると試算している。
「このような状況が続いた場合、早晩企業として事業の継続ができなくなり、
鉄道サービスを提供するという当社の使命を果たすことができなくなってしまう」と結論付けた。
3:名無し野電車区
16/10/27 01:30:48.98 FGokhIjB.net
.
新幹線の開業は1964年
URLリンク(userdisk.webry.biglobe.ne.jp)
それから遅れること52年、初めて見る新幹線に喜ぶ函館の土人たち
URLリンク(www.sankei.com)
雪像の新幹線で満足する僻地札幌の人々
URLリンク(www.toonippo.co.jp)
札幌エレジーwww URLリンク(art21.photozou.jp) (単線非電化)
名ばかりの政令市 札幌wwwwww
4:名無し野電車区
16/10/27 01:31:09.37 FGokhIjB.net
福岡へ行く URLリンク(blogs.c.yimg.jp) (88本
5:) 鹿児島へ行く http://cdn.amanaimages.com/cen3tzG4fTr7Gtw1PoeRer/01080011133.jpg (39本) 広島へ行く http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/32/7bb5c081913c3eb2343e2c5029dcd79a.jpg (109本) 金沢へ行く http://www.nta.co.jp/jr/train/kishatabi/column/images/20150206_1.jpg (48本) 仙台へ行く http://p1.storage.canalblog.com/18/05/129048/67058519.jpg (67本) 新函館へ行く http://sky-factory.jp/wp-content/uploads/2015/04/DJI_0031.jpg (13本wwww) (うち東京たったの10本wwww) ・・・ そして単線非電化の原野をディーゼルで3時間50分かけて札幌へ行く http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/001/545/65/N000/000/008/140830758023118853227_DSC_8445_R.JPG (たったの12本wwww) (名ばかりの政令市 札幌wwwww)
6:名無し野電車区
16/10/27 01:31:33.08 FGokhIjB.net
◆新幹線開業4カ月前の時点でも、衰退が止まらない函館市wwwww
1970年 322.497人
1975年 334.416人
1980年 345.165人←連絡船時代
1985年 342.540人
1990年 328.493人←青函トンネル開通後
1995年 318.308人
2000年 305.311人
2005年 294.264人←あわてて周辺町村と合併
2010年 279.110人
2014年 272.648人 ←市域全域が過疎指定都市指定
2015年3月 269.675人
◆2015年12月末現在の函館市の世帯数および人口 (住民基本台帳より)
世 帯 数 143,746世帯
人 口
2 6 8 , 6 1 7 人
↑ 新幹線開業効果まるで無し!! 衰退の一途wwwwww
.
北海道はヤリキレナイから去っていくんです。
過疎指定都市 函館市総人口 266,785人
(住民基本台帳人口、2016年6月30日)
新幹線効果・・・ ZERO
7:名無し野電車区
16/10/27 01:31:52.62 FGokhIjB.net
■JR北海道が道内全線区で赤字 14年度、札幌圏も26億円
URLリンク(www.nikkei.com)
■[高速道] 北海道縦貫自動車道(道央道)が二百二十三億円の赤字で収支ワースト一位
URLリンク(e-kensin.net)
■[新幹線] 毎年48億円の赤字=北海道新幹線の収支見通し-JR北海道
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
■北海道の実質公債比率 (日本ワースト)
URLリンク(grading.jpn.org)
在来線も 新幹線も 高速道も 北海道の財政も ・・ ぜ~~~んぶダメダメ
8:山形ミニ新幹線にも笑われる北海道
16/10/27 01:32:22.25 FGokhIjB.net
2016お盆・新幹線利用者数ランキング
1. 東海道新幹線(新横浜~静岡)341.2万人
2. 山陽新幹線(新大阪~西明石)176.2万人
3. 山陽新幹線(岡山~広島)132.8万人
4. 東北新幹線(那須塩原~郡山)121.5万人
5. 上越新幹線(大宮~高崎)120.0万人
6. 山陽新幹線(広島~新山口)92.4万人
7. 山陽新幹線(新下関~小倉)82.1万人
8. 山陽新幹線(小倉~博多)70.8万人
9. 北陸新幹線(高崎~軽井沢)63.3万人
10. 東北新幹線(古川~北上)62.4 万人
11. 九州新幹線(博多~熊本)33.6万人
12. 北陸新幹線(上越妙高~糸魚川)31.1万人
13. 東北新幹線(盛岡~八戸)29.2万人
14. 九州新幹線(熊本~鹿児島中央)17.7万人
15. 山形新幹線(福島~米沢)12.3万人
16. 北海道新幹線(新青森~新函館北斗)10.5万人 ←(笑)
17. 秋田新幹線(盛岡~田沢湖)9.1万人
18. 山形新幹線(山形~新庄)3.8万人
9:新幹線駅も北海道はやっぱりディーゼル♪
16/10/27 01:32:51.49 FGokhIjB.net
新函館北斗駅 すっかり定着したキハ40
URLリンク(www.youtube.com)
キハ40で賑わう新函館北斗駅
URLリンク(www.youtube.com)
非電化単線の札幌方から新幹線駅に現れるキハ40
URLリンク(www.youtube.com)
新幹線とキハ40が地ベタお見合いする駅 ・・・ 新函館
(イナッカーーーーーーーーーーーーーーwwwww
10:名無し野電車区
16/10/27 01:33:22.89 FGokhIjB.net
●北海道新幹線開業でJR北海道がギリギリの経営状態になる?
URLリンク(kabu-press.com)
赤字発生によりJR北海道は手放しで喜べない北海道新幹線の開業
2016年3月26日、遂に北海道新幹線が開業。北海道にとっては悲願だった新幹線の上陸、ここにようやくその実現をみます。新幹線の開業、そりゃヨカッタヨカッタ、で本来は終わる所。
実際、九州新幹線が開業したJR九州、北陸新幹線が開業したJR東日本はヨカッタヨカッタ、という状態でした。
しかしながら北海道新幹線は若干様子が異なります。北海道新幹線の開業によって、JR北海道は年間40~50億円の赤字を新たに抱え込むことに。
11:名無し野電車区
16/10/27 01:33:47.78 FGokhIjB.net
2031年(←ま、無理だけどww)開業予定の札幌。
仮に予定通りだとしても、名古屋から67年後、博多から56年後、仙台から49年後、鹿児島中央から27年後になる。
時は既にリニア時代を迎え、新幹線に目を白黒させているのは北海土人だけという世の中になっている。
どうです? 北海道に生まれてサイコーですか!
福井、長崎に先越される日本最底辺の政令市を誇りに思いますか? 道民さんwwww
12:名無し野電車区
16/10/27 01:34:06.21 FGokhIjB.net
.
◆北海道、人口減少数が全国最多
URLリンク(www.nikkei.com)
◆函館市 道内最多の人口減
URLリンク(www.ehako.com)
◆人口千人当たりの生活保護率
URLリンク(grading.jpn.org)
13:名無し野電車区
16/10/27 01:34:27.66 FGokhIjB.net
「北海道新幹線札幌延伸は不要」と主張する木島洋嗣への一連の反応
URLリンク(togetter.com)
木島洋嗣/統括ハブ機能&英EU離脱研究所 @hirokijima0318 2016-03-27 22:41:46
税金で新幹線つくって民間企業に運行させて赤字を出してその赤字を税金で埋め合わせしてるんだよ。北陸新幹線や九州新幹線とは全然違うんだよ。
何が経済効果ですか?これらの赤字と2.2兆円の建設費を解消できる経済効果がどこにあるんですか?この北海道の赤字を沖縄の人も九州の人も皆で払うんです
14:名無し野電車区
16/10/27 01:34:53.33 FGokhIjB.net
.
■どうして北海道の道民は嫌われているのでしょうか?
私は、生まれも育ちも北海道で、今も札幌に住んでます。
よく、「北海道民は民度が低い」とか聞くんですけど、なんでですか?
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
15:名無し野電車区
16/10/27 01:35:17.69 FGokhIjB.net
.
D民(ホッカイドー民)はやっぱDクラス?
スレリンク(geo板)
16:名無し野電車区
16/10/27 01:35:36.94 FGokhIjB.net
北海道は福岡県の3倍も人口あるのか???
.
■主要都道府県の普通交付税交付額(都道府県分と市町村分の合計)
北海道 1兆4343億 ←(ケタが違います! さすが王者の貫禄)
宮城県___3461億
千葉県___2517億
埼玉県___2980億
東京都____288億
神奈川____905億
静岡県___2122億
愛知県____436億
京都府___3022億
大阪府___4552億
兵庫県___6122億
広島県___3510億
福岡県___5759億
URLリンク(www.soumu.go.jp)
これだけたかりまくって生活保護受給率全国ワースト1 www
URLリンク(i.imgur.com)
17:名無し野電車区
16/10/27 01:36:27.78 FGokhIjB.net
●「都道府県・郷土愛」ランキング!
URLリンク(diamond.jp)
1位は北海道
●でも・・・ 実態は?
北海道の低い生活満足度
URLリンク(i.imgur.com)
北海道の幸福度は全国43番目! それがどうした?
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
ホッケードー真っ赤
URLリンク(grading.jpn.org) (実質公債費比率)
つまりホッケードー民は生活満足度が低くて不幸で借金まみれでも、「I LOVE 地元 ホッケードー!!」と虚勢を張ってるに過ぎないのですね。
18:名無し野電車区
16/10/27 01:36:54.97 FGokhIjB.net
.
北海d民 ↓
/\___/\
/ ::\ < d民として 精神的苦痛を受けたので弁護士に相談して民事訴訟やる
| :|
| ノ ヽ、 :| < 北海道に対する差別・侮辱・偏見があまりにも酷いのでネット回線切断しに行く
| (●), 、 (●)、.:::|
\ ,,ノ(、_, )ヽ、,, ::/ < d民はクルクルパーと言われたので、ナイフを身体におったててパソコンと携帯を破壊する
/`ー `ニニ´一''´ \
19:名無し野電車区
16/10/27 01:37:17.21 FGokhIjB.net
■JR九州 東証に上場 初値は3100円
URLリンク(www3.nhk.or.jp)
JR九州は25日、東京証券取引所に株式を上場し、初値は3100円と売り出し価格を上回りました。
初値をもとに計算した時価総額は5000億円近くになり、ことし国内では、無料通信アプリを運営するLINEに次ぐ大型上場となりました。
JR九州は、25日、東京証券取引所1部に株式を上場し、青柳俊彦社長や歴代の社長が鐘を打って上場を祝いました。
取り引きは午前9時に始まり、買い注文が多く出たことから売り出し価格の2600円を上回る、1株3100円で最初の値がつきました。
初値に発行済みの株式総数をかけた時価総額は4960億円で、ことし国内では無料通信アプリを運営するLINEに次ぐ大型上場となりました。
JRの鉄道会社が株式を上場するのは、東日本、西日本、東海についで4社目です。
JR九州は、上場によって経営の自由度が高まり、大規模な資金調達も可能になるとして、駅ビルやマンションの開発などを通じて事業を多角化し、収益力を高めたいとしています。
20:名無し野電車区
16/10/27 01:37:35.86 FGokhIjB.net
.
、z=ニ三三ニヽ、
,,{{彡ニ三ニ三ニミヽ
/ ̄ ̄\ }仆ソ'`´''ーー'''""`ヾミi
/ \ lミ{ ニ == 二 lミ|
|:::::: | {ミ| , =、、 ,.=-、 ljハ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|::::::::::: | {t! ィ・= r・=, !3l < そろそろ北海道の実力ぐらい分かってもいい頃だろうよ、ボクww
.|:::::::::::::: | `!、 , イ_ _ヘ l‐' \
|:::::::::::::: } Y {.┬=、__` j ハ ̄"''─-、\
ヽ:::::::::::::: } ,. -‐ へ、`ニ´ .イ / / ,, -‐‐ヽ \________
ヽ:::::::::: ノ /、 |l`ー‐´ / / -‐ {
/:::::::::: く / l l |/__|// /  ̄ /
_____ |:::::::::::::::: \ / l l l/ |/ / /
|:::::::::::::::::::::::\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
↑ エゾ鉄バカ
21:名無し野電車区
16/10/27 01:38:17.16 FGokhIjB.net
◇ 北海道の恥
「ヤッカイドウ」から「デッカイドウ」へ
URLリンク(www.alter-magazine.jp)
22:名無し野電車区
16/10/27 01:38:37.11 FGokhIjB.net
●日下公人 先生
・北海道の人間は豊かになってないじゃない、あれだけしてやったのに
・北海道に投資してどんなリターンがありましたか?
