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レーシングカート乗ろうぜオフLap1 - 暇つぶし2ch113:名無しさん
18/07/06 11:46:58.78 sXhpi/6A0.net
純文学と大衆文学というような絶対的な基準よりも、
基準を問題にする方がメリットあると思うんだが。
例えば、ポモの批評家に媚びる作家が一時、多かった
いとうせいこう、島田、高橋源一郎などは、露骨にポ
批評家に媚びる純文学など有り得ない。
時間が経って、純文学と評価された作品が大衆文学に
その逆の例など、我々は数多見て来たはずだと思う
一見しての思想小説が実は定型をなぞっただけの、実
例とか。詳しい例は挙げられない。適当な勘で俺は書
どっちにも跨がって評価された作品なら大菩薩>>41
この記事にあるように前回の直木賞で選考委員が、司
自分について書けば芥川賞だって言ったからそれを皮
よく通俗文学側から「これは純文学でも通用する」っていわれる小説は純文学のフィールドに立つとどうし
(逆に芥川賞作家が売れるためにエンタメ寄りに書いたものだってひどいのがわんさかあるはず、というか
よくあるのは太宰治を浅薄に解したような自己語りだ
単に長ったらしい直喩だけをしつこくたくさん入れて
音楽にも絵画にも彫刻にも演劇にも映画にも(たぶん)漫画にも、芸術(的な)作品というものが一般に
文学とか小説という表現においては純文学がそれだろ
じゃあどうやって芸術かそうでないかを分けるのかっていうと、それは批評の仕事なんだろうけど
批評家であろうが一般読者であろうが、現代の作品を鑑賞するときに古典をぜんぜん知らないでは芸術性は
その上で、ただし現状の文壇(つまり大手を中心とした出版業界、ということは編集者の趣味ってことにな
>>44が指摘している通りに媒体によって純文学としてあつかわれるか通俗文学としてあつかわれるかが決
朝井リョウが文学界に書いた作品は純文学としてあつ
もちろん見るべきところがなくてほぼ無視されて消え
とはいえ現状、文芸批評なんて機能してるとは言いが
佐々木敦なんていう音楽畑のいっちょ噛みが重宝され
今純文学としてともかく世に出ている作品のほぼすべ
ということはつまり、われわれ大衆は芸術それ自体を
芸術としての評価の定まっていない、おそらく99.9%以上の確率で消えて行くであろう
現代の純文学作家を読むよりもエンタメを面白がる方
芸術としての文学に触れたいなら古典を読むよてなも


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