20/09/04 12:06:11 K2BW/zNo0.net
自助共助公助
URLリンク(www.huffingtonpost.jp)
>大規模災害時には、迅速に提供できる「公助」に限界があることから、身を守るためには自助や共助が重要な意味を持つ。
平常時から自助・共助を意識し、備えておくことが大切だとする文脈で、これらの概念が広く用いられてきた。
>これが国家方針の文脈で語られるときには、『自分のことは自分で守る。それができなければ地域コミュニティーで助け合う。
それもできなければ国が最低限は助ける』という意味になります。裏を返せば、自分のことを自分で守れなければ切り捨てられても仕方ない、という新自由主義的な発想です。
国は最低限のことはするけれど、生活の質や尊厳までは守りません、という“切り捨ての論理”になるのです
>「<自助・共助・公助>の考え方は菅さん独自のものでもなんでもなく、自民党の総意。菅さんは、ただ自民党としての国家方針を素直に、
極めて忠実に述べただけなのです。
党員は綱領に賛同することが前提ですから、他の総裁選の候補者である石破さんも岸田さんも、
同じ考えでなければそれは国民を騙していることになります」
>>534
上の記事読んで思ったこと。共同体の構成員が無償でお祭りや神事を動かしてきたわけだけど、
共同体の発展のためと観光協会のホームページで紹介したら、外部から人を招き入れてお金を落としてもらう手段としていたら
それはもういわゆるビジネスなんですよね。いつからこうなってしまったのか。
野外の音楽イベント同様にビジネスになってしまっているのに祭りの担い手たちにはお金が払われることはない。
神社は人が来たら儲かるお店や商店街から寄進があるかもしれませんが共同体内のヒエラルキーが低い人たちが労働力を搾取されてる。
お金が循環されていないのです。
だから神事が中止してよかったと思わずにはいられない。