・国民に10年後にちゃんと元が取れるような説明をして税金を取ってそれをつぎ込んでる
・北海道に投資することをちゃんと国会に説明してない
・私らはね、ただ取られたんだから、税金を、それが皆北海道にいってる
・北海道民は同じ家族じゃない、あんな怠け者で恩返しの気持なんて全くない
・青函トンネルのお金は国会を通ってない
・鉄道建設公団っていうのを作って、この公団はただ作るだけっていう公団を作ったんです
・利用のことは考えずに、お金をジャンジャン使って8000億円かなんかでトンネル作っちゃったんです
・作ったところで通るお客が無いことは関係者皆知ってましたから、完成しないようにしないように遅く遅く遅く作ったんです
・それでも完成しちゃった、それでもお客はちょっとしかない
URLリンク(www.nico) video.jp/watch/sm19259455
23:名無し野電車区
16/10/27 01:39:15.43 FGokhIjB.net
◆北海道の悲惨な実態
低い生活満足度 URLリンク(i.imgur.com)
大学進学率も低い URLリンク(i.imgur.com)
低い小学生の学力 URLリンク(i.imgur.com)
ホッケードー真っ赤ww (実質公債比率) URLリンク(grading.jpn.org)
3年後に破綻していたJR北海道 スレリンク(rail板:13番)
24:名無し野電車区
16/10/27 01:39:35.63 FGokhIjB.net
●新幹線を整備した場合
函館ー札幌 14800人キロ/日
金沢ー敦賀 23400人キロ/日
あの福井県を通過する区間にも負けてます(笑)
●新幹線が整備されない場合 → ●新幹線を整備した場合 の収支採算性
函館ー札幌 +35億円
金沢ー敦賀 +102億円
25:名無し野電車区
16/10/27 01:39:56.23 FGokhIjB.net
●津軽海峡線の輸送密度が4000を下回る。青函トンネルの利用者数が「特定地方交通線レベル」になっていた (ブヒャーーー!!!)
URLリンク(tabiris.com)
JR北海道が2014年度決算を発表しました。その資料内で、全路線についておおまかな輸送密度を公表しています。
それによりますと、青函トンネルを含む津軽海峡線の輸送密度が1日1キロあたり4,000人を切り、特定地方交通線レベルに転落したことが明らかになりました。(プフッ)
26:名無し野電車区
16/10/27 01:40:17.01 FGokhIjB.net
●函館市が過疎指定都市になっていたのを最近知りました。
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
函館市が過疎指定都市になっていたのを最近知りました。
もうすぐ新幹線が来るというのに非常に残念です。
新幹線でV字回復は可能でしょうか?
新横浜駅も開業当時は原野だったと聞きます。
10年も経てば新函館北斗駅もきっと新横浜駅のような都会に変貌し、函館圏の牽引役になれるでしょうか?
27:名無し野電車区
16/10/27 01:40:34.27 FGokhIjB.net
◆日本の人口密度分布図
URLリンク(yamao.lolipop.jp)
↑
この水色のゾーンは新幹線が要らない地域
無理矢理作っても北海道のように必ず失敗します。
28:名無し野電車区
16/10/27 01:40:55.34 FGokhIjB.net
札幌は仙台の3倍も人口あんのか?
●一人当たり地方税納税額
(千円)
URLリンク(www.city.kyoto.lg.jp)
01 大阪市 251.57
02 名古屋市 228.06
03 川崎市 206.06
04 横浜市 197.71
05 福岡市 186.26
06 さいたま市. 181.13
07 広島市 181.06
08 京都市 180.68
09 神戸市 179.89
10 仙台市 173.02
11 北九州市 171.38
12 札幌市 147.38 ←納税は最も少なく
人口97万以上の政令市
●平成23年度 普通交付税 (単位:千円)
URLリンク(www.soumu.go.jp)
URLリンク(www.soumu.go.jp)
札幌市 97,499,300(キング・オブ・寄生虫ww)
参考
仙台市 25,631,498
大阪市 52,690,593
広島市 38,927,519
福岡市 39,740,918
29:名無し野電車区
16/10/27 01:41:19.97 FGokhIjB.net
URLリンク(www.hokkaidojingu.or.jp)
>ロンドンで発行されている経済雑誌(The Economist)が北海道の記事を載せた。欧米の雑誌に日本の地方に関する記事が載ることはめずらしいという。
>今回の記事は「甘やかされてきた辺境の地」というタイトルでかなり厳しい内容だ。
>東京から来た人に北海道は文化レベルが低いとまで言われてしまった。
>仲間が数名集まった時、まぜ北海道がダメなのかという話になった。特に今年のように大雪で雪山に囲まれた私達の生活は、心も押しつぶされる様な思いである。
>経済が上昇しないのは、御上に「お金を下さい!」と頭を下げ両手を差し出し、自立しようとして来なかった今までの報いだ、と厳しいことを言う仲間もいる。
御 上 に 「 お 金 を 下 さ い ! 」 と 頭 を 下 げ 両 手 を 差 し 出 す 乞 食 道 民 wwwwwwwww
30:名無し野電車区
16/10/27 01:41:40.30 FGokhIjB.net
●東京ー新函館 820km 22690円 (ホッケードーボッタくり運賃)
●東京ー博多 1170km 22950円
・・・ や る 前 か ら の 失 敗 作 ・・・
31:名無し野電車区
16/10/27 01:42:03.30 FGokhIjB.net
●宇都宮駅
35,769人/日 (降車客含まず) -2014年-
●郡山駅
18,614人/日(降車客含まず)-2014年-
●福島駅
17,725人/日(降車客含まず)-2014年-
●盛岡駅
18,205人/日(降車客含まず) -2014年-
●青森駅
5,677人/日(降車客含まず)-2014年-
●函館駅
3,077人/日wwwww(降車客含まず) -2013年- (←最初目を疑いましたが本当ですwww)
●敦賀駅 (7万都市)
3,386人/日(降車客含まず) -2013年-
32:名無し野電車区
16/10/27 01:42:34.43 FGokhIjB.net
自称観光ブランド都市の駅風景
Supernova Express 2016 URLリンク(userdisk.webry.biglobe.ne.jp)
(ブハァーーーーーーーーーーーーーーwwwwwww
33:名無し野電車区
16/10/27 01:43:00.15 FGokhIjB.net
.
◆道民及び札幌人は何故、馬鹿にされるの?
URLリンク(mimizun.com)
34:名無し野電車区
16/10/27 01:43:26.64 FGokhIjB.net
∧_∧
( ´Д`) そんなわけねぇーべ!! この ばーか !! ぎゃははは!!!!!!!
/ \
| l l | ..,. ., .,
| | | _|。.:_::゜。-.;.:゜。:.:;。
ヽ \_ .。'゚/ `。:、`;゜:;.::.。:.:。
/\_ン∩ソ\ ::..゜:: ゚。:.:.::.。.。:.
. / /`ー'ー'\ \ ゜: ::..゜:: ゚。:.:.:,。:.:.
〈 く / / ::..゜:: ゚。:.:.:,.:.:.:。:.:,
. \ L ./ / ::..゜:: ゚。:.:.:,.:.:,.:.:.:,
〉 ) (__) / \
(_,ノ / / \ \
| (゚) (゚) |
| )●( | < 新函館の失敗も札幌開業で元が取れる
\ ▽ ノ
\__U /
/  ̄\ ←バカドーミン
35:名無し野電車区
16/10/27 01:43:45.76 FGokhIjB.net
.
試される大地? いつまで試されてんだよ!
試用期間 終了!
URLリンク(blog-imgs-42-origin.fc2.com)
36:名無し野電車区
16/10/27 01:44:18.51 FGokhIjB.net
パッケージには、「人口100万人以上の都市で新幹線が来ていないのは札幌だけです。
道民の熱意で北海道新幹線札幌乗り入れを実現するために、この応援弁当を作りました。
この弁当の一部(50円)は、北海道新幹線建設促進期成会に寄付されます。ご理解、ご協力をお願いします。」と書いてあります。
URLリンク(www.ekibento.jp)
↑
鉄道利用客5倍にwwwwwwwwwwwwww
CO2排出量少ないwwwwwwwwwwwwww
運休や遅れがほとんどなしwwwwww
札幌~東京は3時間57分wwwwwwwww
最短で2020年開通wwwwwwwwww
子供たちに夢を! 北海道に活力を! (核爆笑!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
37:名無し野電車区
16/10/27 01:45:02.30 FGokhIjB.net
.
■北海道新幹線 道民に残されるのは、巨額の負債
URLリンク(www.mk2010.net)
38:名無し野電車区
16/10/27 01:45:28.12 FGokhIjB.net
札幌市 住民一人当たりの生活保護費 69.9千円 55% 保護費総額 133,699,611千円 管轄地域人口 1,913,545人
小樽市 住民一人当たりの生活保護費 69.7千円 54% 保護費総額 9,189,114千円 管轄地域人口 131,928人
函館市 住民一人当たりの生活保護費 80.7千円 63% 保護費総額 22,518,996千円 管轄地域人口 279,127人
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-塩っぱい河 [津軽海峡] -・-・-
青森市 住民一人当たりの生活保護費 50.4千円 39% 保護費総額 15,084,225千円 管轄地域人口 299,520人
八戸市 住民一人当たりの生活保護費 30.6千円 24% 保護費総額 7,266,242千円 管轄地域人口 237,615人
盛岡市 住民一人当たりの生活保護費 28.7千円 22% 保護費総額 8,559,598千円 管轄地域人口 298,348人
仙台市 住民一人当たりの生活保護費 26.5千円 21% 保護費総額 27,674,718千円 管轄地域人口 1,045,986人
福島市 住民一人当たりの生活保護費 16.9千円 13% 保護費総額 4,956,711千円 管轄地域人口 292,590人
宇都宮市 住民一人当たりの生活保護費 28.1千円 22% 保護費総額 14,398,137千円 管轄地域人口 511,739人
39:名無し野電車区
16/10/27 01:47:03.93 FGokhIjB.net
.
北海d民 ↓
/\___/\
/ ::\
| :|
| ノ ヽ、 :| < 毎度毎度バカにされて・・・
| (●), 、 (●)、.:::|
\ ,,ノ(、_, )ヽ、,, ::/ < こんな北海道イヤんなったべや~ (涙目)
/`ー `ニニ´一''´ \
40:名無し野電車区
16/10/27 01:47:36.26 FGokhIjB.net
【道民乞食】北海道新幹線267【税金泥棒】
スレリンク(rail板)
41:名無し野電車区
16/10/27 01:48:19.84 FGokhIjB.net
URLリンク(www.nikkei.com)
札幌圏も含めて全線区赤字の北海道。
函 館 線 函 館 ― 長 万 部 間 が 4 2 億 円 の 赤 字 で 最 も 赤 字 幅 が 大 き か っ た 。
奇しくも北海道一の赤字線区が北海道新幹線の並行在来線とは・・・
42:名無し野電車区
16/10/27 01:48:50.16 FGokhIjB.net
.
【北海道新幹線】料金を調べたなら、知っておいたほうがよいコト
中田宏チャンネル-今日も言っちゃいます-
URLリンク(www.youtube.com)
なんと建設費を除外して弾き出されていた北海道新幹線の収支採算性!!
43:名無し野電車区
16/10/27 01:49:08.93 FGokhIjB.net
■ 差別・蔑視 削除専用 ■
スレリンク(saku2ch板)
58 :””削除””依頼:2016/10/10(月) 19:34:42.01 HOST:h175-177-034-194.catv02.itscom.jp
北海道に対する差別・侮辱・偏見があまりにも酷いため削除願います。
スレリンク(rail板)l50
44:名無し野電車区
16/10/27 01:49:32.49 FGokhIjB.net
∧_∧
( ´Д`) うるせー!! この ばーか !! ぎゃははは!!!!!!
/ \
| l l | ..,. ., .,
| | | _|。.:_::゜。-.;.:゜。:.:;。
ヽ \_ .。'゚/ `。:、`;゜:;.::.。:.:。
/\_ン∩ソ\ ::..゜:: ゚。:.:.::.。.。:.
. / /`ー'ー'\ \ ゜: ::..゜:: ゚。:.:.:,。:.:.
〈 く / / ::..゜:: ゚。:.:.:,.:.:.:。:.:,
. \ L ./ / ::..゜:: ゚。:.:.:,.:.:,.:.:.:,
〉 ) (__) / \
(_,ノ / / \ \ ←北海d民
| (゚) (゚) |
| )●( | < 北海道に対する差別・侮辱・偏見があまりにも酷いため・・
\ ▽ ノ
\__U /
/  ̄\
45:名無し野電車区
16/10/27 01:50:32.77 FGokhIjB.net
道民はチョンと一緒になってヘイトスピーチ対策法強化に向けてデモ行進するべきだ。
「差別・侮辱・偏見を許さないぞぉー! おー!」ってよww
昔から言われてることだけど、北海道民と在日朝鮮人って、いろいろ共通点が多いんだよね。
”逃れてきた人たち”という意味じゃ一緒だし、差別・侮辱・偏見の的になってるのも事実。
強情で素直さが足りないという面でも非常に似ている。
ドーミンが上京する時はぜひ大久保あたりに顔出すといい。
46:道民とチョンは良き友
16/10/27 01:51:04.84 FGokhIjB.net
.
∩∩ 一 緒 に 日 本 に タ カ ろ う ぜ ! V∩
(7ヌ) (/ /
/ / ∧_∧ ||
/ / ∧_∧ ∧_∧ _(´∀` ) ∧_∧ ||
\ \<丶`∀´>―-< `∀ ´ > ̄ ⌒ヽ<`∀´ > //
\ 韓チョン /⌒在日 ⌒ ̄ヽ、道民 /~⌒北チョン⌒ /
47:名無し野電車区
16/10/27 01:57:59.62 FGokhIjB.net
札幌に、大手私鉄がないのはなぜですか
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
大都市には私鉄がありますが、札幌市内、北海道にはないそうです。なぜでしょう?
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
どうして札幌には私鉄が無いから田舎だと言う人がいますか?
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
48:名無し野電車区
16/10/27 02:00:38.03 FGokhIjB.net
【モノトリ・モノモライ】の北海道新幹線【ヤッカイドウ】2
スレリンク(rail板)
49:名無し野電車区
16/10/27 02:02:25.91 FGokhIjB.net
.
// ̄~`i ゝ `l |
/ / ,______ ,_____ ________ | | ____ TM
| | ___ // ̄ヽヽ // ̄ヽヽ (( ̄)) | | // ̄_>>
\ヽ、 |l | | | | | | | | ``( (. .| | | | ~~
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________________
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50:名無し野電車区
16/10/27 08:15:57.73 6hDM4E8K.net
稚内駅
曖昧さ回避 この項目では、1928年に開業した「2代目」稚内駅について説明しています。1922年に開業した「初代」稚内駅については「南稚内駅」をご覧ください。
稚内駅
駅舎と日本最北端の線路モニュメント(2012年6月)
駅舎と日本最北端の線路モニュメント(2012年6月)
わっかない - Wakkanai
◄W79 南稚内 (2.7km)
所在地 北海道稚内市中央3丁目6-1
北緯45度25分1.3秒
東経141度40分37.2秒座標: 北緯45度25分1.3秒 東経141度40分37.2秒
駅番号 ○W80
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 ■宗谷本線
キロ程 259.4km(旭川起点)
電報略号 ワカ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 95人/日(降車客含まず)
-2014年-
開業年月日 1928年(昭和3年)12月26日
備考 駅長配置駅
みどりの窓口 有
日本最北端の駅
テンプレートを表示
稚内駅(わっかないえき)は、北海道稚内市中央3丁目にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅。駅番号はW80。
目次 [非表示]
1 概要
2 歴史
2.1 年表
3 駅構造
3.1 かつての配線図
3.2 キタカラ KITAcolor(駅舎)内の主な施設
4 駅名の由来
5 利用状況
6 駅弁
7 駅周辺
7.1 公共施設
7.2 観光施設
7.3 宿泊施設
7.4 その他
8 バス路線
9 その他
10 隣の駅
11 脚注
12 参考文献
13 関連項目
14 外部リンク
概要[編集]
日本で最も北にある鉄道駅である(北緯45度24分44秒)。
日本国有鉄道(国鉄)時代より、鹿児島県の指宿駅と姉妹駅提携を結んでいる。
終日社員配置(駅長配置)駅。駅の入るビル「キタカラ(稚内駅再開発ビル)」にはバスターミナル、道の駅、みなとオアシスも併設され[1]、
鉄道・バス・道路・港の交通施設が集約されている。北海道内で鉄道駅と道の駅併設駅は3駅目であり、
また、鉄道駅・バスターミナル・道の駅・みなとオアシスの4つが併設されている施設は、全国唯一である。
51:名無し野電車区
16/10/27 08:17:37.29 6hDM4E8K.net
歴史[編集]
1977年の宗谷本線稚内駅と周囲約1km範囲。島式ホーム1面2線でたくさんの副線を持つ。
北側の防波堤がかつての稚泊航路の連絡船ターミナルで、先端の駐車場の手前の青い屋根の所にかつて稚内桟橋仮乗降場があった。
当時の岸壁の一部は既に埋め立てられているが、路盤はまだ残っている。
また稚内駅南東の埋立地への専用線もすでに撤去され、こちらも路盤が残っている。
島式ホームの南端の左付近から、倉庫群を挟んで本線の1区画左を走る国道40号の右横に沿う空き地に向けて斜めに残されている路盤は、
1975年頃に現在の位置に切り替わるまで本線が敷かれていた跡。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
初代の稚内駅は、1922年(大正11年)に開業した現在の南稚内駅である[2]。
その翌年、1923年(大正12年)5月1日から、当時日本の統治下にあった南樺太大泊町に連絡する鉄道連絡船「稚泊航路」の運航が開始され[2]、
現在の稚内駅の近くから入出港するようになり、バラック建ての乗船客待合所が造られた。
1924年(大正13年)11月10日に稚内連絡待合所が稚内港に近い場所に建設され、これが稚泊航路への乗船客待合所となったが、
当時の稚内駅からはおよそ2kmもの距離があり、この間を旅客は徒歩で、貨物は荷車で連絡していた。
なお、当時の稚泊航路は夏期は隔日、冬期は10日で2往復の運航体制で、東京から樺太の大泊港までは夜行3泊を要した。
現・稚内駅である稚内港駅(わっかないみなとえき)まで鉄道路線が延伸されたのは、1928年(昭和3年)12月26日のことである[3]。
開業時の駅舎は、前述の稚内連絡待合所として使われていた建物に改修を加えた上で利用されたものと推測されている。
稚泊航路への連絡を主眼としていたため、線路より海側に駅舎が建てられており、市街地とは反対側になっていた。
これでは地元利用客にとって不便なため、1938年(昭和13年)6月30日に木造平屋建ての駅舎(2代目駅舎)が市街地側に建設されて使用開始された。
52:名無し野電車区
16/10/27 08:19:53.49 6hDM4E8K.net
稚内港の整備工事が進み、1936年(昭和11年)に北防波堤桟橋が竣工されたことから、1937年(昭和12年)からこの防波堤桟橋内へ約850mの線路の延長敷設工事が始められ、
1938年(昭和13年)10月1日から防波堤桟橋内に稚内桟橋駅(わっかないさんばしえき)を設置し使用開始された[3]。
ただし、稚内港駅の構内乗降場の扱いであり、独立した駅とは見なされていなかった[3]。
なお、諸般の文献では12月11日を正式な開設日として扱っているが、当時の時刻表などでは10月1日から稚内桟橋駅までの運行を開始しており相違がある。
稚内桟橋駅は、現存する北防波堤ドームに沿うように線路が敷かれ、ドーム内に旅客ホームがあり、線路を跨線橋で渡った南側に駅舎が設けられていた。
駅舎はコンクリート作り2階建てで、1階が乗船口や待合室・事務室・貨物保管庫、2階が日本食堂の構内食堂だった。
駅舎の更に南側に連絡船等が着岸する桟橋があり、陸地に近い側から利尻島・礼文島への利礼航路、樺太の本斗町との間の北日本汽船稚斗航路、鉄道省稚泊航路の順でそれぞれ離着岸。
1939年(昭和14年)2月1日に(旧)稚内駅を南稚内駅�
53:ノ、稚内港駅が稚内駅にそれぞれ改称された[3]。 稚泊航路は1945年(昭和20年)8月以降のソ連軍の南樺太侵攻開始後も樺太からの引揚者輸送に当たっていたが、 同月24日に稚内港に入港した便を最後に指令により運航停止となり、稚内桟橋駅も実質的に廃止された[3]。 1952年(昭和27年)11月6日付で、南稚内駅が起点に近い側(旭川方)へ移転し、これによって南稚内駅との間のキロ程が1.2キロメートルから2.7キロメートルへ変更された[3]。 1965年(昭和40年)9月に駅舎が建替えられ、鉄筋コンクリート2階建ての3代目駅舎が使用開始された。 この駅舎は2011年(平成23年)4月2日まで使用されていた。駅構内はかつて稚泊航路との連絡の他に、貨物扱いの関係で多数の側線が敷設されていた。 しかし、貨物の取扱いは1984年(昭和59年)2月1日に廃止され旅客専用駅となり、側線の撤去が徐々に進められていった。
54:名無し野電車区
16/10/27 08:20:28.89 6hDM4E8K.net
2010年1月31日に2番線が廃止され、ついに分岐器の無い単純な棒線1本だけの駅となった。
4代目となる現・駅舎「キタカラ(稚内駅再開発ビル)」は2011年(平成23年)4月3日に鉄道駅部分が開業し[4]、
2012年(平成24年)3月10日に竣工、2012年(平成24年)4月29日に全面開業した[5]。
55:名無し野電車区
16/10/27 08:21:23.15 6hDM4E8K.net
年表[編集]
1923年(大正12年)5月1日 - 稚泊航路開設[2]。
1924年(大正13年)11月10日 - 稚内連絡待合所開設。
1928年(昭和3年)12月26日 - 宗谷線稚内駅(現在の南稚内駅) - 当駅間延伸開業[3]。開業時の駅名は稚内港駅(わっかないみなとえき)[3]。一般駅。
1938年(昭和13年)
6月30日 - 本駅舎を市街地側に建替え移転(2代目駅舎)。
10月1日 - 稚内桟橋駅開業(当駅構内の仮乗降場扱い)[3]。
1939年(昭和14年)2月1日 - 駅名を稚内駅に改称[3]。
1945年(昭和20年)8月25日 - 稚泊連絡船が運航停止され、稚内桟橋駅も事実上廃止[3]。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1952年(昭和27年)11月6日 - 南稚内駅移転に伴い、南稚内駅との間のキロ程が1.2 kmから2.7 kmに変更される[3]。
1965年(昭和40年)10月1日 - 駅舎建替えにより、3代目駅舎が使用開始される[6]。
1968年(昭和43年)10月1日 - みどりの窓口設置[6]。
1970年(昭和45年)3月1日 - 補助コンテナ基地設置[7]。
1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物取扱い廃止[7]。
1986年(昭和61年)11月1日 - 新聞紙を除き荷物扱い廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承[8]。
1991年(平成3年)10月25日 - 新聞紙の取扱い廃止。
2000年(平成12年)3月11日 - 特急「スーパー宗谷」・「サロベツ」運転開始により特急列車が発着する駅となる[6]。
2006年(平成18年)3月18日 - 夜行特急「利尻」が季節運転となる[6]。
2007年(平成19年)9月30日 - 季節運転の夜行特急「はなたび利尻」が、この日の稚内発上り列車を最後に廃止され、夜行列車の運行終了[6]。
2010年(平成22年)1月31日 - 2番線廃止[6]。
2011年(平成23年)
4月2日 - この日限りで旧駅舎(3代目駅舎)閉鎖。キヨスク、立ち食いそば・うどん店が閉店。
4月3日 - キタカラ(4代目駅舎)の鉄道駅部分が開業[6][4]。
2012年(平成24年)
2月:駅自動放送が導入される。
4月29日 - キタカラが全面開業。立ち食いそば・うどん店が営業再開[6]。
5月3日 - 道の駅わっかない併設オープン[6][1]。
56:名無し野電車区
16/10/27 08:22:16.37 6hDM4E8K.net
駅構造[編集]
[隠す](現) 稚内駅配線図 (2011年4月3日 - 現在)
凡例
num1e
CONTg
旭川方面
STR+BSr
STR+BSr
leer+BS BUILDING
日本最北端の線路モニュメント
exENDEe
単式ホーム1線を持つ地上駅。以前は島式ホーム1面2線だったが、2010年1月30日をもって2番線が廃止された。
また、線路や分岐器、出発信号機、場内信号機はすべて撤去され、棒線化及び停留所化された。
これにより南稚内駅から本駅(線路終端)間は1閉塞となり、2列車以上進入できなくなった。
駅進入時は過走余裕距離が短いため、全列車15km/h以下の速度制限を受ける(冬季は更に速度を落として進入する)。
棒線化される前は構内踏切(警報機のみ)も設置されていた。
改札口よりホームへ向かう通路はスロープとなっており、駅玄関からホームまでバリアフリー化されている。
改札口横にみどりの窓口を兼ねた稚内駅トラベルセンター(営業時間:6時10分 - 22時50分)、自動券売機、待合室がある。
57:名無し野電車区
16/10/27 08:23:05.65 6hDM4E8K.net
2011年2月に駅名標を新JR北海道仕様(釧路駅などに使われているものと同じ様式)のものに取り替えられ、同年6月には液晶ディスプレイ式発車標に取り替えられた。
2012年2月からは、駅自動放送も導入された。2011年4月の駅舎建替え後、日本最北端線路地点は100mほど南側に移動された。
これ以前に日本最北端の線路として使用されていた車止めとレールは、稚内市がJR北海道より寄贈を受け、駅舎建替え前当時の記憶を継承するモニュメント「日本最北端の線路」として2012年3月に元の位置へ復元された。
かつて駅外から見ることが出来た最北端の駅・線路を示す看板・標柱は、駅舎建替え時に移設された。ホーム内及び駅舎内待合室等のガラス窓越しにこれらを見ることが出来る。
また、ホーム内の柱には駅名標と共に前述の指宿駅をはじめ、鹿児島駅・東京駅・函館駅・札幌駅・旭川駅等各駅からの距離が表示されている。
特急「スーパー宗谷」・「サロベツ」は稚内駅到着後、南稚内駅へ折り返して車庫(旧・稚内機関区)に入り整備を行う。
58:名無し野電車区
16/10/27 08:23:47.46 6hDM4E8K.net
かつての配線図[編集]
[隠す]キタカラ建設以前の稚内駅配線図 (1986年11月11日 - 2011年4月3日)
凡例
num2a num1ra
CONTg
旭川方面
ÜWc2 ABZg3
v-STR+1
v-STRa STR
vSTR STR+BSr
vSTR STR+BSr
vSTR ENDEe+BSer
vSTR leer+BS BUILDING
vENDEe
かつては、稚泊連絡船への接続等も考慮した広大な構内に複雑な配線が施されていた。
しかし貨物営業の廃止等により側線は縮小されていき、更には旅客列車が停車する部分についても棒線化が行われ、現在では分岐器が1つもない駅となっている。
59:名無し野電車区
16/10/27 08:24:32.28 6hDM4E8K.net
キタカラ KITAcolor(駅舎)内の主な施設[編集]
稚内駅の入る建物「キタカラ(稚内駅再開発ビル)」は、前述の通り鉄道駅・バスターミナル・道の駅・みなとオアシスの他、
各種商店及び観光客向け施設、地域コミュニティ施設等の複合施設となっている。
宗谷バス稚内駅前ターミナル
道の駅わっかない/みなとオアシスわっかない
稚内観光協会
お食事処ふじ田(立ち食いそば・食堂)
キタカラCAFE(喫茶・軽飲食店)
ワッカナイセレクト(土産物・雑貨店)
オレンジエッグ(ケーキ、ソフトクリーム店)
セイコーマート稚内駅前店(コンビニエンスストア)
T・ジョイ稚内(映画館、2010年(平成22年)6月12日開業[10])
地域交流センター
グループホーム・高齢者住宅
駅名の由来[編集]
駅所在地名より。稚内の地名はアイヌ語の「ヤム・ワッカ・ナイ(冷たい・綺麗な水・川)=冷たい飲み水の沢」に由来する。
由来となった川は駅南南西にある真言寺境内を流れている。
利用状況[編集]
2014年度の1日平均乗車人員は95人である。
60:名無し野電車区
16/10/27 08:25:00.05 6hDM4E8K.net
駅弁[編集]
主な駅弁は下記の通り[11]。
最北駅弁(帆立)
蟹・いくら丼
最北かにめし
海の七つ星
最北かに弁当
三宝めし
うに壺
最北たらば弁当
食べくらべ四大かにめし
宗谷黒牛とたらば弁当
2009年6月30日をもって名寄駅が駅弁販売駅でなくなったため、本駅が宗谷本線内唯一の駅弁販売駅となった。
61:名無し野電車区
16/10/27 08:26:16.51 6hDM4E8K.net
駅周辺
鉄道、フェリー、バスが発着する交通の要所で、市役所、郵便局、港湾施設が至近にある。
かつては経済・商業面においても市の中心部としての役割を担う地域だったが、宅地造成により南稚内駅周辺地域である市街南部、東部の人口が増加し、
また、同地域への郊外型大型店舗やファストフード店の新規出店、西條などの既存商業施設が移転、漁業関連施設が建設されたこともあり、
稚内駅周辺はホテルや旅館、土産物店、飲食店、公園など観光客向け施設が目立つようになった。
そのため、列車やフェリー、長距離バス、定期観光バスが発着する時間帯以外はやや閑散としている。
公共施設[編集]
ハートランドフェリー 稚内フェリーターミナル
利尻島・礼文島行き
稚内市役所
稚内警察署中央交番
稚内郵便局
稚内信用金庫本店
北洋銀行稚内支店
北海道銀行稚内支店
稚内漁業協同組合本所
水夢館(温水プール)
市立稚内病院
稚内総合文化センター
稚内港湾合同庁舎
稚内海上保安部
稚内地方気象台
北海道運輸局旭川運輸支局稚内庁舎
小樽検疫所稚内出張所
札幌入国管理局稚内港出張所
自衛隊稚内分屯地
陸上自衛隊稚内分屯地
海上自衛隊稚内基地
航空自衛隊稚内分屯基地(稚内レーダーサイト)
62:名無し野電車区
16/10/27 08:26:36.39 6hDM4E8K.net
観光施設[編集]
北防波堤ドーム
稚内公園
氷雪の門
九人の乙女の像
樺太犬供養塔
稚内市開基百年記念塔・北方記念館
稚内温泉
野寒布岬(ノシャップ岬)
稚内灯台
ノシャップ寒流水族館
稚内市青少年科学館
宿泊施設[編集]
ANAクラウンプラザホテル稚内
稚内サンホテル
ホテル美雪
ホテルおかべ汐彩亭
稚内ステーションホテル
ドーミーイン稚内
稚内モシリパユースホステル
その他[編集]
北門神社(江戸時代に創建)
真言寺(稚内地名発祥の地)
国道40号(駅前が終点)
ニッポンレンタカー稚内営業所
トヨタレンタリース旭川 稚内店
マツダレンタカー稚内駅前店
稚内副港市場(温泉付き大型商業施設)
相澤食料百貨店 - 駅正面にある地元資本のスーパーマーケット
63:名無し野電車区
16/10/27 08:27:29.45 6hDM4E8K.net
バス路線[編集]
宗谷バス
北都交通(都市間バス「はまなす号」(札幌 - 稚内)のみ)
稚内駅前ターミナルは稚内駅と同様にキタカラ(稚内駅再開発ビル)の1階にあるため、屋外に出ずに行き来ができる。
窓口と待合室が設置されており、定期乗車券や回数券の発券、都市間バスや定期観光バスの予約を取り扱う。
特急わっかない号・特急はまなす号、稚内空港連絡バス、市内・近郊路線が発着する。路線詳細はバス会社項目を参照。
その他[編集]
改札横の窓口で「日本最北端の駅来駅証明書付き記念入場券」を発売している。
この入場券を購入時に駅員に許可を得ればホームへの入場も可能である。
特急列車の改札は、列車の入線とほぼ同時に開始される。
現在、駅周辺では稚内市の掲げる「市街地総合再生計画」が進められている[12]
2004年5月6日にはNHKの「列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜」の始発駅として紹介された。
64:名無し野電車区
16/10/27 08:27:57.94 6hDM4E8K.net
南稚内駅
南稚内駅
駅舎(2005年5月)
駅舎(2005年5月)
みなみわっかない - Minami-Wakkanai
◄W78 抜海 (11.7km)(2.7km) 稚内 W80►
所在地 北海道稚内市大黒1丁目8-1
北緯45度23分53.5秒
東経141度40分58.8秒座標: 北緯45度23分53.5秒 東経141度40分58.8秒
駅番号 ○W79
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 ■宗谷本線
キロ程 256.7km(旭川起点)
電報略号 ミナ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 81人/日(降車客含まず)
-2014年-
開業年月日 1922年(大正11年)11月1日
備考 社員配置駅
みどりの窓口 有
テンプレートを表示
南稚内駅
■
みなみわっかない - Minami-Wakkanai
◄宇遠内 (2.1*km)
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 148.9km(音威子府起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1943年(昭和18年)11月1日
廃止年月日 1989年(平成元年)4月30日
備考 *キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった)
テンプレートを表示
南稚内駅(みなみわっかないえき)は、北海道稚内市大黒1丁目にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅。駅番号はW79。
第二次世界大戦後から天北線が廃止されるまでの間は日本最北の乗換駅[1]でもあった。特急「スーパー宗谷」・「サロベツ」が停車する。
65:名無し野電車区
16/10/27 08:28:31.04 6hDM4E8K.net
目次 [非表示]
1 歴史
1.1 年表
2 駅構造
2.1 かつての配線
3 旧・稚内機関区
4 利用状況
5 駅周辺
5.1 交通
5.2 公共施設など
5.3 文教施設
5.4 主な商業施設
5.5 宿泊施設
6 隣の駅
6.1 かつて存在した路線
7 脚注
8 参考文献
9 関連項目
10 外部リンク
66:名無し野電車区
16/10/27 08:31:02.54 6hDM4E8K.net
歴史
南稚内駅は、当初は旭川駅から北上してきた宗谷線の終点として、稚内駅という名前で1922年(大正11年)11月1日に開業した[2]。
当初の宗谷線は、後に天北線となる浜頓別経由の路線で建設された。
この駅は現在の南稚内駅がある場所からは約1 kmほど北に所在しており、現在の稚内港郵便局のあるあたりであった。
稚内港郵便局の向かいにある「ホテル滝川」は、この駅開業以前から現在地で営業しており、駅がある頃は「滝川旅館」として駅前旅館の機能を持っていた。
駅は頭端式で建設されており、駅構内には機関庫や客車の留置設備なども設けられていた。
翌1923年(大正12年)5月1日に、当時日本領であった樺太と結ぶ稚泊連絡船が開設された[2]。
こうして稚内駅は樺太と連絡するための重要な拠点となり、当時数少ない北海道内の急行列車は函館から稚内まで直通するようになった。
高官の乗車などを考慮して、一等車も連結されていた。ただし稚泊連絡船の発着する場所までは駅から2 kmほど離れており、その間を旅客は徒歩、貨物は荷車で連絡しなければならなかった。
埠頭には待合所が建設され、後にこの施設が稚内港駅へと発展することになった。
なお、開設された1923年の8月、宮沢賢治が当時樺太にあった王子製紙の工場に教え子の就職を斡旋するためにこの駅を利用している。
1924年(大正13年)6月25日に、天塩北線の兜沼 - 稚内間が開業した[2]。
さらに延長工事が進められて、1926年(大正15年)9月25日に幌延経由の現在の宗谷本線が開通した[3]。
これにより稚内駅は双方からのルートが合流する地点となった。
そのまましばらくは浜頓別経由の線が宗谷線であったが、幌延経由の線の方が距離が短く勾配も少ないことから、1930年(昭和5年)4月1日付で線名が変更され、
幌延経由が宗谷本線、浜頓別経由が北見線となった[3]。
67:名無し野電車区
16/10/27 08:31:56.16 6hDM4E8K.net
1928年(昭和3年)12月26日には、当駅から稚内港駅まで延伸された[3]。
この際には頭端駅であったためにそのまま延伸することができず、駅の手前のところから分岐させる形で稚内港まで延長された。
このためにスイッチバック構造となり、稚内駅に到着した列車は一旦本線上まで退行し、進路を変更して前進していくことになった。
稚内 - 稚内港間は1.5 マイルと設定されていたが、1930年(昭和5年)4月1日のメートル法移行時に、単純にkmに換算した2.4 kmにするのではなく1.2 kmとした。
これは移転などによるものではなく、当初設定のマイルを修正したものであると考えられている。
1939年(昭和14年)2月1日に、南稚内駅へ改称し、従来の稚内港駅が稚内駅となった[3]。
1928年の線路延長以後、スイッチバック形式での運転が
68:続けられてきたが、その手間を解消するためと、稚内駅との距離が近すぎるということから、 稚内市の都市計画との関係もあり、現在地点へ移転することになった。 これにより1952年(昭和27年)11月6日付けで現在地に移転し、スイッチバックは解消された。 このときに、南側の駅との間は営業キロが1 km短縮されたが、稚内駅との間は1.5 km増加している。 これは実キロよりも長くなっており、廃止されたスイッチバックの往復分を誤って加算したのではないかとの推測があるが、現時点でも稚内までの営業キロは2.7 kmのままである。 移転後の駅舎は当初はバラック建ての建物であったが、翌年に木造モルタル造りの駅舎が完成している。
69:名無し野電車区
16/10/27 08:32:24.98 6hDM4E8K.net
年表[編集]
1922年(大正11年)11月1日 - 鉄道省宗谷本線鬼士別 - 当駅間延伸開業にともない稚内駅(初代)として開業する(一般駅)[2]。稚内機関庫が設置される。
1924年(大正13年)6月25日 - 天塩北線の兜沼 - 当駅間が開業する[2]。
1928年(昭和3年)12月26日 - 当駅 - 稚内港駅(現在の稚内駅)間の延伸開業に伴い、途中駅となる[3]。
1930年(昭和5年)4月1日 - 路線呼称が変更され、浜頓別駅方面が宗谷本線から北見線となる[3]。メートル法施行時に、稚内港との営業距離を1.5 マイルから1.2 kmに修正する。
1939年(昭和14年)2月1日 - 南稚内駅に改称する[3]。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1950年(昭和25年)2月1日 - 名寄客貨車区稚内支区が設置される。
1952年(昭和27年)11月6日 - 駅舎が移転し、稚内市街地から宗谷本線・北見線の分岐点近くまで約1 km移動する[3]。これに伴い、抜海との距離は12.7 kmから11.7 kmに、声問との距離は8.1 kmから7.1 kmに、稚内との距離は1.2 kmから2.7 kmに変更される。
1953年(昭和28年) - 木造モルタル造りの駅舎が完成する。
1961年(昭和36年)4月1日 - 路線呼称が変更され、北見線が天北線となる。
1983年(昭和58年)4月1日 - 貨物取扱を廃止する。
1985年(昭和60年)3月14日 - 荷物取扱を廃止する。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承される[4]。
1989年(平成元年)5月1日 - 天北線が廃止される[4]。
2004年(平成16年)3月13日 - 稚内駅の管理下となる。南稚内駅の運転士を宗谷北線営業所に統合する。
2005年(平成17年) - 南稚内駅長が廃止され、稚内駅長管理となる。
2011年(平成23年)3月31日 - キヨスクを閉鎖する[要出典]。
70:名無し野電車区
16/10/27 08:33:19.51 6hDM4E8K.net
駅構造[編集]
2面3線の島式と単式の複合ホーム。列車は基本的に駅舎側の1番ホームに入り、2番ホームは回送列車を含む列車行き違いがあるときのみ使用される。
現在は、当駅から終点の稚内駅線路終端まで棒線化されたため、稚内方面へは2列車以上進入できなくなった(1閉そく1列車)。
また、転てつ器、出発信号機、場内信号機を設置する駅としては日本最北端となった。なお、稚内方にある遠方信号機は稚内駅が棒線化された際に設置された。ホーム間の移動は跨線橋を使う。
社員配置駅(稚内駅管理)。出札・改札業務は日中のみだが、入換作業などがあるため輸送担当社員は終日配置されている。みどりの窓口設置(営業時間は6時45分から18時10分まで)。
かつての配線[編集]
稚内駅として開業した当初は、現在地点よりも1 kmほど北に所在していた頭端駅であった。
以下に1924年(大正13年)2月5日時点での配線図を示す。
この時点では、浜頓別駅経由の後に天北線となる路線が宗谷本線であり、現在の宗谷本線である幌延駅経由の路線は未開通であった。
幌延経由の路線の第一歩となる、天塩北線の稚内 - 兜沼間が開業したのは1924年6月25日のことであるが、この配線図では既に兜沼への線路も描かれている。
71:名無し野電車区
16/10/27 08:34:28.95 6hDM4E8K.net
1928年(昭和3年)12月26日に稚内港駅まで延長されると、この駅は頭端駅であったためスイッチバック構造となった。
稚内駅に到着した列車は、一旦本線上へ退行した後に再び前進して稚内港駅への線路へ進んでいた。
1952年(昭和27年)11月6日付けで南へ1 kmほど移転してスイッチバックを解消した。これにより駅は現在地となった。
この時点では側線がまだ多数残存しているが、その後の貨物輸送の廃止などに伴い多くは撤去されている。
72:名無し野電車区
16/10/27 08:35:27.76 6hDM4E8K.net
旧・稚内機関区[編集]
1977年の稚内機関区と周囲約700m範囲。左上が稚内方面。扇型車庫と転車台。左上は稚内客貨車区。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
当駅と稚内駅の間にある車庫は稚内駅・幌延駅発着の車両を格納する車庫となっているが、かつては「稚内機関区」として利用されていた。現在は特急「スーパー宗谷」・「サロベツ」の折り返しのための清掃および整備作業を行っている。
この車庫は当駅から入線する形となっており、稚内駅到着後に一旦、当駅まで回送運転する。そのため当駅には終日運転扱いの駅員が配置されている。
旧・稚内機関区には運転士も配置されていたが、のち「稚内運転区」に改称された。稚内運転区では廃止された「稚内車掌区」の業務を引き継ぎ車掌業務も行っていたが、普通列車のワンマン化のため車掌業務は廃止された(現在、特急列車の車掌業務は旭川車掌所が担当)。
その後、稚内運転区が南稚内駅に統合された際に運転士は「宗谷北線運輸営業所南稚内駅」所属となったのち、2004年3月改正で合理化のため宗谷北線運輸営業所(名寄)に統合された。
駅周辺[編集]
かつては稚内市の郊外だったが、市街地の南・東地区への拡大と人口の移動に伴い、駅周辺に市街地の一部が存在している。
大型商業施設(西條百貨店など)や郊外型の商業施設、ホテル、ファーストフード店などが多数立ち並んでいる。
73:名無し野電車区
16/10/27 08:35:55.65 6hDM4E8K.net
交通[編集]
国道40号・国道238号
宗谷バス「南駅前」停留所 ※市内線は駅前、郊外線は国道40号沿い
公共施設など[編集]
宗谷合同庁舎
宗谷総合振興局
稚内保健所
稚内警察署
稚内地方合同庁舎
稚内開発建設部
稚内税務署
旭川地方検察庁稚内支部
北海道立稚内水産試験場
ホクレン稚内支所
稚内農業協同組合(JAわっかない)
稚内海員会館
稚内南郵便局
稚内信用金庫南支店
北海道労働金庫稚内支店
市立稚内こまどり病院
文教施設[編集]
稚内市立図書館
北海道稚内高等学校
稚内大谷高等学校
稚内市立稚内南中学校
稚内市立稚内港小学校
稚内市立稚内南小学校
主な商業施設[編集]
西條 稚内店
ツルハドラッグ 南稚内店
紳士服のはるやま 稚内店
宿泊施設[編集]
さかえホテル
ニューチコウホテル
ホテル奥田屋
ホテル宗谷
ホテル大将
ホテル御園
旅館いわ木
稚内グランドホテル
稚内ユースホステル
74:名無し野電車区
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宇遠内駅
宇遠内駅
■
うえんない - Uennai
◄声問 (5.0*km)(2.1*km) 南稚内►
所在地 北海道稚内市潮見4丁目
北緯45度23分33.7秒
東経141度42分21秒座標: 北緯45度23分33.7秒 東経141度42分21秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 146.8*km(音威子府起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1955年(昭和30年)12月2日(仮乗降場)
1987年(昭和62年)4月1日(駅昇格)
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 天北線廃線に伴い廃駅
*キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった)
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1977年の宇遠内仮乗降場と周囲約500m範囲。左が南稚内方面。稚内市街地内の駅で、仮乗降場にしては長いホームを持つ。
周囲に待合室は見当たらない。付近は各路地から線路を横切る小道が多く目立つ。上に流れるのが改修前のウエンナイ川。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
宇遠内駅(うえんないえき)は、北海道(宗谷支庁)稚内市潮見4丁目にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
75:名無し野電車区
16/10/27 08:36:56.59 6hDM4E8K.net
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 駅周辺
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
7.1 注釈
7.2 出典
8 関連項目
歴史[編集]
1955年(昭和30年)12月2日 - 日本国有鉄道北見線の宇遠内仮乗降場(局設定)として開業。
1961年(昭和36年)4月1日 - 線路名を天北線に改称、それに伴い同線の仮乗降場となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。同時に駅に昇格。宇遠内駅となる。
1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の廃線に伴い廃止となる。
76:名無し野電車区
16/10/27 08:37:23.46 6hDM4E8K.net
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(南稚内方面に向かって右手側)に存在した[1]。
南稚内方(西側)にスロープを有し[1]道路に連絡していた。
仮乗降場に出自を持つ無人駅となっており、駅舎および待合所は存在しなかった。
駅名の由来[編集]
当駅の所在地近辺の地名より[注 1]。地名は、アイヌ語の「ウェン・ナイ」(悪い川)に由来する。
付近を流れるウェンナイ川は、鉱物が溶け込んだ水質のために魚が棲まなかったことから付けられた。
77:名無し野電車区
16/10/27 08:37:45.31 6hDM4E8K.net
駅周辺[編集]
国道40号(稚内国道)[2]
国道238号(宗谷国道)[2]
宗谷総合振興局(旧宗谷支庁)
北海道稚内高等学校
北海道稚内商工高等学校
稚内市立稚内東中学校
稚内市立稚内東小学校
ウエンナイ川
宗谷バス本社・稚内営業所、潮見待合所・「潮見5丁目」停留所
駅跡[編集]
2001年(平成13年)時点では跡形も無く、稚内市道の「天北通」となっていた[3]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[4]。駅跡地の確認は困難な状況にある。
78:名無し野電車区
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声問駅
声問駅
声問駅(1989年3月)
声問駅(1989年3月)
こえとい - Koetoi
◄恵北 (5.5km)(5.0*km) 宇遠内►
所在地 北海道稚内市声問5丁目
北緯45度24分11秒
東経141度45分53.1秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 141.8km(音威子府起点)
電報略号 コヒ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1922年(大正11年)11月1日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 天北線廃線に伴い廃駅
*宇遠内駅とのキロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった)
テンプレートを表示
1977年の声問駅と周囲約500m範囲。左が南稚内方面。千鳥式ホーム2面2線と駅舎横の貨物ホームへ引込み線、駅裏にも貨物ホームと副本線を持っていた。
荷物扱い廃止及び無人化後の姿だが、この時点で駅舎横の引込み線が撤去されていたかどうかは不明。この1年後の貨物扱い廃止後、副本線は浜頓別側の分岐が撤去され、待避用として引込み線化された。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
声問駅(こえといえき)は、北海道(宗谷支庁)稚内市大字声問村字声問にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。
電報略号はコヒ。
天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
79:名無し野電車区
16/10/27 08:39:07.14 6hDM4E8K.net
目次 [非表示]
1 駅構造
2 駅名の由来
3 駅周辺
4 歴史
5 駅跡
6 その他
7 隣の駅
8 脚注
9 関連項目
駅構造[編集]
廃止時点で、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム東側と対向側ホーム西側を結んだ構内踏切で連絡していた[1]。
駅舎側(北側)ホームが上下共用の1番線、対向側ホームが上りの2番線となっていた[1]。
そのほか2番線の南稚内方から対向側ホーム外側に分岐した行き止まりの側線を1線有していた[1]。
1973年(昭和48年)から無人駅扱いの運転取扱い要員のみが配置されていた駅であった。駅舎は構内の北側(南稚内方面に向かって右側)に位置し1番線ホーム中央部に接していた[1]。
ホームには花壇があり、風が強いために一度温床で苗を育ててから移植していた[1]。
乗車券類は当時駅前に存在していた目時商店に簡易委託化されていた(1986年10月31日限り)。ただし、運転担当の職員は引き続き配置され、末期には駅係員が硬券入場券を販売していた。
80:名無し野電車区
16/10/27 08:39:47.12 6hDM4E8K.net
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「コイ・トゥイェ」(波で崩れる)に由来する。激浪によって川口がいつも変わっていたことから付けられた。
駅周辺[編集]
国道238号(宗谷国道)[2]
北海道道121号稚内幌延線
稚内警察署声問駐在所
声問郵便局
道立宗谷ふれあい公園
稚内市立声問小学校
緑ヶ丘学園
大沼球場
明治乳業株式会社稚内工場
オホーツク海 - 駅から約0.2km。夏にはサハリンが望めた[1]。
声問川
大沼[2]
宗谷バス「声問」停留所
81:名無し野電車区
16/10/27 08:40:13.50 6hDM4E8K.net
歴史[編集]
1922年(大正11年)11月1日 - 鉄道省宗谷本線鬼志別駅 - 稚内駅(現在の南稚内駅)間延伸開通(宗谷本線全通)に伴い開業。一般駅。
1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から削除し線路名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1961年(昭和36年)4月1日 - 線路名を天北線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1973年(昭和48年)9月17日 - 荷物取扱い廃止。貨物は接続専用線車扱貨物のみ取扱い。出札・改札業務を停止し、旅客業務について無人(簡易委託)化(駅前の商店)。
1978年(昭和53年)10月2日 - 接続専用線車扱貨物取扱い廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の廃線に伴い廃止となる。
駅跡[編集]
2001年(平成13年)時点では空き地となっていた[3]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[4]が、線路跡は国道238号に転用されており、駅跡地は全くわからなくなっている。
その他[編集]
1987年(昭和62年)4月時点で、当駅を発着駅とする区間列車が上下1本(稚内駅 - 当駅間、下りは休日運休、上りは声問駅 - 南稚内駅間休日運休)設定されていた
82:名無し野電車区
16/10/27 08:41:15.85 6hDM4E8K.net
恵北駅
恵北駅
■
けいほく - Keihoku
◄樺岡 (9.1km)(5.5km) 声問►
所在地 北海道稚内市大字声問村字恵北
北緯45度22分32.3秒
東経141度48分52秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 136.3km(音威子府起点)
電報略号 ケホ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1922年(大正11年)11月1日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 天北線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
1977年の恵北駅と周囲約500m範囲。上が南稚内方面。かつては相対式ホーム2面2線、駅舎横に引込み線、駅裏側に副本線をもつ一般駅だったが、
既に無人駅になっていて、側線は全て撤去され、本線は駅裏側(島ホーム側)の浜頓別側の分岐が撤去されて引込み線化され、駅舎ホーム側に棒線化されている。
声問川(かつては幕別川と言われた)と大沼の泥炭地帯が駅裏に広がり、周囲に耕作地は少ない。
駅正面山向こうの早くから耕地開拓された増幌川流域集落への玄関口であり、その山から伐採された木材の出荷駅でもあった。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
恵北駅(けいほくえき)は、北海道(宗谷支庁)稚内市大字声問村字恵北にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。
電報略号はケホ。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
83:名無し野電車区
16/10/27 08:41:33.93 6hDM4E8K.net
目次 [非表示]
1 駅構造
2 駅名の由来
3 駅周辺
4 歴史
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(南稚内方面に向かって右手側)に存在した[1]。
無人駅(簡易委託駅)となっており、有人駅時代の木造駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置しホーム中央部に接していた。
84:名無し野電車区
16/10/27 08:41:59.21 6hDM4E8K.net
駅名の由来[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
当駅の所在する地名より。
また、駅附近を流れる声問川は、元の名は幕別川であった[2]。
駅周辺[編集]
北海道道121号稚内幌延線
稚内市立増幌小中学校
ノースバレーカントリークラブ
声問川(旧名・幕別川)
大沼[2]
宗谷バス曲渕線「恵北」停留所
歴史[編集]
1922年(大正11年)11月1日 - 鉄道省宗谷本線鬼志別駅 - 稚内駅(後の南稚内駅)間延伸開通(宗谷本線全通)に伴い幕別駅(まくべつえき)として開業。一般駅。
1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から削除し線路名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1961年(昭和36年)4月1日 - 線路名を天北線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1963年(昭和38年)10月1日 - 根室本線止若駅の幕別駅への改称に伴い恵北駅に改称。
1973年(昭和48年)9月17日 - 貨物・荷物取扱い廃止。同時に無人(簡易委託)化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の廃線に伴い廃止となる。
85:名無し野電車区
16/10/27 08:42:31.91 6hDM4E8K.net
駅跡[編集]
線路は撤去され百周年の記念碑が残る。 線路は撤去され百周年の記念碑が残る。
線路は撤去され百周年の記念碑が残る。
2001年(平成13年)時点では空き地となっており、かつての駅前商店が残存していた(2014年末にて閉店)[3]。
2008年(平成20年)時点では旧駅前に現役時代からあった楡の大樹が残り、開拓の記念碑である「恵北開基百年記念碑」が建立されていた[4]。
2010年(平成22年)時点でも同様であった[5]。
86:名無し野電車区
16/10/27 08:43:09.98 6hDM4E8K.net
樺岡駅
樺岡駅
■
かばおか - Kabaoka
◄沼川 (6.2km)(9.1km) 恵北►
所在地 北海道稚内市大字声問村字樺岡
北緯45度17分48.8秒
東経141度48分49.8秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 127.2km(音威子府起点)
電報略号 カハ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1922年(大正11年)11月1日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 天北線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
1977年の樺岡駅と周囲約500m範囲。上が南稚内方面。相対式ホーム2面2線。
既に貨物及び荷物の取扱いが廃止されて、駅舎横の引込み線は撤去され、駅裏側の副本線は南稚内側からの引込み線になっている。
駅裏のストックヤードは原生に戻っている。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
樺岡駅(かばおかえき)は、北海道(宗谷支庁)稚内市大字声問村字樺岡にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。
電報略号はカハ。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
87:名無し野電車区
16/10/27 08:44:05.32 6hDM4E8K.net
目次 [非表示]
1 駅構造
2 駅名の由来
3 利用状況
4 駅周辺
5 歴史
6 駅跡
7 隣の駅
8 脚注
9 関連項目
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。
当時は互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡していた[1]。駅舎側(東側)ホームが上りの1番線、対向側ホームが下りの2番線となっていた[1]。
そのほか2番線の南稚内方から対向側ホーム手前まで分岐した行き止まりの側線を1線有していた[1]。
無人駅(簡易委託駅)となっており、有人駅時代の木造駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置しホーム中央部に接していた。
1983年(昭和58年)時点のホームには500本の上り藤を植えた花壇があり、8月には一斉に花を咲かせた[1]。
88:名無し野電車区
16/10/27 08:44:29.88 6hDM4E8K.net
駅名の由来[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
当駅の所在する地名より。
利用状況[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は不明[1]も、稚内へ向かう高校生及び通勤者数名と、病院へ向かう老人が時々利用する程度であった[1]。
駅周辺[編集]
広大な酪農地帯が広がっていたが、離農が進み、限界集落地域である。旧駅前周辺は廃校になった樺岡小中学校跡とバス停のみとなっている。
北海道道121号稚内幌延線
声問川
宗谷バス「樺岡」停留所
89:名無し野電車区
16/10/27 08:45:08.29 6hDM4E8K.net
歴史[編集]
1922年(大正11年)11月1日 - 鉄道省宗谷本線鬼志別駅 - 稚内駅(後の南稚内駅)間延伸開通(宗谷本線全通)に伴い開業。一般駅。
1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から削除し線路名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1961年(昭和36年)4月1日 - 線路名を天北線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1973年(昭和48年)9月17日 - 貨物・荷物取扱い廃止。
同時に出札・改札業務を停止し旅客業務について無人(簡易委託)化。但し閉塞扱いの運転要員は継続配置。
1986年(昭和61年)11月1日 - 交換設備撤去。閉塞扱いを廃止し完全無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の廃線に伴い廃止となる。
駅跡[編集]
樺岡駅跡(2011年8月4日)
2011年(平成23年)時点では本物の駅名標が残存している[2]。但し駅跡とは逆側に設置されている模様[2]。
この駅名標は道路に移設され樺岡の天北線バス停留所に設置されている。
駅跡は原野になっている。
90:名無し野電車区
16/10/27 08:45:54.65 6hDM4E8K.net
沼川駅
沼川駅
■
ぬまかわ - Numakawa
◄曲淵 (4.3km)(6.2km) 樺岡►
所在地 北海道稚内市大字声問村字沼川
北緯45度15分1.8秒
東経141度50分48.5秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 121.0km(音威子府起点)
電報略号 ヌワ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1922年(大正11年)11月1日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 天北線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
1977年の沼川駅と周囲約500m範囲。左上が南稚内方面。相対式ホーム2面2線と駅舎横の貨物ホームへ引込み線、駅裏側に副本線とストックヤードを持っているが、扱うべき貨物の姿が無い。
かつては駅裏のヤード南側の丁度水路が直角に曲がっている辺りに、馬力線の殖民軌道沼川線の大きな屋根を持つ停留所が置かれ、
軌道はさらにヤードを縦断するように伸びていて、幌延奥地の北澤や、豊富奥地の有明方面から運び入れた多くの木材や石炭が周囲に野積みされていた。
右下に本線と並行して水路脇を南東に向かう軌道跡が白く残されている。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
沼川駅(ぬまかわえき)は、北海道(宗谷支庁)稚内市大字声問村字沼川にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はヌワ。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
91:名無し野電車区
16/10/27 08:46:51.21 6hDM4E8K.net
目次 [非表示]
1 駅構造
2 駅名の由来
3 駅周辺
4 歴史
5 駅跡
6 隣の駅
7 簡易軌道幌沼線
7.1 歴史
7.2 廃線跡
8 脚注
8.1 注釈
8.2 出典
9 関連項目
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(南稚内方面に向かって右手側)に存在した[1]。
そのほか1983年(昭和58年)時点では音威子府方から分岐し駅舎南側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[1]。
但し分岐器近くに車止めが置かれていた[1]。
かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では使われなくなった外側の1線は交換設備運用廃止後も側線として残っていた。
尚、分岐器は両方向とも維持されていたが、分岐器近くに車止めが置かれていた[1]。また本線の南稚内方から分岐した分岐器が撤去され途中に車止めの置かれた行き止まりの側線を1線有していた[1]。
無人駅(駅舎内で発券の簡易委託駅)となっており、有人駅時代の木造駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置しホーム中央部に接していた。
事務室の窓だけアルミサッシとなっており、待合室など他の窓は防寒のためにビニールで覆っていた[1]。
1983年(昭和58年)時点の簡易委託の駅務員は植木好きの元漁船長で、駅横に櫟などを植樹していたという[1]。
また、1933年(昭和8年)から1964年(昭和39年)まで、駅裏に殖民軌道幌沼線(沼川線)の停留場が置かれていた。
92:名無し野電車区
16/10/27 08:47:15.52 6hDM4E8K.net
駅名の由来[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
当駅の所在する地名より。
駅周辺[編集]
小さな集落があり、酪農地帯となっている。駅前道路沿いに民家が並び、駅裏は湿地帯となっていた[1]。
北海道道138号豊富猿払線
北海道道1119号稚内豊富線
稚内市役所沼川支所
稚内警察署沼川駐在所
沼川郵便局
北宗谷農業協同組合沼川支所
稚内市立天北小中学校
沼川神社
沼川法華寺
寿徳寺
声問川
宇流谷川[2]
宗谷バス曲渕線「沼川」停留所
93:名無し野電車区
16/10/27 08:47:35.65 6hDM4E8K.net
歴史[編集]
1922年(大正11年)11月1日 - 鉄道省宗谷本線鬼志別駅 - 稚内駅(後の南稚内駅)間延伸開通(宗谷本線全通)に伴い開業。一般駅。
1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から削除し線路名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1933年(昭和8年)11月 - 殖民軌道沼川線(後の幌沼線)開業。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1961年(昭和36年)4月1日 - 線路名を天北線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1964年(昭和39年) - 簡易軌道幌沼線廃止。
1982年(昭和57年)6月1日 - 貨物取扱い廃止。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止。
1986年(昭和61年)11月1日 - 交換設備廃止。同時に無人(簡易委託)化(近隣の個人、駅舎内発券)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の廃線に伴い廃止となる。
駅跡[編集]
2001年(平成13年)時点ではホームと駅名標、駅舎解体後の土台が放置され藪の中で朽ちている状態であった[3]が、その後撤去された。2010年(平成22年)時点では旧駅構内に小公園が整備され、裏手にはホーム跡も残存していた[4]。
公園にはレプリカの駅名標と旧駅舎の写真を転写した「旧JR天北線沼川駅舎」と記載されたパネルが設置されている[5]。
94:名無し野電車区
16/10/27 08:48:18.81 6hDM4E8K.net
簡易軌道幌沼線[編集]
かつて当駅から宗谷本線幌延駅へ、簡易軌道幌沼線(全通時の路線名)が運行されていた。
幌延停車場 - 沼川停車場間34.9km。
軌間762mm。
動力は馬力。
農業開発が目的であった[6]。
戦後の離農者の増加による人口減、及び施設の老朽化、さらに周辺道路の整備に伴い、部分廃止を経て1964年(昭和39年)全線廃止となった[6]。
歴史[編集]
1920年代(大正年間)末期 - 幌延停車場 - 北沢停車場間が下エベコロベツ殖民軌道として計画される[7]。
1928年(昭和3年) - 殖民軌道幌延線幌延停車場 - 北沢停車場間工事着工[6][7]。
1929年(昭和4年)12月24日[8] - 幌延停車場 - 北沢停車場間(13.8km)開通[6][7]。
1932年(昭和7年)10月 - 北沢停車場 - 沼川停車場間工事着工(各集落毎の工事開始)[6]。
1933年(昭和8年)11月 - 殖民軌道沼川線[7]沼川停車場 - 上福永駅停車場(14.9km)開通[6][7]。
1934年(昭和9年)8月 - 沼川線上福永停車場 - 北沢停車場間(6.2km)延伸開通により全線開通(34.9km)[6][7]。
1936年(昭和11年) - 幌延線、沼川線が合併、線路名を幌沼線に改称[7][注 1]。
1948年(昭和23年)
- 幌延方に存在する熊越峠附近の軌道の崩落などで一部区間の運行不能となる[6]。
- 幌延停車場 - 北沢停車場間廃止[6][7]。線路名を沼川線に改称[7]。
1950年(昭和25年) - 北沢停車場 - 有明停車場間廃止[7]。
1964年(昭和39年) - 有明停車場 - 沼川停車場間(13.4km)廃止(全線廃止)[6][7][注 2]。
廃線跡[編集]
2011年(平成23年)時点では残存施設は無い[7]。
95:名無し野電車区
16/10/27 08:48:53.26 6hDM4E8K.net
曲淵駅
曲淵駅
■
まがりふち - Magarifuchi
◄小石 (17.7km)(4.3km) 沼川►
所在地 北海道稚内市大字声問村字曲渕
北緯45度15分31.3秒
東経141度53分47.95秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 116.7km(音威子府起点)
電報略号 マカ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1922年(大正11年)11月1日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 天北線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
1977年の曲淵駅と周囲約500m範囲。左が南稚内方面。千鳥式ホーム2面2線と2本の副本線、駅舎横の貨物ホームへ引込み線を持つ。駅裏南稚内側に峠越え補機用機関車の転車台の跡を残している。かつては東側の山奥に炭坑があり、町の東側に選炭場があった。
そこから本線の下を潜って駅裏側の島ホーム正面にあったホッパーへ、トロッコ軌道が引かれていた。本線浜頓別側の南側に沿って敷かれた軌道跡が残っている。閉山から13年経て、炭住も撤去され、ストックヤードには僅かな木材が野積みされている。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
曲淵駅(まがりふちえき)は、北海道(宗谷支庁)稚内市大字声問村字曲渕にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はマカ。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
96:名無し野電車区
16/10/27 08:49:26.94 6hDM4E8K.net
目次 [非表示]
1 駅構造
2 駅名の由来
3 利用状況
4 駅周辺
5 歴史
6 駅跡
7 その他
8 隣の駅
9 脚注
10 関連項目
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。
互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム中央部分を結んだ構内踏切で連絡していた[1]。
駅舎側(北側)ホームが上りの1番線、対向側ホームが上下共用の2番線となっていた[1]。
そのほか島式ホームの外側に2線を側線として有しており、1番線の音威子府方から分岐し駅舎東側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[1]。
職員配置駅となっており、木造駅舎は構内の北側に位置し、1番線ホーム中央部に接していた[1]。
97:名無し野電車区
16/10/27 08:49:45.57 6hDM4E8K.net
駅名の由来[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
当駅の所在する地名より。
利用状況[編集]
1981(昭和56)年度の1日乗降客数は110人[1]。
駅周辺[編集]
1960年代前半までは、炭鉱(天北炭田)で栄えていたが、現在は僅かな集落が残るのみである。2010年(平成22年)時点では町はずれに露天掘り炭鉱の跡が残存している。
北海道道646号曲淵停車場線
北海道道138号豊富猿払線
稚内曲渕簡易郵便局
曲渕神社
宇流谷川[2]
宗谷バス曲渕線「曲渕」停留所
歴史[編集]
98:名無し野電車区
16/10/27 08:50:40.42 6hDM4E8K.net
歴史[編集]
1922年(大正11年)11月1日 - 鉄道省宗谷本線鬼志別駅 - 稚内駅(現在の南稚内駅)間延伸開通(宗谷本線全通)に伴い開業。一般駅。
1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から削除し、線路名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1961年(昭和36年)4月1日 - 線路名を天北線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1964年(昭和39年)頃 - 近隣の曲淵炭鉱が閉山。石炭輸送が途絶える。
1982年(昭和57年)6月1日 - 貨物取扱い廃止。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の廃線に伴い廃止となる。
時期不明だが、国鉄時代に駅名が「渕」から「淵」に変更されている。
ちなみに、郵便局は曲淵郵便局が2006年(平成18年)に廃止され、曲渕簡易郵便局(後に稚内曲渕簡易郵便局に改称)が設置されたが、
主務者印(公印)ではどちらも「渕」を使用していた。
駅跡[編集]
曲淵駅跡(2011年8月4日)
2001年(平成13年)時点では「曲渕ふれあい公園」に整備されており、駅名標を模した看板が設置されていた[3]。
また駅前にあった植え込みがそのまま残存していた[3]。2010年(平成22年)時点では公園は同様であった[4]。
また2011年(平成23年)時点ではバス待合所の建物が建築されていた[5]。周辺の道路標識には「曲渕駅」(「ふち」の文字は「渕」)と記載されたものが使用されている[5]。
現在は、住宅が建てられている。また、駅周辺の路盤は北海道道138号豊富猿払線に転用されている。
その他[編集]
1987年(昭和62年)4月時点で、当駅を着駅とする区間列車が上り1本(稚内駅 - 当駅間)設定されていた
99:名無し野電車区
16/10/27 08:51:36.44 6hDM4E8K.net
小石駅
小石駅
■
こいし - Koishi
◄鬼志別 (5.3km)(17.7km) 曲淵►
所在地 北海道宗谷郡猿払村字小石
北緯45度18分41秒
東経142度3分22秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 99.0km(音威子府起点)
電報略号 ココ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1922年(大正11年)11月1日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 天北線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
1977年の小石駅と周囲約500m範囲。左が南稚内方面。無人化後の姿で、駅舎ホーム側に棒線化され、相対ホーム側本線は浜頓別側の分岐が撤去されて引込み線になっていて、保線用のモーターカーらしき姿が見える。
かつては相対式ホーム2面2線と副本線、駅舎横の浜頓別側に貨物ホームと引込み線をもっていた。貨物ホーム側のストックヤードに木材が積まれていた時期もある。
周囲の山では戦後に本線を境に北側と南側の2つの炭坑が開かれ、北側には南稚内側から専用線が引かれていた。また南側にはホッパーが設置され、副本線から側線が伸びていた。
1966年の両方の閉山によって、この駅は扱う貨物がほとんどなくなった。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
小石駅(こいしえき)は、北海道(宗谷支庁)宗谷郡猿払村字小石にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はココ。同線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
100:名無し野電車区
16/10/27 08:52:14.09 6hDM4E8K.net
目次 [非表示]
1 概要
2 歴史
3 駅構造
4 駅名の由来
5 駅周辺
6 バス路線
7 駅跡
8 隣の駅
9 藤田炭鉱宗谷鉱業所専用線
9.1 概要
9.2 歴史
10 脚注
11 関連項目
概要[編集]
当駅 - 曲淵駅間17.7kmは、青函トンネル開業により竜飛海底駅 - 吉岡海底駅間に破られるまで、途中に信号場を含まない日本における駅間最長区間であった。
無人化と同時に交換設備は廃止されたが、曲淵駅 - 鬼志別駅間23.0kmが1区間の閉塞区間となってしまう状況を避けるため、また、当駅止まりの列車設定があるために閉塞扱いは継続され、運転要員の職員が国鉄末期まで配置されていた。
1983年時点では、音威子府駅 - 当駅間に下り列車が1本設定されていた。
101:名無し野電車区
16/10/27 08:52:32.14 6hDM4E8K.net
歴史[編集]
1922年(大正11年)11月1日 - 鉄道省宗谷本線鬼志別駅 - 稚内�
102:w(現・南稚内駅)間延伸開通(宗谷本線全通)に伴い開業[1][2]。一般駅。 1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から分割し線路名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる[1]。 1947年(昭和22年) - 北海道拓殖炭鉱専用線(後の藤田炭鉱宗谷鉱業所専用線)開業[3]。 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。 1961年(昭和36年)4月1日 - 線路名を天北線に改称、それに伴い同線の駅となる[1]。 1967年(昭和42年)3月 - 藤田炭鉱宗谷鉱業所専用線廃止[3]。 1973年(昭和48年)9月17日 - 貨物・荷物取扱い廃止。同時に出札・改札業務を停止し旅客業務について無人(簡易委託)化。但し閉塞扱いの運転要員は継続配置。 1986年(昭和61年)11月1日 - 閉塞扱いを廃止し完全無人化。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。 1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の廃線に伴い廃止となる。
103:名無し野電車区
16/10/27 08:53:58.11 6hDM4E8K.net
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(南稚内方面に向かって右手側)に存在した[4]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。
1983年(昭和58年)時点では使われなくなった外側の1線は交換設備運用廃止後も音威子府方の転轍機及び線路が途中まで撤去された行き止まりの側線として残っていた[4]。
無人駅(簡易委託駅)となっており、有人駅時代の木造駅舎が残っていた。駅舎は構内の北側に位置しホーム中央部に接していた[4]。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、附近の浜に小石が多くあったことから付けられた[5]。
駅周辺[編集]
かつては炭鉱で栄えた集落である。1983年(昭和58年)時点では露天掘りの炭鉱がまだ細々と残っていた[4]。
北海道道138号豊富猿払線
北海道道889号上猿払清浜線
小石簡易郵便局
オホーツク海陸食品株式会社
鬼志別川[6]
バス路線[編集]
かつて鉄道代替バスとして宗谷バスが運行する天北線が運行されていたが、2011年(平成23年)10月1日の経路変更により当駅付近は通過しなくなり、小石 - 曲淵間の公共交通は消滅した。
現在は猿払村が鬼志別との間に代替デマンドバスを設定している。
駅跡[編集]
104:名無し野電車区
16/10/27 08:54:26.05 6hDM4E8K.net
小石駅跡(2011年8月4日)
2001年(平成13年)時点では地元自治会により「望郷」と記載された石碑が建立されており、天北線の歴史についても記載されていた。そのほか「小石駅」と記載された看板が石碑の隣に設置されていた[7]。
2010年(平成22年)時点では石碑は同様であった[8]。また2011年(平成23年)時点では駐車場となっている[9]。そのほか「小石交流センター」も建築されている。
また、駅名標の枠から取り外された駅名表示部分は、鬼志別駅跡に建築された「鬼志別バスターミナル」1階の天北線の資料展示室に保存・展示されている[9]。
かつての「日本最長駅間」の山越えは、道道との並行区間においては2001年(平成13年)時点では路盤を確認できた[7]。2010年(平成22年)時点でも同様であり、橋台なども確認できた[8]。
105:名無し野電車区
16/10/27 08:55:00.99 6hDM4E8K.net
藤田炭鉱宗谷鉱業所専用線[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
戦後の石炭増産政策による採炭開始に伴い北海道拓殖炭鉱により開業[3]。1967年(昭和42年)の閉山に伴い廃線となった[3]。
採炭地は小石市街地の北西に位置し、線路は緩やかな勾配が続いていた[3]。
概要[編集]
路線
区間 - 小石 - 鉱業所[3]
キロ程 - 1.0km[3]
使用車輌 -
初期 - 5500形5560号機(元・国鉄、後に日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道経由で入線)[3]、1100形1102号機[3]
後期 - 8100形8104号機、8112号機(元・国鉄、後に定山渓鉄道経由で入線)[3]
歴史[編集]
1947年(昭和22年) - 北海道拓殖炭鉱により開業[3]。
時期不詳 - 藤田炭鉱宗谷鉱業所の専用線となる[3]。
1967年(昭和42年)3月 - 閉山に伴い廃止[3]。
106:名無し野電車区
16/10/27 08:55:42.89 6hDM4E8K.net
鬼志別駅
鬼志別駅
鬼志別駅改札(1989年3月)
鬼志別駅改札(1989年3月)
おにしべつ - Onishibetsu
◄芦野 (6.3km)(5.3km) 小石►
所在地 北海道宗谷郡猿払村字鬼志別
北緯45度19分39.9秒
東経142度6分44.5秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 93.7km(音威子府起点)
電報略号 オニ←ヲニ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1920年(大正9年)11月1日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 天北線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
1977年の鬼志別駅と周囲約750m範囲。左が南稚内方面。千鳥式ホーム2面2線と副本線2本、駅舎横の浜頓別側に貨物ホームと引込み線をもつ。
峠越え補機用機関車の転車台が残っている。廃線後は写真上端を流れる鬼志別川が元の駅構内を流れる形に河川改修されたため、駅跡は全く残っていない。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
鬼志別駅(おにしべつえき)は、北海道(宗谷支庁)宗谷郡猿払村字鬼志別にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はオニ。同線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
廃止時まで運行されていた急行「天北」の停車駅であった。
107:名無し野電車区
16/10/27 08:56:27.43 6hDM4E8K.net
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。
互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム西側を結んだ構内踏切で連絡していた[1]。駅舎側(北側)ホームが上りの1番線、待合所が設置された[2]島式ホームが下りの2番線となっていた[1]。
そのほか1983年(昭和58年)時点では島式ホームの外側に3線を側線として有しており、1番線の音威子府方から分岐し駅舎東側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[1]。
職員配置駅となっており、木造駅舎は構内の北側に位置し1番線ホーム中央部に接していた[1]。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「オ・ニ・ウシ・ペッ」(河口付近に木が群生している川)、「オ・ヌ・ウシ・ペッ」(河口が良い漁場の川)など、由来には諸説ある。
利用状況[編集]
108:名無し野電車区
16/10/27 08:57:10.41 6hDM4E8K.net
利用状況[編集]
1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は153人[1]。
駅周辺[編集]
猿払村の中心駅。村役場や市街地の最寄り駅のため急行「天北」も停車した。
北海道道138号豊富猿払線
北海道道1089号猿払鬼志別線 - 一部に天北線廃線跡を転用している。
猿払村役場
稚内警察署鬼志別駐在所
鬼志別郵便局
稚内信用金庫鬼志別支店
東宗谷農業協同組合(JA東宗谷)猿払支所
猿払村立拓心中学校
猿払村立鬼志別小学校
鬼志別川[3]
歴史[編集]
1920年(大正9年)11月1日 - 鉄道省宗谷本線浅茅野駅 - 当駅間延伸開通に伴い開業[4]。一般駅。
1922年(大正11年)11月1日 - 当駅 - 稚内駅(現在の南稚内駅)間延伸開通(宗谷本線全通)に伴い中間駅となる[4]。稚内機関庫鬼志別分庫設置。
1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から分割し線路名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる[4]。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1961年(昭和36年)4月1日 - 線路名を天北線に改称、それに伴い同線の駅となる[4]。
1982年(昭和57年)6月1日 - 貨物取扱い廃止。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[4]。
1989年(昭和63年)5月1日 - 天北線の廃線に伴い廃止となる[4]。
駅跡[編集]
鬼志別市街に残る鬼志別駅の案内看板
鬼志別バスターミナル(2011年8月4日)
2001年(平成13年)時点では「鬼志別バスターミナル」となっていた[5]。また館内の1階に天北線の資料展示室が設けられ、周辺駅の駅名標、乗車券、備品、写真などの天北線関連資料が保存・展示されている[6]。
2010年(平成22年)時点[7]、2011年(平成23年)時点[6]でもバスターミナル、展示室ともに同様であった。
109:名無し野電車区
16/10/27 08:57:49.50 6hDM4E8K.net
芦野駅
芦野駅
■
あしの - Ashino
◄猿払 (4.8km)(6.3km) 鬼志別►
所在地 北海道宗谷郡猿払村字芦野
北緯45度18分14秒
東経142度10分44.4秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 87.4km(音威子府起点)
電報略号 アノ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1920年(大正9年)11月1日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 天北線廃線に伴い廃駅
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1977年の芦野駅と周囲約500m範囲。左上が南稚内方面。側線は全て撤去され、無人化に伴い駅舎ホーム側に棒線化されているが、かつては周囲の駅と同じく相対ホーム2面2線と副本線、貨物ホームに引込み線をもつ木材出荷駅だった。
右上に見える猿骨川からストックヤードまで伸びた水路の跡が残されている。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
芦野駅(あしのえき)は、北海道(宗谷支庁)宗谷郡猿払村字芦野にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はアノ。同線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
110:名無し野電車区
16/10/27 08:58:28.92 6hDM4E8K.net
目次 [非表示]
1 駅構造
2 駅名の由来
3 駅周辺
4 歴史
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した[1]。
分岐器を持たない棒線駅となっていた。かつては列車交換可能な交換駅であった。
無人駅(駅舎内で発券の簡易委託駅)となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホーム中央部分に接していた。
出入口だけアルミサッシに変更された古い木造駅舎であった[1]。ホームには花壇が設けられていた[1]。1983年(昭和58年)時点の簡易委託の駅務員は70歳を過ぎた老人男女であった[1]。
駅名の由来[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
当駅の所在する地名より。
111:名無し野電車区
16/10/27 08:58:58.03 6hDM4E8K.net
駅周辺[編集]
北海道道1089号猿払鬼志別線 - 天北線廃線跡を転用している[2]。
国道238号(オホーツクライン)[3]
芦野小学校
村営猿払牧場 - 駅から北に約2.5km。サハリン、利尻富士が見渡せる[1]。
インディギルカ号慰霊碑 - 駅から北に約3.2km[1]。
猿骨川[3]
猿骨沼[3]
宗谷バス天北宗谷岬線「芦野」停留所
歴史[編集]
1920年(大正9年)11月1日 - 鉄道省宗谷本線浅茅野駅 - 鬼志別駅間延伸開通に伴い開業。一般駅。
1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から分割し線路名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1961年(昭和36年)4月1日 - 線路名を天北線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1973年(昭和48年)9月17日 - 貨物・荷物取扱い廃止。交換設備撤去。同時に無人(簡易委託)化(近隣の個人、駅舎内発券)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の廃線に伴い廃止となる。
駅跡[編集]
猿払駅 - 鬼志別駅間の線路跡は北海道道1089号猿払鬼志別線に転用されている。2001年(平成13年)時点では猿払駅跡から当駅跡までは完成済み、鬼志別駅跡までは工事中の状況であった[4]。
2010年(平成22年)時点では鬼志別駅跡まで完成し、上下2車線の立派な道路となっている[5]。2011年(平成23年)時点でも同様であった[2]。交通公園として整備されている。
112:名無し野電車区
16/10/27 08:59:45.81 6hDM4E8K.net
猿払駅
猿払駅
■
さるふつ - Sarufutsu
◄浅茅野 (6.2km)(4.8km) 芦野►
所在地 北海道宗谷郡猿払村猿払
北緯45度15分55秒
東経142度11分29秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 82.9km(音威子府起点)
電報略号 サフ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1920年(大正9年)11月1日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 天北線廃線に伴い廃駅
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1977年の猿払駅と周囲約500m範囲。上が南稚内方面。
相対式ホーム2面2線、駅裏に副本線、駅舎横の浜頓別側に貨物ホームと引込み線をもつ。
貨物ホーム側に木材が野積みされているが、駅裏のストックヤードは使用されていない。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
猿払駅(さるふつえき)は、北海道(宗谷支庁)宗谷郡猿払村猿払にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。
電報略号はサフ。同線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
目次 [非表示]
1 駅構造
2 駅名の由来
3 利用状況
4 駅周辺
5 歴史
6 駅跡
7 隣の駅
8 脚注
9 関連項目
113:名無し野電車区
16/10/27 09:00:30.36 6hDM4E8K.net
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(南稚内方面に向かって右手側、旧1番線)に存在した。
かつては単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[1]。互いのホームは駅舎側ホーム中央と島式ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡した[1]。
駅舎側(東側)が上りの1番線、島式ホーム(西側)が下りの2番線となっていた。島式ホームの外側に1線を側線として有しており、そのほか1番線の音威子府方から分岐し駅舎南側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[1]。
無人駅となっていたが、有人駅時代の木造駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置し、ホーム中央部分に接していた。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「サル・プツ」(葦原の川口)に由来する。
114:名無し野電車区
16/10/27 09:00:54.43 6hDM4E8K.net
駅周辺[編集]
村名と同名の駅であったが、村の中心部には位置していない。周囲は酪農地帯であった[1]。
北海道道584号猿払停車場線
北海道道585号狩別猿払停車場線
北海道道1089号猿払鬼志別線 - 天北線廃線跡を転用している。
浜猿払小学校
狩別川[2]
ポロ沼 - 駅から北東に約1km。大白鳥飛来地[1]。
キモマ沼[2]
エサヌカ原生花園 - 駅から北東に約4kmのオホーツク海岸沿い。ハマナスなどの群生地[1]。
宗谷バス天北宗谷岬線「猿払」停留所
歴史[編集]
1920年(大正9年)11月1日 - 鉄道省宗谷本線浅茅野駅 - 鬼志別駅間延伸開通に伴い開業。一般駅。
1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から分割し線路名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1961年(昭和36年)4月1日 - 線路名を天北線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1982年(昭和57年)6月1日 - 貨物取扱い廃止。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止。
1986年(昭和61年)11月1日 - 交換設備撤去。同時に無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の廃線に伴い廃止となる。
駅跡[編集]
2001年(平成13年)時点では鉄道関連施設は何も残っていない[3]。2010年(平成22年)時点[4]、2011年(平成23年)時点でも同様であった[5]。バス待合室があるのみである。
駅名標の枠から取り外された駅名表示部分は、鬼志別駅跡に建築された「鬼志別バスターミナル」1階の天北線の資料展示室に保存・展示されている[5]。
また、周辺の線路跡は、浜頓別駅跡から当駅跡までは「北オホーツクサイクリングロード」に[3]、当駅跡から鬼志別駅跡までは北海道道1089号猿払鬼志別線にそれぞれ転用されている[4]。
115:名無し野電車区
16/10/27 09:01:39.75 6hDM4E8K.net
浅茅野駅
浅茅野駅
■
あさじの - Asajino
◄飛行場前 (3.9*km)(6.2km) 猿払►
所在地 北海道宗谷郡猿払村字浅茅野
北緯45度13分0.9秒
東経142度13分31秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 76.7km(音威子府起点)
電報略号 チノ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1919年(大正8年)11月1日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 天北線廃線に伴い廃駅
*キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった)
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1977年の浅茅野駅と周囲約500m範囲。上が南稚内方面。相対式ホーム2面2線、副本線、駅舎横の南稚内側に貨物ホームと引込み線をもつ。
この時点では相対側ホームが既に撤去されて実質駅舎側の単式ホーム1面使用となっているようである。駅舎横と駅裏のストックヤードには、まだ貨物が野積みされており、貨物列車が留置されている。
かつては近くを流れる猿払川上流の支流セキタンベツ川沿いの炭坑で採炭された石炭の出荷駅でもあった。
その後1983年の時点で、中線風に残されていたかつての2番線の分岐が切られて放置されているのが確認されている[1]。また廃止前までに他の側線も全て撤去された。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
浅茅野駅(あさじのえき)は、北海道(宗谷支庁)宗谷郡猿払村字浅茅野にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はチノ。同線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
目次 [非表示]
1 駅構造
2 駅名の由来
3 利用状況
4 駅周辺
5 歴史
6 駅跡
7 隣の駅
8 脚注
9 関連項目
116:名無し野電車区
16/10/27 09:02:24.84 6hDM4E8K.net
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した[1]。
かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では使われなくなった外側の1線は交換設備運用廃止後も側線として残っていた[1]。
そのほか本線の南稚内方から分岐し駅舎北側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線、また本線の音威子府方から分岐した分岐器が撤去され途中に車止めの置かれた行き止まりの側線を1線有していた[1]。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホーム中央部分に接していた。木造板張りの駅舎であった[1]。
駅名の由来[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
当駅の所在する地名より。
117:名無し野電車区
16/10/27 09:03:10.26 6hDM4E8K.net
駅周辺[編集]
低い萱が茂る湿地帯で、原始林に囲まれていた[1]。
北海道道732号上猿払浅茅野線
国道238号(オホーツクライン)[2]
浅茅野郵便局 - 旧駅舎の前に位置した[1]。
浅茅野小学校
猿払川 - 駅から北に約1km。川を渡るプレートガーダー橋がそのままサイクリングロードに転用されている[3]。
瓢箪沼 - 駅から南に約2km[1]。
カムイト沼
モケウニ沼
北オホーツクサイクリングロード(天北線跡)
宗谷バス天北宗谷岬線「浅茅野」停留所
歴史[編集]
1919年(大正8年)11月1日 - 鉄道院宗谷本線浜頓別駅 - 当駅間延伸開通に伴い開業[4]。一般駅。
1920年(大正9年)11月1日 - 当駅 - 鬼志別駅間延伸開通に伴い中間駅となる[4]。
1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から分割し線路名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる[4]。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1961年(昭和36年)4月1日 - 線路名を天北線に改称、それに伴い同線の駅となる[4]。
時期不詳 - 業務委託化(1981年(昭和56年)4月時点では業務委託駅であった[5])。
1982年(昭和57年)6月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止。交換設備撤去。同時に無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[4]。
1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の廃線に伴い廃止となる[4]。
駅跡[編集]
周辺の線路跡は、浜頓別駅跡から猿払駅跡までが「北オホーツクサイクリングロード」に転用されている[3]。
2001年(平成13年)時点では交流センターの裏手にホームだけ残存していた[3]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[6]。
また、駅名標の枠から取り外された駅名表示部分は、鬼志別駅跡に建築された「鬼志別バスターミナル」1階の天北線の資料展示室に保存・展示されている[7]。
118:名無し野電車区
16/10/27 09:04:25.54 6hDM4E8K.net
飛行場前駅
曖昧さ回避
この項目では、北海道に存在したJR北海道天北線の駅について説明しています。
山梨県に存在した山梨交通の同名駅については「農林高校前駅」を、
宮崎県に存在した宮崎交通の同名駅については「宮崎交通線」をご覧ください。
飛行場前駅
ホーム跡とアスファルト舗装された軌道跡
ひこうじょうまえ - Hikōjō-mae
◄安別 (2.4*km)(3.9*km) 浅茅野►
所在地 北海道枝幸郡浜頓別町字共和
北緯45度11分26.2秒
東経142度15分20.4秒座標: 北緯45度11分26.2秒 東経142度15分20.4秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 72.8*km(音威子府起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1955年(昭和30年)12月2日(仮乗降場)
1987年(昭和62年)4月1日(駅昇格)
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 天北線廃線に伴い廃駅
*キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった)
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1977年の飛行場前仮乗降場と周囲約500m範囲。左上が南稚内方面。開設前直近の1951年の米軍撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス USA-M27-M-1-75)では、左側近くの所に、飛行機の掩蔽庫の跡が幾つか確認できるが、
この頃にはかなり離れた場所に残る以外は牧草地に均されていて、付近は飛行場があった形跡が全く見当たらなくなっている。
浜頓別側に踏切があり、線路の左側の黒く細長いものがホーム。踏切近くに待合室がある。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
飛行場前駅(ひこうじょうまええき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡浜頓別町字共和にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
119:名無し野電車区
16/10/27 09:05:04.55 6hDM4E8K.net
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 駅周辺
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
歴史[編集]
1955年(昭和30年)12月2日 - 日本国有鉄道北見線の飛行場前仮乗降場(局設定)として開業。
1961年(昭和36年)4月1日 - 線路名を天北線に改称、それに伴い同線の仮乗降場となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に承継。同時に駅に昇格。飛行場前駅となる。
1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅だった。ホームは線路の西側、南稚内方面に向かって左手側に存在した[1]。
ホームは木製のデッキ式で[2]、音威子府方(南側)にスロープを有し[3]踏切際の道路に連絡していた。
仮乗降場に出自を持つ無人駅であり、駅舎は存在せず、ホーム出入口から少し離れた位置にマンサード[4]の待合所を有していた[5]。待合所入口には「飛行場前停畄場」と表記されていた[3]。
仮乗降場時代の一時期、駅名標には駅名の読みとして「ひこうじょまえ」と記載されていた[3]が、その後訂正されている[1]。
120:名無し野電車区
16/10/27 09:05:59.31 6hDM4E8K.net
駅名の由来[編集]
駅名は、かつて付近に大日本帝国陸軍の浅茅野第一飛行場があったことに由来する。浅茅野飛行場は、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)に建設され、
その1年後の1945年(昭和20年)には戦争は終結したためほとんど使われないままにその役目を終え、兵舎や将校官舎といった建物は1951年(昭和26年)に解体撤去された。
当駅が局設定の仮乗降場として開業した1955年(昭和30年)には、周囲に特段の構築物などの無い原野となっていた。テレビや書籍でも「飛行場がないところなのに飛行場前駅と名乗る駅」として紹介されることがあった[3]。
駅周辺[編集]
周辺は、整備されていない笹原と原野、牧場、湿地等である。
国道238号(オホーツクライン)
宗谷バス天北宗谷岬線「飛行場前」停留所
駅跡[編集]
サイクリングロードに転用された線路跡とその脇に残るホーム跡。廃止4年後の1993年夏の状態。 廃止から20年を経過した2009年秋の状態。クマザサがホーム跡を覆い、線路跡にも進出している。
サイクリングロードに転用された線路跡とその脇に残るホーム跡。廃止4年後の1993年夏の状態。
廃止から20年を経過した2009年秋の状態。クマザサがホーム跡を覆い、線路跡にも進出している。
周辺の線路跡は、浜頓別駅跡から猿払駅跡までが「北オホーツクサイクリングロード」に転用されている[4]。
2001年(平成13年)[4]、2010年(平成22年)[6]、2011年(平成23年)[2]の各時点で、サイクリングロード沿いにホームと駅名標の枠のみ残存している。
なお、2009年(平成21年)時点では、廃止4年後の1993年(平成5年)に比べ、ホーム跡の天板が落ち笹に覆われている。骨材には廃品となったレールが使用されている。